第38話 ウメコとワイナのコンポジション・4 レモンの向こう側
文字数 8,077文字
4 レモンの向こう側
チャッターボックス社の1階フロアは、生活雑貨、電系雑貨、趣味雑貨、喫茶コーナーと並んでいて、いつ来てもウメコの目を楽しませてくれる。
さっきの<雑居房>は、ダンジョンにもぐり込むみたいな、ちょっとしたスリルをともなう冒険だったけれど、こちらはいっぱいのオモチャ箱の中に迷い込んだような、子供の頃の夢見心地をよみがえらせてくれた。どちらも合成画像で構築された世界からは得られない感触とインスピレーションに満ちていていい刺激になった。
除虫スペースを出て、すぐの喫茶コーナーから立ち籠める匂いを胸いっぱいに吸うと、すっかり馴染みとなったこの匂いは、のちに訪れる至福を約束してくれたし、通りしなにチラと見ただけでも、自由労経営のコーヒーショップならではのパッケージと豊富な品揃えは、いつでも味覚をそそられ、目にも楽しい。
唐突に、向かいの生活雑貨コーナーの店先に置かれた観葉植物から漂ってきた匂いに振り向くと、はじめて嗅ぐそれは、デジタル
そうして行くての先ざきに現れる
配給食器にはない、セトモノやガラスといった、はかなげな素材でできたお皿やカップは、まるで向こうからねだるように、こちらの手の中の居心地を離れたがらないから、うっかり持った手を離したときに起こりえる悲劇の予感にゾクッとする。
この色とりどりの模様で流れるように染められたガラスの花瓶の類が、いまだに天然自然のものじゃないなんて、ウメコには、とても信じられない。子供の頃、ガラスというものを、てっきり湖という森の中の水源地に、きまって沈んでいるものと、アタマから信じこんでいた。そうして花瓶というからには、花を挿すため水はおのずから溜まるものなのではないかと、不思議がって底をのぞいてみたりした。
隣に移ると、こっちの電系店は、さっきの雑多な店とは違い、キチンと整理され規則だって陳列されていた。ジャンク品の取り扱いもなく、残念ながら電池も、スカラボウル仕様のバグモーティヴ用のものしか扱っていないけれど、奥にはチャッターボックスのラジオ波受信機やメモリー再生機だの、いろいろ取り揃えてあった。ここはチャッターボックスの公認ショップなのだ。
自由労たちは、個人での情報発信を推奨しているから、そのためのラジオ波受信や送信のための機器や、部品、工具が揃っていた。
どうせ配給されるから、普段気にも留めないものなのに、スパナだのペンチだの、改めて商品として並べられた工具の数々を見れば、無駄だとわかってても欲しくなってくるのは不思議だった。
ステレオシステムなどは、さすがに作りが安っぽい気がしたけれど、連合企業のものにはない複雑な機能があるのか、ボタンやトグルスイッチ、ツマミが沢山ついていて、ウメコには一体なにを調整するのか、まったく見当がつかない。
学労時代、バグモタ学科の操縦専攻で電気仕掛けの科目はあったから、多少の知識はあるウメコでさえ、てんでわからないのだ。わからないのは
それからやはり、どこに、なんに使うのか、使用用途がまったくわからない部品、回路の数々、見たこともない規格をつなぐコネクターや、彫金を施されたプラグ、それら大小さまざまなものを、大事なコレクションみたいに陳列してあるのを見ると、それまでの価値観を揺すぶられて、こんなものでさえ魅力的で、貴重な宝物のように見えてきた。
わからないものほど、なんだか魅力的に思えてくるのだ。するとあのステレオシステムも、未知のテクノロジーの
それから、さすがにこれは用のないはずと素通りしようとしても立ち止まってしまう、あの並んでへばりついた、丸い甲虫の背中みたいに何周にも巻かれたコードが、壁のラックに納まっている、あれをみるたびいつも、百年巻かれた呪縛を解くように、勢いよく、くるくる引き取って、一斉にほどいてしまいたい衝動にかられる。
