第32話 沈黙はPなり

文字数 4,154文字


 トミコは、肩越しに持ち手を握ったバッグを背中に提げ、もう一方の手首に被せて持ったトラメットをちょうどウメコの眼前で回していた。

「そっちこそ、調子悪そうだぞ」ウメコは軽く応じた。

「ノルマ下回った。これで三日連続だ」トミコはボヤき、ウメコの隣のスツールに荷物を置き、隣に腰かけ、テーブルにもたれた。「あーあ、疲れた」

「班長いた?」ウメコが訊いた。

「いるよ」トミコは気分を切り替えたように、さっと身を起こした。「ねえ、なんで今朝、始末書出したの?報奨もののお手柄じゃないのかい?」

 このことは、トミコに限らず班員全員が疑問に思っていたけれど、すぐにイーマが話を打ち切って申し送りに入り、暗黙裡に、ウメコに事情を話させない、または聞き出すな、という空気を作り上げてしまったから、あれっきり、話は打ち切られていた。

「昼間の連合の報言(ニュース)映像観た?」その応えとばかりにウメコは逆に尋ねた。

「観てないけど、なんで?」トミコは、ウメコの前の卓上トラビを覗き込んだ。「それかよ」

 ウメコは始めから再生させた。「エクスクラムの宣伝だよ、ほとんど」

「なに、やっつけたってのウソなのかよ」

「やっつけたよ。正確には一機と半分ってとこ。保安労に助けられたけどな」

「じゃなんで始末書出すんだよ」

「これ、わざわざ虫霧映してるだろ。トランスヴィジョンなのにだよ?変だと思わないか?」

「え?まあ確かにね。でも虫霧濃度薄いからだろ。たまにあるだろ。補正しなくてもよく見えるもん、これ。そのままの方が迫力が伝わってくる、あんたの奮闘が。へえ、やるな」

「そのままじゃないんだな」

「なんだよ、どっちだよ、倒したんだろ?」

「違うって、まあ見てみな」

 ウメコは、横に置いたトラメットのバイザーを覗き込みながら、サイドパッドいじくり、卓上トラビに向けてデータを送信させた。昨日のハッチの上からのトラメットのカメラ映像だった。

「これがどうしたの・・・」

「よく見てみなよ。虫霧がカーテンみたいに背後に見えるだろ。これ、トラビの合成かかってない生の映像だからな。切れ間の中なのさ」

「切れ間・・・!ウソだろ?かなり広いよ、これ」

「だからめずらしくてコクピットから乗り出して見てるんだよ」 

「こっちの方が話題になるだろ。送ったら?」

「バカ。トランスネットで捉えてるだろ」

「だけど、ここまで生の映像にはできないだろ」

「隠してんだよ。いろいろと。さっきの報言(ニュース)映像観たろ。わざわざ虫霧を合成してんだよ」

「なんで隠すんだよ」

「こっちが知りたいよ。捕まったやつらが主張してるらしい。なんて主張してると思う?私が大量殺虫して切れ間を作ってたって、それで私をとっ捕まえようと襲い掛かったんだと。バカかっつうの。そんなの調べりゃすぐわかることだろ。だいたい外労連が虫を守るとかよ、ふざけるなっつうの。やるとしたらあいつらだろ。なのにこっちが始末書かかされるんだ。ま、多少の違反はしたんだけどさ。だけど別にたいしたことしてないよ!けどまた謹慎覚悟しとけって、言われたよ!」

「くだらねえ、またいつもの自作自演説だろ。昨夜のビトーのチャナスカでも、ネタにしてたな。なに、じゃあ上が外労連の主張を真に受けてるのか?バカか。フツーに考えたら、いつものアンチネッツの仕業だろ。でなきゃ連合が関わってたんじゃないのか?」

「それは思ったけどね。だとしたって別に隠すこたないだろ。計画殺虫なんて昔はよくやってたよ。それに報言(ニュース)ではやたら私を持ち上げてるだろ、エクスクラムだからわかるけど、自由労の報言だって、バカにしつつも、私のこと持ち上げてたりな。なのに昨日は私は班長から怒られるし、班長も支部長から怒られたらしいし。同じエクスクラムなのにな」

 画面の中のウメコは、ハッチから縄梯子を垂らしている。幻の蝶を捕まえようと、降りようとしているところだった。さすがに、画面上に映らない蝶のことを話すことは(はばか)られた。自分のバカさ加減をさらすことになる。トミコなら信じてくれるという確信はあったけれど。

「いちいち面倒だな」トミコは呟いた。

「いろいろ調査しようとしてたんだよ」ウメコが、幻の蝶のことを話すか話すまいか、ためらっていたとき、他班の捕虫要員(バグラー)が寄ってきた。
 
「あいかわらず、話題にはことかかねーな」

 9班<パンチ・アンド・ハンチス>のリアコ・タラバガーニと、7班<娘伊達(むすめだてら)トコナツ組>のコマコ・ヒナーラレだ。そろそろノルマを終えたバグラーがチラホラ集まり出す頃合いだった。声を掛けたリアコは、二人と<なやこ学所>で同期だった。

