第36話 ウメコとワイナのコンポジション・2 チャッターボックスの、あのひと

文字数 3,012文字


 2)チャッターボックスの、あのひと

 ウメコがチャッターボックス社のユニットビルを見上げたとき、その日、非番のワイナ・アオリィカは、そのビルの3階にある、ラジオ波送信の制作室に、自ら作ったコメディ台本を売りこみにいって、メッタメタに酷評され、しょげ返りながら階段を降りてきたところだった。

 制作部門の責任者であるケッタ・シミドフに、自分で書いたコメディ台本や寸劇を見せ、その一部(さわり)を演じてまでみせたのに、クスリともされなかった。組合の地下食堂で()れば、いつも爆笑必至のギャグまでブチ込んだのに、それにもまったく反応されず、しかもその最中、ケッタはコンピューター端末に目を置いたまま、ワイナの方にはほとんど目線をくれなかった。

 ――あないなダメ出しされたら、誰かてへこむわ――

 こんなん言われた。どこか連合労民の余裕が感じられる、だの、狭い空間に向けた演出、だの、独自性が足りない、だの、配給がない生活を知らないからネタがウソくさくなる、だの、そもそもがウソ、だの、自由労になるのに、なんで許可いるの?コメディとはいえ、連合の宣伝入れないで、だの、それが目的じゃないよね?だったらもっと魔女を悪く描かないと、だの、品行方正の笑い、だの、自由労には鼻につく、だの、苦労を知らないからできるネタ、だの、所詮は配給笑い、だの、連合労民に、自由労の求める笑いは無理、だの。勉強のしすぎなんじゃない?開拓事業の、だの、連合の無駄な知識は全部捨てないと、だの。あーだの、こーだの・・・。

 そない言わへんでも、と泣きそうになった。さんざんな評価だった。ケッタの、普段のラジオ波では聞かない厳しい口調にも、ワイナは戸惑いをおぼえた。せやけど、これは本気で向き()おて評価してくれはった態度なんやから仕方(しゃあ)ないと、そこはなんとか耐えて聞いていた。自信があっただけに、心底悔しかった。

 それは自由労にあこがれる連合労民の、ドタバタ劇だった。

 自由労になるには、ウィキッドビューグルの許可を得なくてはならないと聞いて、その審査には必須となる素敵な音楽を披露しようとするけれど、真面目に楽器を演奏するより、ついついおかしな動作で演奏することに熱心になってしまい、それをウィキッドビューグルが笑うものだから、ますます調子に乗って、演奏そっちのけで面白おかしく動きまわってしまう主人公が、何度も審査を受けては大爆笑をさらうものの、そのつど落とされ、でもウケたから大満足して、むしろ許可されなかったことに、これでまた披露の場があると、ホッと胸をなでおろし、いつしか自由労になるより、笑わすことが目的となってしまった主人公の悲喜劇だった。

 これは前提として、まず主人公の動作やギャグが、客に面白いと笑われなければ、まったく成立しない台本だった。それで最初っからつまづいた。あとはまったくの空回りだった。

 肩を落として制作室を出たとき、廊下のベンチで煙草を吸っていた、あのビトー・ゴマドフに出くわした。

 あこがれの存在だった。ワイナは、チャッターボックスで繰り広げられるビトーの話には毎度のこと笑い転がされていた。子供の頃から大好きで、大人になってからは尊敬の念さえめばえ、まったく心酔しきっていた。実際に、生身の姿を目にすると、おそれ多く、近寄りがたさを感じたけれど、沈み切った気分は、怖いものも忘れて、思い切って声を掛けることができた。

