06:麻薬常習犯はこりごりだ ※アクセス権限(1)解除

文字数 4,390文字

 一旦来た道を戻る。アーチをくぐり、ビラを押し返し、アフリカ史籍の朗読を横目に、依然として解放ムード満天の中に身体一つでやってきた。どうして今、僕は手ぶらでここに立っているんだ? Ughhh……Okey,ではそこの店から聞き込みを始めるとしよう。

「突然すみません。こちらのお店では、コーヒーにロブスタ豆を使っていますか?」

 ――そう。努めて気さくにカウンターベルを鳴らし、相手の出方を伺う。良識ある町民。由緒正しい学院生として恥じない振る舞い。もちろん心がけはしたとも。だがそれも最初の数店だけだった。
 確かにどれだけ繕っても、店内での楽しいブレイクタイムを求めてやってきた客には見えなかったに違いない。
 しかしだ。だからといって、これは何かの当てつけではないのか? どこの店員も例外なく、まるで苦いコーヒー豆でも噛んだような顔で少々困った笑みを返してきた。まあ、5件も回れば嫌でもその表情からおおよその返答は検討が付くようになったとも。誰もかれもが愛想のない笑いを返し、口裏でも合わせているかのように「申し訳ございません。当店ではお取り扱いがいございません」だ。

 その結果どうだ?
 決して屈さず休まず、訪ね続けること約4時間半……。カフェテリアにはじまり、グリルやバー。ファストフードにコーヒーショップ。ついには焙煎所(ロースタリー)でさえ。午前中いっぱいを費やし、このストリート周辺の半径約660フィート内に構える30店舗あまりへの聞き込みを終えた。それだというのに、物の見事に目的は達成できなかった。

「……What's going on?」

 科学ジャーナルや参考書、学術論文。
 物心ついたころからデスクにしがみ付いて、豊富な情報を多弁に語ってくれるテキストたちだけが私の心を癒してくれる唯一の友人だった。
 そんなペーパーウェイトのようにこり固まった身体に、この失態はかなり応える。――"DANGER"

「……何故だ? どうしてどこの連中も、ああも同じ事を繰り返し言うんだ? さては、同一固体からの複製体(コピー)だとでもいうのか? きっとそうだ。そうに違いない……。Ohhhh……Shit……」

 実のところ。バックアッププランとして、最低でもこのストリート周辺で片が付けばそれでもいいと考えていた。だが、それが大きな間違い。まるで検討が甘かった。
 しかし、今となってはもう後悔のしようも、何かしらの救済処置(リカバリー)の施しようもない。
 まるで膝の皿が抜け落ちてしまったかのようだ。踏み出す度に右へ左へ身体が揺れ、まったく重心を支えられない。この様はドラッグをキメたまさにそれだ。自分のことながら情けない。

「ロブスタ……。私の……。私の……カフェイン……」

 ああ、完全にアウトだ。
 事情を知らなければ、ポリスマンに問答無用で連行されかねないだろう。
 それでも今は構わない。どうだっていい。とにかくこの壁伝いに進もう。ショールームに映ったその様はまるで、上司にクビにされて酒に溺れたビジネスマン。もしくは、街ゆくヤングギャングに追いはぎにでも合った一文無しといったところか。どちらにしろ、この街には到底相応しくない有り様だな。
 ああ……。もう一歩も歩けない……。そこの日陰で少し休むもう……。ここはたしか、そう……。語り部がライブをしていた場所か? ちょうどいい……。少し、休んで……。

「Ugh……、カフェイン……」

 自分でも聞き取れないほどの声とも取れない呻きを最後に、意識の輪郭が溶けていく。その最中。あれ(・・)がまたしても勝手に騒ぎはじめた。

「Booo……。ああ、くそ……」
"――Prrrr...Prrrr..."
「……うるさい。静かにしてくれ……」
"――Prrrr...Prrrr..."
「…………」

 誤動作か何かで通知機能がオンになってしまったものを、今更設定し直す気力なんて残っているわけがない。空いた右手でそれを覆い隠す。寝返りを打つ。腕を背中に回す。無気力なりに抵抗してみるが、どれもだめだ。頼むから、もう勘弁してくれ……。

"Prrrr...Prrrr....Pr――"
「お? やっとつながったかあ。なんだ? もしかしてまた愛しのハニーの足を広げる妄想でもしてたのか? ほどほどにしないと彼女にも嫌われるぜ? まあ、それもいいけどよ。それより聞いてくれよディビット! あれからまた少しだけ調整してみたんだ。そしたらこれが思いの外いいできでさあ。なあ! よかった今からこっちこないか?」
「………………」
「Hey? 聞いてるんだろ? どうせ今日も引きこもってるんだったら――」
「――だから!! 僕のカフェインはどこにあるんだ!!!?

 もう、到底我慢できなかった。

「O、Oops……。Umm……What? 今、何て――ああ、いや!! ちゃんと聞えてたさ。もちろん。もちろんだとも! ええと、なんだ……カフェインだって?」
「ああそうだ……! 今朝からお気に入りが切れて、街……、豆……探して……。どいつも、こいつも……Damn it……!!!!
「Um、Okey.分かった。分かったよ。豆……? ああ、こ、コーヒーだな? コーヒー探してるんだな? よ、よし。い、今すぐに見つけてやるからさ。待ってろ? このルパートさんが、お前さんにとびっきりいい店紹介してやるとも! なに、これくらい朝飯前だって! だから、そうだな……。お、大人しくしてるんだぞ? Alright?」

 そう言って口早にあからさまな回避行動をとりながら、やけに気の利かせたルパートはそのままデスクトップの操作をはじめたようだ。

「コーヒー……、コーヒー……。Noooo way!? お前さんの近所、店在り過ぎだろ!? フレンドリーファイアー好きにもほどがあるってもんだ。これじゃまるで――いや、今はやめておこう。それよりもどれが……Hmmm。Ummmm…………Oh! Take this!!