そうして、用がないなどという愚かしい考えを捨ててしまえば、店の奥に貴金属かなにかみたいにケースにしまわれた、何を計るのか見当もつかないメーターのひとつを買って、意味もなく小梅のコクピットに取り付けてみたら面白いだろう、という奇想にとりつかれた。きっとスカラボウルには、このメーターで計れるものなんて、どこを探したって存在しないにきまっているのに。
向き直って、趣味雑貨コーナーは、来るたび必ず覗く。ウメコの好きな店のひとつだった。ここも目当ての電池が流れてきそうな品揃えだったから。
店先には、どこか哀れに吊り下げられたキーホルダーだの、粗悪な防虫スプレー缶だのが所せましと並べられ、データディスクやメモリーが箱に乱雑に詰め置かれ、退屈をもてあましたとしか思えない想像力から生み出された
これらのフィジカルな少女フィギュアたちは、通るたびいつでも笑っている。
それを、隣のトランスヴィジョンから抜け出して、ホログラム投影台から顔を出した、脳トロンマスコットの捨て子のビットベイビーたちは、お気楽な身分だと
それが、ウメコが来たとみるや、生意気なビットベイビーたちは、『ばぐらーノうめこ、ばんぐらーノうめこ、ぼんくらーノうめこ、ぱんくらーノうめこ』と口々に
そういう程度の低いホログラムに限って、トラビ上で繰り出したパンチも通り抜けて当たらないから、頭にくる。
それでもボーナス出たての気前のよさで、ウメコはトラビからそいつらに1ポイントづつ投げてやった。
『けちナうめこガ!?嘘ダロ?』
すると、そのなかの一つが、レベルアップしたらしく、一気にキャラクターの解像度があがった。『うめこアリガトナ!』
やっと静かになったところで、ウメコがここで興味があるのはデータなのだ。
ビットベイビーのためのホログラム投影台の並んだ、横の荷台の箱の中に、無価値の烙印を押されたように、ジャンク品データがギッシリ詰まっていた。この中の音楽、映像のデジタルレコードディスクやメモリーのジャンク品は、みな捨てられるように地球から送られてきたものだった。
自分がこれらを発掘し、眠ったデータを起こさなきゃ、誰にも知られず、ふたたびこの先百年は眠り続けるのだと想像してみるだけでも、ウメコはゾクゾクする。
けれど一つ2ポイントで買えるこの荷台の中のレコード品で、ウメコは幾度となく失敗していた。いくら埋もれたデータを発掘しようが、クズはクズだった。ここでする買い物は、ほとんど賭けに近い。個人音楽家のものや、バンド形態名義のもので、まずろくなものはなかった。
けれども特に古めかしいオーケストラ形式などの、クラシック音楽と呼ばれる、交響曲だの協奏曲だの、チ短調だのト短調だのヤカン調、フ長調、などと記されたものがあれば、しめたものだ。その類のもので失敗はなかったから。ただそんな掘り出し物はここでは滅多に出ない。
掘り出しもの
フーンと、部屋を飾るための絵画パネルを見れば、自分でも描けそうなものだし、風景写真を眺めてみても、合成景色で見たことがあったようだし、前世紀の映画俳優のポスターでさえ、地味で、しけた笑顔に見えた。
5ポイント程度で買えるこんなものさえ、
ボーナスが出ただけで、こんなに価値が逆さまになるものかと、なんだか自分が頼りなくなってきた。ウメコは性に合わないリッチ気分をやめた。
気分転換でウメコは思い出す。部屋の模様替えをしようとしていたことに。それには理由があった。
ウメコのここ、二、三日の問題は
三日前、呼集を受けウメコは<ベロ>に出社した。クラックウォーカーの配色デザインに関する企画会議だった。会議といったって、ガレージのベンチでの井戸端会議みたいなものだ。これからの<ベロ>のデザインコンセプトの検討や、流行の色についていろいろ話された。
これからのデザインは調和だけではすまない、衝突させるのが肝だという。それでウメコが呼ばれた。「衝突のアドバイザー」として、奇抜な発想を求められた。
小梅のチューンナップのことで呼ばれたのだと、急な出社要請にもかかわらず喜んで
