第25話 萌黄色の縁(えにし)

文字数 5,274文字

 日に焼けて草臥(くたび)れきった朽木も、吹き抜ける風に乗って転がる草玉も、地面にただ落ちた石ころでさえ、道すがら目にするもの全てにたまらなく興味をそそられるらしい。

「ソーマーー! いい子だから、こっちに戻っておいでーー!」

 見るからに登れそうにない干涸(ひから)びた細い木に、何を勘違いしたのかぶら下がり、案の定、折れた枝ごと落っこちる。崩れた瓦礫の穴をくぐろうと頭を突っ込んでは、抜けなくなったり。手当たり次第にただの石を掻き集めて来たかと思えば、これ見よがしに(かぶ)り付いて、あまりの不味さと痛さにその銀の瞳を潤ませる。

「あーー!? もう! こらあ! また1人で先に行かないのーー!!

 何度痛い目をみても、何度怒られても、また同じことを繰り返さずにはいられないみたいだ。村を出発してからというものの、見知った村とは違う全くの別世界に、ソーマはテララの心配を余所にずっとこの調子だ。ただでさえ慣れない籠を背負っているのだから、いつもより慎重に歩かないといけないというのにだ。そして今、(つまづ)いてまた盛大にコケた。
 繋ぐ手をすり抜けて列を飛び出したソーマを、テララが(なだ)めて連れて帰って来ても、また何処吹く風と少年は独り消えてしまう。ずっとその繰り返し。
 手を引いて歩かなければならなかった頃、それはそれで苦労物だったが、ここまで回復したとなると面倒を看る方も気が気でならない。
 日頃、どんなに大きな籠を背負って小山まで通っていたとしても、これには流石のテララももう息が上がってしまっている。

「ハハハハッ。こうして見てると、ほんとの姉妹みたいだねえ。お姉ちゃん、手を貸そうかい?」
「い、いえ……。はぁ、はぁ……。し、姉妹、ですか……? ああ、んと……。一応ソーマは男の子……なので……。ふぅ……」
「あらまっ!? そうなのかいっ! そんな白くて綺麗な髪して、眼も真丸で可愛らしい顔してるのにかい?」
「私も最初はびっくりしました。女の子だと思ってたので、ね? ソーマ?」
「ンギ……?」
「ヒャーー、驚いたねえ!? あたいの若かった頃より女の子らしくて、羨ましがってた自分が泣けてくるよ。アハハハハッ」
「ムーナさん、それはいくらなんでも。でもこの白さはちょっと羨ましいですよね。フフフッ」

 普段一人で向かうハリスの山までの道のりとは違う。やんちゃな弟のような少年の世話で一苦労も、二苦労もするけども、それは天災の後とは思えないほど笑い声が絶えなかった。
 とは言っても、ものすごく体力を持っていかれるのは考え直してもらいたいところか。

「今ちょうど半分くらいまで来ただろうから、あそこの影で一休みするかい?」
「えっと、はい……。そうしてもらえたら……う、嬉しいです……。ふぅ……」
「まだ山で拾って、それから帰ってこなくちゃならないんだ。体力は残しとかないとね。そら、がんばって!」

 ムーナの計らいで瓦礫の影で一休みすることとなった一行。思い思いの場所に腰を下ろして長い往路の疲れを癒す。
 新米お姉さんのテララはと言うと、出会った頃のソーマのように覚束ない足取りで平らな瓦礫の上に力無く倒れ込んでしまった。これはしばらく動けそうになさそうだ。完全に息が上がってしまっている。
 その隣で面白半分にテララを真似て倒れ込む少年にも、その苦労が少しでも伝わればいいのだが。どうやら見上げた空に流れる雲を掴もうと夢中な様子からすると、それも当分難しいだろう。
 テララには気の毒なことこの上ない。

「はぁ……はぁ……。ちょ、っとだけ……休ませて……。ふぁ……」
「フフッ。あらあら、本当につらそうだねえ。水でも飲むかい?」
「い、いいんですか……? 今、水はあまり残ってないんじゃ?」
「心配いらないよ。不思議とあたいは喉が乾かないんでね。ほら、ぐびっといっちゃって」
「そ、それじゃ、ちょっとだけ……。い、いただきます……」

 天災の後、どの家も水瓶はほとんど割られてしまい、今やティーチ村において飲み水は貴重な資源となっていた。そのため、移住に備えた水の調達も影籠りまでの課題となっている。
 そんな状況でありながら、気さくに水袋を明け渡す笑窪(えくぼ)の眩しい(ふく)よかなこの女性は何とも頼もしい。
 テララはその温情に遠慮がちに口を付けるも、喉を流れる冷やかな喉越しに手が止まらなかった。意図せずあっと言う間にその半分ほどを飲み干してしまった。