「なに観てるんですか?」二つ後輩のコマコが訊いた。

「昨日の<小梅>からの記録だよ」ウメコは振り返った。

「そういや保安労の男たち、ムカついてたぞ」リアコはトミコの荷物の上に自分の荷物を乗っけて言った。

「私に?お門違いだよ!自由労にだろ」

 画面は、小梅のメインカメラが撮っていた、切れ間から虫霧の中へ向かって走っているところだった。  

「結構スピード出てるな」リアコが覗き込んだ。

「これ、クラック違反だろ」トミコは少し身を引いて頬杖ついた。

「ノルマの虫も使ってるからね」とウメコ。

「いろいろギリギリだな」リアコはあきれ気味に呟いた。

「でも緊急事態でしょ。仕方ないですよね」コマコが言った。

「敵はクラック銃で撃ってきてんだ、必死だよ」とウメコ。

「こんなんでよくやっつけたね」リアコは感心して言った。

「ほら、虫がいないだろ。だから誘虫剤(バグラブ)使えないしな」

「は?トラビだろ?」リアコは目を見開いた。

「虫の切れ間だよ」とウメコ。

「切れ間!?」

「なに、どうした?」ちょうど通りかかった、2班<グラマラス・クラマラス>のキーワ・ミゾレーニが、声につられて覗きに来た。

「ウソでしょ?こんな大きな切れ間ありえない」コマコも呆気にとられた。

「トラビじゃないの・・・・?」リアコは顔をウメコの横顔へ近づけた。

「奥に虫霧が映ってるだろ。これからが見ものだよ」

 画面は、小梅がスピッターから虫霧へバグラブを射出し、虫の群れを誘引して釣りあげ、外労連のバグモタへ取りつかせるシーンへと展開していく。

 その場に集まっていた、捕虫要員(バグラー)女子たちは、息をもらし見入っていた。虫の大群がバグモタの機体を侵食と破裂で徐々に動きを奪っていく様子を、虫霧のベールはおろか、トランスヴィジョンによる補正もなしの映像で観るのは初めてのことだった。

「すげえな」さすがのトミコも声をあげた。

 あらためて確認したウメコも含めて、一堂が、映像の迫力に声を失った。

「こりゃ大手柄だわ。騒がれるワケだな」キーワはウメコの肩に手を置いた。キーワはウメコらより一つ先輩だった。

「ボーナス出るんでしょ?おごってよ」リアコがウメコを小突いた。

「ボーナスどころか、始末書案件だよ!」ウメコはトラメットを取って立ち上がった。「報告してくるわ。謹慎はないらしいけどな」


捕虫要員(バグラー)仲間のおねだりをかわして、ウメコは班事務室のイーマの元へ報告へ行くと、予想外のことを告げられた。

特別配給(ボーナス)出るらしいよ」

 ウメコは抑えきれない笑みをこぼして訊き返した。「ホントに?」

「ああ。ただし、あんたの脳トロンマスコットの記録を消してもらうのが条件。映像の方は向こう(トランストロン)でやってくれるけど、一応、マスコットの方はあんたの許可取っておかないと」

「小梅の記録を?」途端に表情を曇らせてウメコは訊いた。「昨日の分だけ、ってことだよね?」

「そういうこと。たった一日分のデータだよ。初めてじゃないだろ?なにも変わりはしないよ」

 そうかもしれない。だけどウメコには、たった一日といえど、その短い時間の積み重ねでもって、小梅のキャラクターを育ててきたのだから、たとえ、一分一秒でも、かんたんに記録を消したりというような細工をするというのは、マスコットの尊厳というより、なにより自分の心に(もと)る気がして嫌だった。たった一日くらい問題ない、これを繰り返していては、キリがない。それに、やはりこれは隠蔽であることが、この条件ではっきりした。それに対する不信感も、ウメコの返事を重く詰まらせた。

「昨日の切れ間をどうしても公表したくないみたいだね」ウメコはボソッと言った。「あれが外労連の仕業なら、なにも隠す必要はないんだ。けど隠してるってことは、連合の仕業なんだ、そうでしょ?」

「私が知るもんか。秘密にしたい何かがあるんだろ。別に、ただの企業秘密じゃないか」

「これだから、非捕虫圏居住民(アウトネッツ)が増えるんだよ」

「同調するかね?」

「するもんか」突っぱってから、ウメコはふいに思い出して言葉をついだ。「そういえば、バックパック、ありがとうございます。1週間くらいかかるらしいけど、必要なときは・・・」

「いいよ。で、どうするんだよ。ボーナスいらないのか?」

「いらない、と言ったら?」

「オマエが?冗談だろ。どのみち脳トロンの記録は消されるんだよ。どうせ強制執行するんだから。そんなの決まってんだろ。そんときゃ、ついでに無駄なものも消されてしまうかもよ。過去にいくらだって例はあるからな。もらっときな」

 イーマは本件の特別配給に関する、トランスヴィジョンのページを開いてみせた。50000(ポイント)と記されてある。「ほら、ハンコおしなよ」

 ウメコは、喜ぶ気持ちはありつつも、どこか渋々、トランスビジョン上に示された特別配給(ボーナス)の領収書に、ポケットから取り出した<濱納豆>と刻印されたデジタル印鑑を画面に向けて転印した。

 毎度ながら、記録を消されるのは、いい気がしなかったけれど、ボーナスと引き換えの今回は特に、なにか小梅の一部を売った気がして、後味の悪い心持だった。

「じゃ、始末書もなかったことになるんだよね。謹慎もないね」

「始末書は受理されたよ」

「なんでよ!」

「違反は違反だろ!これはあくまで、外労連(げろうれん)捕縛の評価だよ」イーマは、トランスヴィジョン上の手続きに指を動かしながら、チラとウメコを見て、探るような口ぶりで訊いた。「切れ間のこと、話してないよな?」

「うん、まだ・・・」

「ま、いろんな情報が飛び交ってるからな、もし間違って出回ったりしたら、やっかいだし、大丈夫だとは思うけど、せっかくのボーナス取り消されたら勿体ないから、黙ってなよ」

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