第11話 介在する獣

文字数 2,912文字

「それにしても、あなたって本当に、その……白いのね?」
「……ウ……ラ?」
「ううん。し、ろ。髪もそうだけど、肌も色白で、ちょっと羨ましいな。私は日に焼けちゃって少しくすんじゃってるし……。お姉ちゃんも私より肌、白いんだよね……。まあ、あの人のはきっと家からあまり出ないからだろうけど」

 丹念に身体を洗われた銀眼の少年は、洗う前とはそれはもう別人かと見違えるほどに様変わりしていた。水浴びを終え汗拭きの上で髪を()き乾かしてもらっているその姿は、男子特有の骨ばった箇所もなく全体的に線は細い。顔を顎下まで覆うほどの純白な髪も手伝ってか、股間のモノの有無を確認しない限り少女と見間違えてしまっても仕方ないくらいだ。瀕死の傷を負い、頭の天辺から爪先まで出血跡で全身赤黒く染め、死臭漂わせていた人物とは到底思えない。まさに銀白の美少年だ。
 そんな銀白の少年は今では無邪気ながらも美しく可憐(かれん)ささえ感じる。そんなことを考えながら、テララは後片付けをはじめた。

「今まで日に当たったことないって言うくらい、本当に白いよね?」
「テ、ララ……υ、υヤケ……ヤ、ケ……シ、ロ……シロ! ギシシッ」
「……んっ!? 今もしかして私のこと笑った?」

 少年には恐らく、否、全くもってそんなつもりはこれっぽっちもないのだろう。単に真新しく耳に残った音を拾ってそれを真似ているに過ぎないはずだ。表情が心なしか愉快そうに見えるのも、まだ水浴びの興奮が冷めない所為なだけだ。
 頭ではそう理解していたとしても、それはそれ。これはこれ。その一言が少女の乙女心に障ってしまったことに変わりはない。
 汗拭きの上で無邪気に言葉遊びをする少年のもとへ、悪戯な笑みを浮かべた傷心の少女がゆっくりと迫ってゆく。

「ヤ、ケ……ヤκ、テ、ララ、ヤケ……。シ、ロ……シ、シロ!」
「むうーー! 人のこと笑う悪い子は……こうしてやる! こちょこちょこちょこちょーー!!

 識らずにとは言え乙女心を(けな)した報いとして、テララは一思いに少年の脇腹をくすぐる反撃に出た。

「どうだあーー? ここかなあーー? ここかっ?!
「テッ!? ……ギュッ! ……ギヒッ!?
「ここかなあーー!? こうかっ! こうかっ!!
「ギギッ!? ギッ、ギヒヒヒヒヒッ! ニシシッ! ギシシシシシッ!!!?
「フフフッ。何その笑い方。そうなのね。ここがくすぐられるのだめなのね? それそれーー!」

 断絶的に、また偶発的に感知される刺激とは異なり、継続的且つ強制的に全身を駆け回る過剰すぎる未知の感覚。その不意を突いたちょっとだけ悪意ある愛情表現には銀眼の少年も成す術がない。耐えきれず汗拭きの上に倒れ込んで、意地悪テララにされるがまま悶え転げている。
 少年の少し奇妙な笑い声も次第に弱まり浅い息遣いだけになっても尚、その白い身体を妬ましさ全開で(もてあそ)ぶ少女の報復はまだまだ納まる気配がない。密かに相当気にしていたのかもしれない。下手なことは口にするもではないというわけだ。
 これは少年の口からごめんなさいと言われるまで止まらないかもしれない。そう思わせるほど凄まじい猛攻だったが、少女の手が少しだけ緩みかけた間際、奇妙な音が仲裁に入った。

「ん? 今、何か変な音、聞こえなかった……?」
「ニシッ……、オ……オ?」
「うん。あまり聞いたことない変な音……。何の音だろ……?」

 ピウのいびきでも鳴き声とも違う。まるで水瓶の中で小さな獣が鳴いたような。姉の不機嫌そうな寝言のようにも聞こえた。それは聞きようによっては少し不気味なそんな音だった。
 辺りをぐるりと見渡してその聴き慣れない音の出所を探ってみても、それらしいものは何も見当たらない。一応候補の愛獣ピウもまだ夢の中だ。
 ――あ!? また聞えた!
 するとどうだ。その奇妙な音は、汗拭きの上で息絶え絶えに横たわった哀れな少年の腹辺りから聞こえてくるらしかった。

「なんだ。フフフッ。そっか、お腹すいたよね? そうだよね。ごめんね? 早く戻ってご飯にしよっか?」
「……γ、ゴ……ハ、ン……?」

 正体さえ分かってしまえばどうということなかった。その気の抜けた、けれどどことなく人懐こくて愛嬌さえ感じる音。そんな音の所為か、自分のこだわりや嫉妬はやれやれと吐いた溜息と一緒にどこかへ消えてしまった。

「それじゃ、居間に戻る前に最後の準備しないとだね。はい、起きて?」
「……ンギ?」

 そう言って少しだけ息の上がった少年を引き起こすと、テララは持ってきた着替えを手におもむろにその背後に回り込んだ。

「――今だっ!?
「……テラ――ンギャッ!!!?

 それはあっという間だった。
 少年が何事かと向き直るよりも素早く、風が吹き抜けるよりももっと早く。
 破れた両裾を掴み一気に少年の頭から()ぎ取る。手が少々ぶつかろうが構うものか。
 ――私ならできるっ!?
 脱げた衣服はそのまま放り上げ、それが地に着くよりも早く着替えの衣服を一気に広げその頭から被せる。
 少年の身体が半分振り向きにかかる。あれが見えそうだ。
 ――間にあってええええっ!?
 手がぶつかって(あざ)になろうが、それでクス爺に怒られようが、最悪手がもげてしまったっていい。テララはその身に宿る力の全てをもって少年に被せた衣服をめいいっぱい押し下げた。決まった。
 日頃の家事に加え、趣味の編み物を通して布の扱いには長けているテララだからこそ成し得た。見事な早業である。

「なっ、なんとかなったっ……!? ふう……、よかったあ……」
「……テ、ララ?」
「ごめんね? びっくりしちゃったよね。でも、いろいろ考えみたんだけど思い付かなくて……。エヘヘッ……」

 性を意識するということはこんなにも難儀するものなのか。冷汗を拭う少女はそれを知る以前と比べて幾分たくましく見える。大変お疲れ様である。
 でも、本当に上手くいってよかったあ。手、当たってないよね……?
 我ながら見事な手際を褒めてやりたい。最大の難関を制したことに安堵し、ここ一番の溜息がもれる。きっとその所為だろう。今度は同じような音がテララの腹からも鳴り響いた。

「テラ、ラ……ゴ、ハ……ン?」
「……あっ!? 私も。……フフッ、アハハハハッ! そうだね。一緒にご飯だね」

 釣られて鳴いた自分の腹を押さえながら、それが思いの他滑稽(こっけい)でたまらず笑いがこぼれた。
 今日はいつもより美味しいご飯が食べられそう! 何作ってあげようかな?
 その清々しい笑い声に銀眼の少年もつられて、目を細めながらぎこちなく口角を横に引き伸ばしあの奇妙な笑い声をあげている。
 その表情はいつもの見よう見真似だったのかもしれない。けれどほんの少しだけ、これまでのものよりも自然なもののように深緑の瞳には映っていた。きっとそれは無駄な汚れもすっきり落ちて、気持ちのいい日の明かりに照らされていた所為かもしれない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み