「……ご、ごめんなさいっ!? 飲み過ぎてしまって。あの、ありがとうございました……」
「はあい、おそまつ様。なに、飲んでもいいって言ったのはあたいなんだから、気にしないでおくれ。それにこれくらいの手間なら、いくらかけても足りないくらいさ。なんなら、その水袋。そのままテララちゃんが持っといとくれ」
「いえ!? そこまではっ!」
「いいから、いいから」
「そ、それじゃ、お言葉に甘えて……。ムーナさん、お優しいんですね。私もしっかりしなくちゃ……。はぁ……」
「フフフッ。テララちゃん、がんばってるね。どうだい? お姉ちゃんになった気分は?」

 ソーマのお姉ちゃんになる。もっと頑張れるって思ってたんだけど……。こんなに大変だなんて思わなかったよう……。
 出発当初、意気込んでいたのは嘘ではない。ただ、現実は無情にもそれほど甘くはなかったようだ。さっきまで隣に居たかと思えば、疲れ知らずの晴ればれとした顔で気の趣くままに日向を歩き回っているソーマの姿に、思わず弱音も(こぼ)れてしまう。

「んーー、正直言うと……。姉の身の回りの世話してる方が、まだ楽かなって……。ソーマ、あんなに元気になるなんて。すごく嬉しいんですけど、どうしたらいいのか分からなくなっちゃって。振り回さっぱなしで……」
「フフッ、アハッハッハッハ! そりゃあ、あの子のお姉ちゃんて言うより、子供あやす母親みたいなこと言うじゃないか。こりゃ良いお嫁さんになるねえ」
「もう、からかわないで下さいよう……」
「フフフッ。そうでもないさ。誰しも子を授かれば、愛おしく思うほどに行き当たっちまう。よくある悩みさ」

 ムーナの気風の良い大きな笑い声が雲一つない空にどこまでも響いていく。そんな曇ることなんて考えさせないような気持ちの良い笑い声は、子守りの悩みさえも容易く晴らしてしまいそうだ。流石、村一番の巨漢の夫を肝の小さい奴だと小突き回すだけのことはある。

「誰しも……。そう言うものなんですか?」
「そうそう。ねえ、みんなもそう思うだろ?」

 ムーナの後ろで身体のこりをほぐしていたあとの二人も、一様に首を縦に振っている。これは反論のしようがないやつだ。

「だからまあ、最初は大変だろうけど。その内、慣れちまうよ。本当はうんざりなんだけどね? アハハハハハッ!」
「それじゃ、早く慣れるように頑張らないとですよね。ふぅ……」
「あまり気張りすぎずに、ゆっくりと。あたいみたいにどっしりとね」
「フフッ、はい。でも、こうして誰かといっしょに小山に行くの、すごく久しぶりで……。お母さん、母が居なくなっちゃってから、しばらく姉と通ってたんですけど、いつの間にか私だけになってて……。ソーマと暮らすようになってから、大変なこともあって。今もすごく大変ですけど……。でも、何て言うか、懐かしくて……。楽しいなって……思います」
「そうさねえ。どんなにつらくても誰かと、家族がいてくれるだけで不思議と疲れも、何だこんなもんかってくらい軽くなっちまうもんだからねえ。事によっちゃあ、いっしょに楽しくなっちまうことだってあるから、油断できないんだけどね。あたいにも昔、男の子が居てね。よくテララちゃんと同じように嘆いては、浮かれてたもんさ」
「昔……?」
「ああ、いらん気遣いはいらないよ? あたいが話したくて話すんだからね」

 一瞬、その快活な表情にも陰りが射したように見えた。だが、少女の心配が募るよりも先にその寛大さをもって言葉は続いてゆく。

「あの子は生まれつき身体が弱かったんだけどね。まあやんちゃで、そりゃもうひどかったさ。年が1つになる頃にはもう立って歩けるようになったんだけどね。そしたらもう、独りでに歩きまわって部屋中引っ掻き回すわ、壊すわ、泣き(わめ)くわで気が休まることなんてなかったよ」
「フフフッ。なんだかそれって、今のソーマみたいですね」
「アハハハッ、そうなんだよ。でね、あたいが途方に暮れてると、いつも決まってテララちゃんのお母さんが来てくれて、(うち)の子をあっという間に(なだ)めてくんだから、まるで頭が上がらなかったもんさ」
「お母さんが?」
「そうさ? ああ……。やっぱりこの話はまずかったかい……?」
「いいえ、そんなことないです。聞かせて下さい」
「そうかい? えっと、どこまで話したっけね。そうそう。テララちゃんのお母さんは子守りがとても上手くて、しょっちゅう誰かの子供を得意の笛吹きであやしてたっけね。テララちゃんもよくお母さんの後ろについて喜んで聴いてたの覚えてないかい?」

