第17話 班長イーマ

文字数 3,539文字


 セグメント8区捕虫労組合、ユニット拡張ビルの旧規格エリアにある、前線捕虫要員第8班の事務室では、古びた事務机の上の散らかったファンデやアイシャドウのデジタルパレット、特配のスキンクリームの瓶、試供でもらった誘虫音エフェクター、配給ガムの箱、手袋や対虫スプレー缶などの常時携帯品の類を脇に追いやって、蟲煙草(むしたばこ)の缶と灰盆を胸元に引き寄せた上に片肘ついた、班長のイーマ・ミーマ=ザッカーモッチは、イライラする頭を紛らすようにスパスパと、蟲煙草の煙管(キセル)を手があくたびにふかしていた。

 蟲煙草を吸い過ぎると目つきが虫みたいになる、という迷信を、最近イーマは気にしはじめていた。非科学的な迷信などこれっぽっちも信用しないイーマだったが、ここのところ目の下のクマが濃くなったような気がしていたし、こころなしか眼窩(がんか)も深くなった気がしていた。まだ三十路をわずかに過ぎたばかりの女の身には、加齢による衰えなど到底受け入れがたく、タバコの吸い過ぎで老化したと考えたほうがずっと納得できたから。しかも吸わずにいられなくさせる要因は自分の嗜好(しこう)以上に、つねに他からもたらされるのだ。こんな気苦労と蟲煙草による浸食で自分は年齢以上に老けていくと思うと、ますますイラつきは募っていった。「まったく、あいつのせいだ」

 もう軽く10服はふかしたろうか。換気扇は虫の羽音のように耳障りにまわっていたけれど、その効果もむなしく室内は濛々(もうもう)とかすみ、虫やにの焦げた匂いでむせかえるほどだった。灰盆の中は蟲屑(むしくず)の灰と、火種に使った虫の死骸でこんもりしていた。

 赤いざんぎりボブのギザギザに切り下げた前髪の下のイーマの眼は、それでも、さっきまでの煮えたぎったイライラは少し冷めて、もうかなり落ち着きはらって、じっと端末に向かい、明日の労務シフトをあれこれ組み立てていた。


 ついさっき、エクスクラム社の組合付きの8区支部長に厳重注意を受けた。所属班員のウメコ・ハマーナットが労務中に引き起こした違反行為についてだった。おおよそのことは、机の上のトランスヴィジョン端末で把握していたつもりだったけれど、通信制限のせいで、詳細までは班長のイーマでさえも知りえなかった。

 ウメコのトランストロン・マスコットのAⅠ、小梅からは、高クラック虫の見込み以上の捕虫と、遭遇した大きな切れ間についての情報がもたらされていたが、そこで通信制限がかかり、あとは無登録バグモタ接近のアラートを受けたのみだった。無登録バグモタの検挙については、イーマが手配するまでもなく、関係各署にアラートはもたらされるから、すでに然るべき対応は取られているはずだった。月当番のウィキッド・ビューグルのトラーネも、それをうるさく伝えてきた。これ以上の、ウメコのいちいちの行動は班長でさえ知りえない。

 気がかりだったが、けれど通信制限がかかっていてはどうにもならず、とりあえずイーマは、まるで義務労の班員にでも送るような、気を使ったメッセージをウィキッド・ビューグルに(たく)して送っておき、すぐあとで、ベテランのウメコにはちょっと優しすぎたと反省しながら、その間、他の班員の報告を受けたり、もろもろの事務作業にかかずらっていた。

 そのとき支部長に呼ばれ、小一時間ほど手厳しい指導を受けた。支部長の急な呼び出しの声のトーンで、なにかマズいことが起きたようなのは、なんとなく察し、心の準備をして出向いたつもりだったが、今日のは効いた。よくあることとはいえ、今回は格別、8班を再班させてからは、もっとも長くキツイお小言(・・・)だった。

 やっと解放され、事情を知ったイーマはムカムカしながら事務室に戻ると、通信制限が解除されたウメコからの返信が届いていた。

『・・・えーっと、虫は逃げられたけど、外労連のバッタもんどもをやっつけました。一機は私の手柄、これからすぐ戻ります』

 これを聴いたイーマは、怒りをあらわにすぐトラビで呼び出して怒鳴り付けてやろうとしたが、一方的に通信を切られたらさらに怒り心頭だと、身分をわきまえない不適合(ノンコ)者のウメコならそれくらいのことなら平気でやるなと、耐えて思いとどまり、面と向かうまでは我慢して、戻って来てから思い切り怒鳴りつけてやろうと体中をムシムシさせて待っていた。

