第11話 対虫スプレー

文字数 2,215文字


 非武装捕虫要員(ストロベリー・アーマメンツ)のバグモタ乗りが、無登録の非合法バグモタと対峙するとき、携帯を許可されている警棒よりも有効な撃退方法があった。通常、利き腕とは逆の前腕に据え付けて(マウントして)ある対虫噴き付け(スプレー)射出器<スピッター>の利用である。

 小梅の左腕のスピッターは、てんとう虫型のポピュラーなタイプで、てんとう虫表面の五つの黒点のうち、真ん中を除く四つの黒点に設けられたソケットにスプレー缶を差し込み、ちょうど口元の部分にあたるところが長く伸びたノズルから、各種対虫溶剤を噴射させるのだ。三種のスプレー(誘虫剤(バグラブ)除虫剤(バグダム)殺虫剤(バグデス))は、一般配給のものとは違い、対虫効果がより強力で、缶のサイズは(ベリー級クラックウォーカー用で)全長が60cmもあった。

 主なスピッターの用途は、捕虫の際、高いところに群がって飛んでいる高クラック虫を、捕虫喇叭の届く位置まで誘虫剤(バグラブ)でおびき寄せるためと、その前段階として辺りの低クラック虫(おもに雑甲虫)を、除虫剤(バグダム)で追い払うためだ。殺虫剤(バグデス)捕虫要員(バグラー)が使うことはまずない。(また、捕虫用途の他に、先に記した、虫霧煙幕の射出などもある)

 いま小梅のスピッターには、バグラブ2缶とバグダム1缶が差し込まれてある。他に予備のスプレー缶が左腰のホルダーにバグラブとバグダムが1缶ずつあった。ウメコは予備のバグラブ缶をホルダーから外し、スピッターに空いた残りの黒点のソケットに差し込んだ。

 このスピッターを攻撃手段として使うわけである。

 ここで使うのはバグラブだ。こいつを敵対してきたバグモタに噴きつけ、機体を虫だらけにして動けなくしてしまうのだ。
 
 これの訓練をウメコは学役時代から、捕虫労への配置過程でさんざんやった。バグモタ乗りの捕虫労には必須の技芸だった。精神の鍛練を目的とした古式捕虫術と違い、こちらは実際的な虫捕りと、防衛のための訓練だった

 ウメコは義務労2年のとき、捕虫労運動会セグメント8区の予選で、スピッター射撃試合で三位になり、本大会義務労の部で五位入賞したことがある。それ以降は、スピッター競技への情熱が失せ、出てもたいした成績を残せなかったけれど、毎日の捕虫で操っている手慣れたスピッターだ、バグラーなら誰しも腕におぼえはある。

 しかし、虫がいなければ、スピッターは役に立たない。

 ここは虫の切れ間だった。いつまでもこんなところにいては、いくらバグラブをお見舞いしたところで、なんの効果もない。相手がクラック銃を持っている以上、さすがに捕虫網の柄だけでは対抗できない。非武装連帯ストロベリー・アーマメンツにとって、捕虫補助器具であるスピッターでの攻撃こそが必至の抵抗手段なのだ。

 とにかく一刻も早くここから抜け出さないとまずい。あの蝶を発見されなかったことはなによりだった。それを避けれただけでも、まずは及第点。しかし油断はならぬから、(おとり)になるのも辞さない覚悟で進路をとる。そのためには虫霧まで多少距離が延びるのはやむなしだ。そしてウメコはさっき紅眩暈虫(くれないめまいむし)を少しでも補給しておいたことは正解だったと、あらためて己の虫運にムシシとなった。しかもいまは捕虫労務違反を堂々と二重に犯し、贅沢にもノルマの高クラック虫を小梅に補給しているのだ。けれどその違法行為も非合法バグモタの出現で正当化されるだろう。


「ほら小梅、紫焦虫(むらさきこがしむし)補給しててよかったろ」

『普段カラモット栄養ツケテクレナイト、機動力ニ支障デマス』

「そんなこと私に言われてもどーにもなんないよ!」

 しかし言われてみると、最大限の機動力でガシガシ動いているようだったけれど、小梅本来のポテンシャルなら、もっと可動がスムーズなような気もした。それに、いまだ機体有効能力の数値も上がりきっていない。

 気づけば小梅と非合法バグモタとの距離がどんどん縮まっている。不気味なことに、背後をつき切れ間の中を真っすぐ飛び込んでくるかと思いきや、小梅と並走するような進路をとって、先回りして正面を塞ぐかのような気配なのだ。改造機とはいえ、小梅より3世代前の<草刈一式>が、クラック値を最大出力している小梅より速いのだ。

「どうなってるのさ小梅!追いつかれるぞ!」

『虫ガ引ッ張ルヨウデス』

 網の虫が小梅のスピ―ドを減速させているのだ!こんな状況もウメコは初めてだった。しまった、と迂闊(うかつ)な自分を責めるけれど、それだけではない。小梅も判断を見誤ったらしい。どうしたって、この速度で3世代前のバグモーティヴエンジンそのままのはずがなかった。

 レーダー上、赤く明滅する非合法バグモタは距離を着々と縮め、小梅のいる切れ間を示すゾーンに入りつつあった。小梅と虫霧の帳は最短であと、30m程の距離だが、非合法バグモタが塞ぎにかかるから、迂回せざるをえない。


 ウメコの被るトラメットのバイザー内トランスヴィジョン、3時の方向に、虫霧のベールの中、合成処理でかたどられたバグモタ・クラックウォーカーのシルエットが浮かび上がった。まもなくそのシルエットは合成画像から、実像の機影と変わり、同時に虫霧のベールをついて飛び出してきた!

 灰褐色ベースの虫霧迷彩を施されたそれは、確かにウメコも見覚えのある<草冠(クサカンムリ)>製のバッタベリー<草刈一式(クサカリイッシキ)>らしかったが、薬莢(やっきょう)ベルトをジャラジャラ垂らし、ゴテゴテとスパイク状のツノで機体をデコレートした悪趣味なバグモタの姿は、典型的な外労連(げろうれん)のバグモタ強奪犯、まったく見るも無残な姿だった。
 
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