 ああ、だからだ……。ムーナさんと居るとこんなに……。

「えっと、それならちゃんと覚えてますよ。私もお母さんの吹く枝笛が好きで、今でもよく吹いたりしてますから」
「なら、試してみるかい? あたいらも少しくらいなら真似できるし。もしかしたらあの子、ソーマちゃん。じゃなかったね。ソーマも少しは落ち着いてくれるかもしれいってもんだ」
「枝笛ですか? いいで――きゃっ!?

 村の子供らを(とりこ)にして止まなかった懐かしの枝笛。
 それをまだ飽きずに瓦礫によじ登って、腕白(わんぱく)に一人遊んでいる少年に聞かせようと腰を上げた途端、唐突に強い風に煽られた。
 目に塵が入ることはなかったものの、テララの萌黄色の髪留めが空高く飛ばされてしまった。

「あっ!? 私の髪留めっ!」

 瓦礫登りに夢中だった銀の瞳にもそれは映り、どうやら次の標的になったようだ。ソーマは登る手を止めて、荒れ地に伏した布の下へと歩み寄っていった。テララの髪から流れてきたそれを、不思議そうに()まみ上げて見詰めている。

「あ、ありがとう。ソーマ。拾ってくれたのね?」
「テ……ラ、ラ?」
「ん? これ? これはね、こうして髪を留めるのに使うんだよ?」

 慌てて駆けつけたテララは、ソーマの手から髪留めを受け取ると、興味津津の眼差しに応えるべくその使い方を実演して見せた。
 けれども、普段の要領で髪を結って見せても、その銀眼はいつものように踊ることはなかった。テララの首筋でひらめく萌黄色のそれをずっと見詰めたままだ。その眼差しは何処となく物悲しそうにも見えなくもない。

「ん? ソーマ? どうかしたの?」
「……ウ、ギウ……」
「もしかして、これ。欲しいの?」
「ホ、シ……イ?」
「フフッ。それじゃあねーー……」

 少年の真意を悟るや、テララはせっかく結った髪を直ぐに解いた。そしてそれをソーマの首に渡して結び目を作る。それから額まで押し上げて、銀の瞳を覆っていた前髪を持ち上げてやる。

「んーー? こっちの方が似合ってるかな? こっちかなあ?」
「テラ、ラ……?」
「フフッ。もうちょっと待ってねえ……。うん、これでよし!」

 視界を遮っていたものが見事に消え失せて、銀の瞳に広大な世界がより鮮明に雄大に映り込んだ。
 昼下がりの天色の空に、青白い尾を引いて流れる雲。どこまでも続く白茶けた大地。先程まで夢中でよじ登っていた瓦礫でさえ、見違えた姿で銀眼を鮮やかに彩る。
 ソーマの胸に耳を当ててもいないのに、鮮やかな景色に踊り跳ねる少年の鼓動が聞こえてきそうだ。そんな満面の笑みが純白の髪の下から顔を覗かせた。

「どう? こうしたら前髪も邪魔にならないし、景色もよく見えるでしょ? 頭の結び目がちょっと可愛い気もするけど……フフッ。うん、似合ってるよ?」
「ハッ!? ギギッ!! シッ、ニシシシッ!! テララッ!! テッララッ!! ア、アリ、リガ……ララッ!!!?
「わっ、ちょっと急に抱きついちゃっ!? フフッ。それ、あげるね。大事にしてね?」

 これはまた大層嬉しいのだろう。目の前に広がる景色の興奮もさることながら、頭上で踊る髪留めを見上げては、あのぎこちない笑みをもって飛び跳ねている。
 どんなに言葉が不自由でも、こんなにも銀眼の少年の心に寄り添えるのは、彼女を()いてそう他にいないかもしれない。流石、ソーマのお姉ちゃんといったところだ。
 純白の髪に萌黄色の結び目を揺らすソーマと手を繋いで皆の下へと戻るテララの笑顔は、またほんの少しだけ優しくなったように見えた。
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