 ことの詳細を知っていれば、あんなナマ優しいメッセージは送らなかったのにと、そのことを思い返すと自分自身にまで余計に腹がたってきた。

 こんなことをもう何べんも繰り返してきた。特にウメコとは。


 イーマは8班<レモンドロップスiii>の前身、<レモネッツ!!!>の班長でもあった。だからウメコとはそれ以来のつきあいになる。ウメコを<レモネッツ!!!>に引っ張ってきたのはイーマだった。イーマはウメコの捕虫要員としての素質を高く評価していた。とくに虫運、いわゆるティンカーズ・センスの強さを大いに見込んでのことだった。その辺はイーマに限らず組合でさえ、捕虫労としてのウメコの能力を買っていたし、また連合への献身についても充分理解されていた。だから、レモネッツ!!!騒動でも、当事者でありながら、降格処分だけで捕虫労の身分に移動はなかった。

 それにウメコはバグモタの操縦技術についてもお墨付きだった。競技会にエントリーすればつねに上位クラスにはつけていたし、この腕前が必須である前線捕虫要員としては、いまは降格したとはいえ、上級のバグパイパー級相当の能力、実力と認められ、降格前には昇進も内定していた。

 ただ、全てにおいて感覚にまかせすぎて突っ走ってしまうことが、イーマがいつも懸念していたウメコの不安要素だった。

 ウメコは虫運の声を聴きすぎるあまり、周りの声が聞こえなくなってしまうのだ。そうしていつも裏目ばかりを出す羽目になる。捕虫となると集中力の全てを傾け、それは開拓労民としては悪いことではないけれど、他はお構いなしとばかり無作法に周りを踏み荒らし、それが波及して目当ての虫を逃がしてしまうようなことがある。

 また、獲物をみつけた時点で満足してしまうのか、そこで集中が途切れ、足元を見失い、着地でつまずく。ノルマで成果を出すにしても、着実に一歩づつ進めばいいものを、なまじセンスがあるものだから、人より先を見越してしまうらしく、一気に二足も三足も飛びこえようとするし、おまけに業突くだから足ることを知らず、両手で抱えきれないほどの虫さえ余さず手に入れようとする。結果、肝心なときに大抵しくじる。

 最近は減ったが、補給に際してのトラブルなどいい例だ。虫さえ捕れば、万事万端、それで済むと思っているフシがある。せっかく捕虫に成功しても、補給要請に応じず、延々と捕虫を続けて要請に遅れたり、補給に間に合っても、そこでうっかり虫を破裂させて仕損じる。それで自分のバグモタを壊すだけならいいけれど、補給先のバグモタも損傷させるから、こっちがあとの始末に困る。ただそれとても、高い捕虫確率ゆえのトラブルだともいえるのだけれど。

 最近は、なにやら古式捕虫術に励んでいたとかで、ちょっとは落ち着いたかなと思って見ていた矢先だ。

――虫運が強すぎるのも考えものだ。やはり虫の声など、耳半分くらいで聞いているのがちょうどいい――

 8班や他班の捕虫要員にも、ウメコと同等の、或いはそれ以上のティンカーズセンスを感じる人間はいる。しかしウメコの虫運は普通でなかった。今日、虫の切れ間に遭遇したことなどは、それを象徴していた。

――逆虫運の持ち主なのかも知れない――イーマはだいぶ覚めてきた怒りの、それでもカッカするアタマのなかで、一瞬冷静になった。ウメコのことをそう考えると合点がいった。ウメコに限らずとも、捕虫要員に多く見られる、生意気な不適合(ノンコ)気質は、きっとそのせいだろう。それとも聞こえる能力は高くても、それを聞き分ける能力に著しく欠けているだけかも知れないけれど。

 ――それにしても<レモンドロップスiii>として復活させてまだ間もない大事な時期だというのにだよ、まったく――

 これでは、iii(ひっくり)マークを<いつか再びひっくり(・・・・)返す>どころか、出資企業の<エクスクラム!!!>から完全に見放されて、!!!《びっくり》マーク自体、永久に取り上げられてしまう。

 イーマは、8区の捕虫労組合で旧レモネッツ!!!の班員を中心に再び8班を引き継ぐにあたり、自分や支部長がどれだけ骨を折ったことかと、嘆息まじりに思い起こし、煙をブハーッと大きく吐き、少し姿勢を起こして、明日にならなければ届かない組合からの捕虫ノルマの各班分担割り当てのために、まだ空欄にしてあるウメコのノルマを、トランスネットの「アンテナ保全」で埋めた。
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