なにしろこれから流行りのモンドリアン迷彩とやらは、「コンポジション」が重要らしい。
小梅のリペイントで<ベロ>の社員から提案された、やや奇抜に見えるそのデザインを、ウメコは即座に却下した。組合の指導が入りそうなのと、8班のカラースキームというのも不文律としてあったので、なによりレモンに合わなくちゃならないから、それにウメコには、会議でしきりに飛び交っていた「コンポジション」とやらが、よくわからなかったのだ。
見せられたサンプルは、ちょうどさっきすれ違った自由労の女の子が着てたツナギの柄みたいなものだった。そうして、これがダメなら気に入るパターンを考えてくれ、というのだ。すでに小梅の配色を変更するのは決定事項らしかった。
冗談じゃない、個人や所属で勝手に決められることじゃありません、とウメコは突っぱねた。組合の名前を出し、それでもそこをなんとか、と<ベロ>の社員は詰めてくるから、最後はウィキッドビューグルの名前を出して、やっと白紙に戻した。
けれど所属企業の仕事とあらば、おろそかにもできないので、あれから、いろいろ考えてみて、ちょうど部屋の模様替えにコンポジションとやらを試してみるのは、うってつけだと思った。
ウメコのユニットルームの殺風景な内装、塗り重ねられた白い壁はとっくにくすんでいた。いままで通り壁にペンキを直塗りして試すのは簡単だけれど、修正が面倒なのは、なるべく避けたい。
壁紙なんて気取ったものは、ここにあるはずもない。ジャンクハーバーは無論のこと、
じゃああの壁掛けのポスターに描かれたみたいな、配給缶詰の大小を上手く組み合わせて並べて貼っつけてみたら、これはコンポジションになるのかしら、とか考えてみたり。
トランスヴィジョン以前のディスプレイ、トランストロンじゃないコンピューターなんてものもあって、さっきのメーターでもいい、それこそ用のないモノを置いてみる。けれどウメコの殺風景な部屋に置くには、上手く調和してしまって、つまらない気がする。
ウメコは、ますますわからなくなってきた。
そう見ると、さっきの部品やら回路はあれだけでコンポジションだったような気がした。ウメコはあの複雑な配置を思い返すだけで、チンプンカンプンになって、アタマが痛くなってきそうになる。
いい加減コンポジションに疲れたウメコは、興味の視点を転じた。
すると目は、やはり音楽再生機の数々に奪われる。その整列は無音のパレード。それらは、ここでじっと何光年も先から、データを送り込まれるのを今か今かと待っているかのように置かれてある。でなきゃ、音速を超えて、ずっと先まで行ってしまったデータに追いつかなくて、あきらめて、こんな辺鄙な土地に流れ着いたとでもいうような佇まいで、それらはウメコの目に映った。
ウメコはずっと銀盤ディスクの再生機が欲しかった。音楽データをトランスヴィジョン端末で読み取って再生しても、どこか味気ないのだ。ボーナスで買えないこともないけど、先々のことを考えたら、簡単には手が出ない。
あきらめて、ポップミュージックの銀盤ディスク音源の、めくるめく背文字の色彩と素敵なお題目の配列に目を転じた。店先のジャンク品とは違う、ちゃんと棚にしまわれた、安いものでも20ポイントはする、ケース入りの値のはるモノだった。ウメコの音楽ライブラリーの中の、大事な音源のほとんどは、ここで手に入れた。
銀盤はあとでじっくり探すとして、隣の棚に目を転じる。
紙の文字本が、ぎっしり詰まっている。いっちょまえに腕組みなどして、立ち止まってみるけれど、その神妙な佇まいに息苦しくなって、少し目をズラして、コミックブックの背表紙でホッとした。
映像作品の<レモネードランナー>の原作コミックが表紙を前に置いてある。映画は、イーマに教えてもらってウメコも好きになったものだった。興味は持ったけれど、50ポイントもした。
隣は、ただの紙のノートの山。その隣は紙に書くための色とりどりのペンの列だ。
それから文字を書くためのものではない、とりどりの