「チャナスカ、いつも聴いてます!ウチ、チャッターネーム<憂神紅(ユーシンク)蒼来人(ソーライト)>なんです!」

 いつかビトーさんみたいな自由労になって、チャッターボックスでしゃべりたいんです、と言って、握手をしてもらった。よっぽどビトーに、書いてきた台本を読んでもらいたかったけれど、あえてそのことは言わなかった。それがビトーの担当でないことは知っていたし、チャッターネームを告げた以上、常連であることを知るはずのビトーが、自身の信望者であるワイナに厳しい評価を下すのは、きっと心苦しいはずや、と(おもんばか)ると、とてもできなかった。

「自由労になりたいっていつも書いてる子?そうか姉ちゃんがあの捕虫労の子か。あれな、やめといたほうがいいぜ。若いうちは開拓労民でいたほうがいいって。ここだけの話だけどよ、自由労なんて生易しいモンじゃねーんだから。夢だとか希望だとかな、自由労だけの特権だなんて思ってちゃダメだぜ。虫捕りしながらでも見る夢の方が、案外いい夢見れると思うよ。クラック虫だってな、知ってるか?あれ、夢見るんだぜ、でなきゃ破裂なんてできるわけないんだから。あの瞬間はさ、生きてるときより最高に夢心地な状態になってだな、喜んで破裂していくらしいよ。神様から破裂と引き換えに与えられたんだってさ。夢見ることをさ。でも破裂しなきゃ夢も見れないからな。そのために姉ちゃんたちは捕まえてやってる、くらいに考えなきゃ、やってられないだろ」

 ビトーは言って、タバコを灰皿の上にもみ消し立ち上がった。「じゃ、またな。頑張りな、姉ちゃん」

 ありがとうございます!と言って、組合のお偉方にさえしたことのないような深いお辞儀して、顔をあげたときには、ビトーはドアの向こうへ消え、一瞬見えた、影の落ちた背中の印象と、あとにはタバコの匂いが辺りに薄っすら残っているだけだった。ワイナは感激のあまり、ボーッと立ちつくしていた。自分より小柄だったことを以外に思ったのは、しばらくたってからだ。


 夢から覚めたように、大きく息をついたら、一気に脱力感におそわれた。ビトーに会ったことの緊張感は、さっきの落ちた気分をも、まるごと呑みこんでしまった。ワイナは極度に疲れを感じたけれど、気持ちは軽くなっていた。
 
 恥ずかしさもかなぐり捨て、やるだけはやった、チャレンジした自分への満足感だけは、いま確実にあった。大体あんな張り詰めた空気の中での寸劇(コント)披露など、オモロいモンもオモロなくなるっちゅーねん、と状況にたいする不満も噴き出てきた。けどしゃあないな。
 
 しかしなによりビトーにも会えたことが、ワイナにとっては、最大の成果だった。――声かけてもろただけでも、ジャンクハーバーまで出て来た甲斐あったわ――

 あとは次の発想へと向かうために、前向きになることや、とトラメットを被ってドアを開け、除虫スペースでバイザーを下ろすと、気分を変えて外へ出たワイナの視野のトランスヴィジョンの、目も眩むようなこの街の景色の中に、背景を透かして、見慣れたツナギ服に身を包んだ、先輩のウメコ・ハマーナットの後ろ姿が目に入った。補正された姿ではなかったが、すぐにそれとわかった。

 ワイナの気分は、たちまちのうちに、ついいままでの興奮や落ち込みなど吹っ飛ばして、いたずらな好奇心でいっぱいになってしまった。

――こんなとこで、なにしてはるんや・・・ノルマ終わったんやろか・・・サボってるんとちゃうか・・・・?――

 これはまたウメコをネタに話を作れるかもしれへん。それに、数日前の組合の食堂でのトミコらとのやり取り、それとなくトミコやリアコに聞き出そうとしたけれど、どちらからもはぐらかされていた。あれもまだ、ワイナの中で未消化の話のネタとして、ジッとひねり出されるのを待って、便秘のような居心地の悪さで頭に残っていた。

 あれと合わせて、なにかオモロいネタができるかもしれへん、とワイナはこっそりウメコのあとを尾行(つけ)ていった。

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