第22話 イーマはさかしま

文字数 2,927文字

 組合から帰宅途中のバグモタ車の中で、イーマは先程のウメコの報告を頭の中で改めて整理していた。

 イーマの住むのは、8班の居住区とは逆方向の、ミッド地区を少し上った先にあるA居住区だった。捕虫圏居住民の大半が暮らすインナー地区に近いとあって、フロントガラスには、先を行くバグモタ車の点滅が二つあった。

 そのフロントガラスには雨が打ちつけている。そこには雨を(さえぎ)る前時代的なワイパーまで用意されていた。まるで雨にタクトを振る指揮者みたいで、考え事をするのには、これがうってつけだった。地球の雨音を、イーマは好んでいた。視界が虫霧に曇らされていようが、雨を映していようが、トランスヴィジョンのナビさえあれば、邪魔にはならない。

 スカラボウルの雨には音がない。雨滴にならない細かい粒子の雨は、天から降らずに、大気に忍び込むように発生し、虫霧と混ざり合い、辺りに灰色のあとを残す。だから雨降りに気がついた時にはもう雨上がりだった。

 たったいま、エクスクラムの支部長に報告してきた。ウメコの見たという蝶のことを話すとき、それを聞いている支部長のわずかな反応も見逃さないようにした。そこから、なにも読み取ることはできなかったが。

 改めて検証すると、蝶を発見したというウメコの脳トロンマスコット小梅の声も、アラート発令の記録もちゃんと残っていた。蝶自体は映っていなくても、それを追うウメコと協力する脳トロンの疑いようもない記録だ。

 もし、ウメコが大量殺虫していただのといった、外労連のたわけた主張が通るのであれば、これを証拠にと、ウメコへのお(とがめ)の減免を願ったし、外労連の無登録バグモタ捕獲の手柄も認めさせた。もはやクラック値違反ぐらいで目くじら立てている場合ではないと。

 これはトランストロン自体が騙された、連合としては由々しき事態だった。

 開拓労民の大量殺虫を宣伝するという、外労連のバカげた脅迫の行方はイーマにもまだわからないが、蝶を見つけたとする記録は、ここでも有効だろう。これを証拠として提出すれば、開拓労民のいちバグラーが、あるいは外労連どもが、虫を大量殺虫していたどころの騒ぎではない。何者かの神の悪用、ヴィジュアルストラクチャーへの侵略である。

 これを契機として、連中を一斉に検挙できる絶好の機会だと思うが、はたして連合が動くだろうか。――しないな――イーマは鼻で笑った。アンダーネッツとアンチネッツは、どこかテーブルの下で手を結んでいるようなところがある。しかしある程度、おとなしくさせるくらいな処置はして欲しいものだけれど・・・。

 なにしろ非合法のトランスネット侵入が、近頃とみに常態化してきているのだ。このことを連合も各組合も本腰を入れて対策をとらなければ、我々ストロベリー・アーマメンツも維持できなくなる。ここが一番根っこの問題なんだ。なのにこれにはどこか及び腰だ。 

 外労連どものくだらない主張など、本来なら黙殺ですむ。いくら自由労あたりが騒ごうと、どうせいつも放っておくのだ。あまりにバカげている。ウメコが怒るのも無理はない。なのに支部長はこのことでウメコの非を責めた。あれは、めくらましだ。たぶん私へのか・・・?

 確かにウメコの言う通り、切れ間に蝶を発見して知らせたのなら、捕虫労ならずとも前線に立つ開拓要員なら調べるべきだろう。ウメコには罠だと疑わなかったのか?と問うたけれど、逆に警戒しすぎて、黙殺し、バカ正直に定められたノルマをこなすだけで戻ってくるような者なら、自分の班に引っ張ってきたりはしない。自分でも、やはり罠だと疑いながらも、飛び込むだろう。

 並のバグラーなら、やられていたか、奪われていたところだ。もっとも並のバグラーなら、そんなところに首を突っ込んだりしないのだろうけれど。――いや、並のバグラーなら発見できなかったかも知れない――これもウメコの呪われた逆虫運のせいだ。

 もしウメコが発見し、首を突っ込まなければどうなっていただろうか。トランスネットから易々と逃れ始めた外労連どもは、やはりウメコのバグモタを狙い襲っただろう。あのとき近いところで保安労の補給要請は確かに出ていたが、その保安労が、はたしてウメコを襲った連中を追っていたのかどうかは、実はわからない。

 これは、本当にまったくウメコの存在自体が引き起こし或いは呼び寄せた災厄だったのだろうか。それとも、あの虫運のウメコだからこそ察知しえたと、少しでもほめてやるべきだったか。


 フロントガラスのワイパーは、雨にタクトを振るうのはやめて、いつしかイーマの思考のメトロノームとなっていた。テンポを変えたくなって、音楽をかけようとダッシュボードに手を伸ばしたとき、もう一つの懸念に思い当たった。このバグモタ車のサイドガラスには雨が降らないことだ。このトラビ非対応のサイドガラスのせいで、変えようとした気分を台無しにさせられ、イーマは音楽を流すのをためらった。


『ウメコが大量殺虫していたから、捕まえに行った』だと。――本当にバカげてるな。まったく――「ククク、」とイーマは笑みをこぼした。しかし主張が誇大妄想的すぎて、いっけん信じがたいことだが、外労連の主張はあながちウソではないのではないか、たんにバグモタを狙っていただけで、偶然切れ間に遭遇し、もちろんウメコが虫を殺していたなどとは、捕まったヤケクソから出た供述だが、このいかにも外労連らしい言い分、そこにこそ連中の正体がはっきり見えていた。そうして、こっちにこそ真相も見えていた。やつらは所詮、外道のならず(・・・)労員だ。行動に計画性など持ちえない。連中が切れ間をつくったのでないなら、あとは連合が切れ間を作った可能性しかない。

 やはり外労連の仕業にしては、巧妙すぎる。普通に考えてみれば、こちらの方がしっくりくるように思われる。が、もしそうなら、絶対に公表はされない。

 なら蝶も?あれが罠じゃないとしたら・・?本当にウメコが発見されてはならないモノを見つけてしまったのだとしたら・・・?

 それが明るみにされるくらいなら、連合としてはそれがいかに荒唐無稽だろうと、外労連の主張を黙認するのではないか。どうせまともな捕虫圏居住民はこんなこと鵜呑みになどしない。いくら虫殺しの元レモネッツだろうと、動機も意味もないのだし。そんなデマはかえってアンチネッツも含めてアウトネッツへの風当たりを悪くするだけだろうな。

 ――いや、おそらくこれは大ぴらにはされないだろう――イーマの漠然とした勘だった。

 ここまで考えてイーマは走りすぎた思考を停止させた。もはや雨音も、ワイパーによるメトロノームのテンポも、とっくに追い越してしまった。


 そうさ、これはたんに企業秘密なだけなのだ。だから連合が開発実験の中身まで詳細にする義務はない。

 やはり、悪いけれど、ウメコには泣いてもらうしかなさそうだ。班のためであるし、開拓推進事業のためなのだ。これはある意味、鬼門送り労児らしいウメコの見舞われた、毒を以て毒を制した、連合としては、とうを得た結果、天の配置(・・)かも知れなかった。

 イーマはやっと気分ができて、ダッシュボードに手をのばし、音楽をかけた。
 
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