さらに雑多な隣りの棚には、虫霧禍のスカラボウルで、ないよりはマシなただのゴーグル、卓上貯水器、3Ⅾヘアカッター。探している電池は見当たらない。ここまで見て、ウメコが唯一手に取ってみたのが、手のひらに乗るほどの、カプセルの先っぽを寸断したような、半球形の透明ドーム状の置物だった。
その、ドームにつめた水の中の庭に立つ小さなおうちは、振ると、まるで虫に見立てた細かな塵が水の中でふわりと散って、卓上でスカラボウルを再現できた。
これはきっと輸送船乗組員のための、地球帰還への土産品ではないか、とウメコにはピンときた。「スノウドーム」などとキレイに名付けてあったところをみると、やはり「スカラボウル」とは、この土地でしか使われていない蔑称なんだと知れる。
スノウドームとやらの、雪といっているけれど、実は虫に見立てた塵が、ドームの中の庭にすべて落ちてしーんと収束したとき、ウメコははじめて違和感に気づいた。というよりも、いつも感じるザワつきを、今日は感じないことに。
ここでは、てんでバラバラの物品が、時代や場所も異なる所から集められ、ここでひととき留め置かれたモノたちは、いつだって安定も調和もしないはずなのだ。
仕切り違いの棚で、色や形に合わせ、こっちの思惑で配置しようとしたって、ひとときたりとも、それぞれの来歴と行く末を放射させて、けして枠の中に収まろうとしない乱反射で、いつも勝手な存在を主張してきた、混然一体となるのを嫌がったこいつらは、それぞれが逆方向へ個性を解き放った挙句、周り回ってぶつかり合って、観念したように、ここに納まっていたはずなのだ。
ウメコにはこれが居心地よかった。つねに取っ散らかっていると、どこか
しかしウメコはいつにない違和感を今日感じていた。そうじゃなくて、いつもの違和感を感じなかったのだ。
なにかがいつもと違うのだ。そこにはいつにない調和があった。
いつもの雑然さが、今日は不思議な抑制をきかせて落ち着き、それぞれが勝手な方向へ主張するのをやめ、騒がしく八方へあたり散らす色合いが、今日は大人しく一つの方向へ収束していた。
ふと目についた。
それは、棚の隅に置かれたレモンだった。
そのたった一個のレモンが、それぞれ勝手な主張を吸収し、バラバラな個性や主張をいったん一つにまとめてから、再び放出しているようなのだ。
我らがレモンドロップスの班旗は、輪切りのレモンだけれど、この
そのレモンを手に取ってみた。
それはよくできたソフトビニールの模造品だった。
まるで空気のように軽くて、手に取る寸前まで想像していた重さのせいで、つかんだ手の力は勢いあまってレモンの残像を見せた。そして、やけにしっとりしていた。ウメコがかなり以前に見た本物は、もっとツヤツヤした印象だった。
――なんだニセモノか――つまらなくなった刹那、さっきまで収束していたこの部屋のいつもの雑多な色どりが、一気にウメコの視界に戻ってきた。
――これなんだ!――カンカンガクガクとして主張をやめない物々しいモノどもは、
――これは、ニセモノのレモンを手にして萎えた私の気分のせいなんかじゃない――
――でもこいつなんだ――このレモンが、たったいままで、この部屋のムードを、玉座に座るがごとく支配していたのに違いなかった。ニセモノのくせにだ!
ウメコはレモンがニセモノとわかったいま、もう一度、置いてあった場所に戻してみた。
すると再び物モノは、それぞれの個性の放射をレモンに吸い寄せられ、たちどころに、絵の中の構成された調和と化してしまった。
ニセモノのくせにだ!ウメコはあたかも自分まで、これら物モノと同じように個性を吸い取られるのを怖れるかのように、置いたレモンをさっと取り返した。
争乱は戻ってきた。
――この形なんだ。
ウメコはひとりごちながら、その模造レモンを手にしたまま会計に向かった。さながら治安の特殊班のように、仕掛けられた不審物を回収した気分だった。
せっかくの調和もこれで台無し。自由労と、連合労民すべての
ウメコはもう電池探しや音楽メモリー漁りの気分ではなかった。