 そうして軽快なエンターキー音のあと、別途通知が届いたようだ。

「Ugh……ルパート……。君、本気で言ってるのか……?」

 最早、焦点すら合っているのかも怪しくなっていたが。間違いない。
 オートで起動した空中(エアリアル)ディスプレイ。開かれたマップ上に一件。大学よりもさらに遠方。現在地から少なくとも6.5kフィートも先に目的地を示すポインターが軽やかに、いや挑発的にホッピングしているのがなんとか見えた。

「え? ああ! も、もちろんさ! 嘘なんかじゃないぜ? これでも一応、毎月『モテる男の魅力爆発セクシーダンディズムVRレッスン』を購読してるんだ。どんな条件のスポットだろうと、街のことならなんだって知ってる。なんなら、全世界の男が憧れて止まない世界ダンディズムマイスターNo.3の称号だってもってるんだ。どんな美女――じゃなくて。どんなスゴ腕のバリスタだって、一口飲めばその旨さにたちまち魅入られちまう。ってもっぱらの噂さの店よ! 騙されたと思って行ってみてくれって。絶対にお前さんもビックリするほどのラブロマンスが待っているはずだからさ! それでな、デイビット。そのもし満足してもらえたなら今度――」

 通話強制終了。
 仕方がない。あの(・・)彼が調べたというのだ。今回はこれでおしまいにするというのも、いい妥協案かもしれない。…………よし。
 そう深々と溜め息を付いて、もう一度力を振り絞ってみる。靴裏にへばり付いたガムのように、粘度の増した身体をどうにかこうにか地面から引き剥がす。それからまた壁にもたれながら、ショーケースに映ったみすぼらしい自分に別れを告げて、今度こそ目的地(ゴール)を目指すとしよう。


 §§§


 それから間もなくして。知勇豊富、将来有望な若者で賑わうこの街に、不運にも紛れ込んでしまったスラム街のホームレスが、解放を祝うこの日に麻薬取引の幹部に復讐するべくうろついている。そんな根も葉もない噂がSNS上でトレンド入りしていたことなど、当時知るはずもない。
 あれはたしか日が少し傾いて、軽食を挟むにはちょうどいい日頃だったはずだ。あまり憶えていない。
 急激に劣化が進み、実年齢から一回りも二回りも老けこんだ麻薬常習犯。ではなく、コーヒーに踊らされた哀れな放浪者。とでも言えばいいだろうか。そんな目も当てられない姿になってまでして、僕はようやく目的の店のノブを握ることができた。

「いらっしゃいませ。お客様は何……Oh gosh!?

 にこやかに振り向いた若い定員の顔も、生気を吸い取られてしまったかのようにたちまちに曇る。あからさまに肩を落として、なんとも不憫そうな表情で僕を迎えた。
 他愛ない会話で戯れる若年カップルで賑わっていたのであろう店内も、訓練されたコリー犬のように、一斉に僕の方を向き固まっている。まるで強盗でも押し入ったかのような緊迫感だ。

 だが、それがどうした。そんな些末なことを気に掛ける余裕など、今となっては一切持ち合わせていない。
 何よりもまず。店内に入って直ぐ左手にあった席に崩れるようにして座りこんだ。
 そこはどうも相席(ペアシート)だったらしい。彼女と待ち合わせでもしていたのだろう。向かいの若者も目を丸めて、大口を開けたまま微動だにしない。まあ、いいさ。

「well……。お、お客様? その、ご注文は、いかがなさいますか……?」
「……カフェ、イン…………」
「Ummm……、申し訳ございません。もう一度よろしいですか……?」
「……fee……。cof、コーヒー……、1つ……」

 肩で大きくゆっくりと息を吸う。もうそれだけで必死だ。今にも消え入りそうな意識の中で、中指1つを上げるのがやっとだった。
 ちゃんとオーダーが出来ていたかさえ記憶が曖昧だ。ただ、店員はその様を見届けるなり、足早にカウンター裏へと逃げ帰っていった。するとそれと入れ替わるようにして、すぐさま別の店員が震えながらコーヒーカップを運んできた。
 そうして、追い求めて久しい琥珀(アンバー)に輝く黒く芳ばしい一杯。両手にすっかり収まってしまうほどに小さなその一杯は、ひどくすり減ってしまったホームレス、カフェインレスの哀れな僕の心を温めてくれるようだった。――ああ。ようやくだ……。
 少しでも気を緩めれば今にも即倒しかねない。覚束ない手付きでカップを抱え込み、ゆっくり、ゆっくりと念願のコーヒーを一口含んだ。

「――Awww…………」
「ど、どうかなさいましたか!? お、お客様……!」
「……まい……」
「What?」
「……甘いじゃないか……ルパート……」

 そうして僕は店員と店中のコリー犬たち、あと向かいに座った若者に身守られながら、高級ワインでも嗜むかのように、時間も忘れるほど長く、その日最初の一杯を味わった――。
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