第1話

文字数 945文字

人生の道を歩むのに道をあやまったり、道を忘れたり、簡単に辿りつくことは容易ではありません。でも、急ぐことはありません。しかるべきときに自分に与えられた「時・時間」があるものです。この話は挫折したりもがいている自分の話ですが何かそんな中に共感とはいえないにしても、少しだけでも身近な気持ちになったり、こんな私を受容してくださる方に出会えればよいと思い書きました。
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 1990年の春のことだった。

武道館で大学の入学式を終えて千鳥ヶ淵を横目に見ながら歩いてきたのに桜が咲いていたかどうかの記憶がまったくない。桜の名所でもあるこの辺りで、しかも時期的には咲いていないはずがない。いつも入学式には小学校、中学校、高校にいたるまで桜の木のそばで記念のスナップ写真を撮っていた。ところが大学の入学式は桜の木のそばの写真どころか一枚も入学式の記念写真すらなかった。

私は大学の入学に対して希望がなかった。自分の夢やこんなことをやりたいという展望もなかったし、自分自身に期待するほどの力も残っていなかった。

武道館で入学式を終えると一緒にいつも仲良くしている高校時代からの友人は「こっちが近いから」と靖国神社を抜けて法政大学の市ヶ谷校舎へ行くことを提案した。靖国神社も初めてだが「これがそうなのか」と大雑把に見てテレビなどで報道される靖国問題のことを頭にかすめながらもなかなか大きくて立派だなと感じつつ友達の後をついて行った。生まれて初めて履いた買ったばかりのハイヒールが足に痛い。つま先はジンジンするし足のかかとはすれて血がにじんでいる。姉と入学式のためにデパートへ買いにいったパンプス。一足五千円、「こんなもんでいいのよ。」と姉に言われ素直に応じたがもうちょっと履きやすいものを選べばよかったと大後悔だ。

入学式には高校時代からの友人が大勢いる。なぜなら、わたしたちは法政大学の付属校からあがってきたからだ。エスカレーター式といえばいいのだろうか。他の熾烈な受験戦争を経験した生徒から見たら、きっとえらくゆるそうな高校生活に見えるだろうが実際はそんなことはない。内部から上がるにしてもそのために選別される学期末の判定がある。
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