第6話

文字数 996文字

 そんな私は友人や周囲の人に精神的な病気を持っていることを話さなかったので卒業しても全くそんなことがあったなんて知らなかった、という知り合いが多かった。大学在学中に身体の変調をきたし入院することもあったが二週間から四週間くらいまでの幅で数回入退院を繰り返していたので誰も言わなきゃ気付かなかったのだ。精神病院に通っている、という自分を認めたくなくて障害の認定や障害者年金の受給は拒んでいた。私自身、このことは自分が当事者でありながら偏見を持っていることが分かり自分でも自分自身が情けなかった。昔から社会的ないわゆる弱者という立場の人たちへボランティアをやっていたので自分には偏見というものがない、と自負していた感があったが実際は違っていたのだ。また、ポロっと話した自分の病気の噂が広がって意外な接点のない人にまで知られていった経験を高校時代にしていたので二度と同じ轍は踏まない、と自己防衛本能が働いていたことも確かだ。

 学校生活は仲の良い友人もできて概ね傍から見たら上手くいっているように見えた。

 1994年の四月、今でも満開の桜が咲いていたことを覚えている。そしてそれはその日の気温の暖かさとぬくもりがさらに一層思い出を強く記憶に残している。その満開の桜が咲いていた場所は武道館や千鳥ヶ淵付近だ。自分の入学式のときに無感動だった時と同じ場所。また入学式という同じシチュエーション!
 私は1990年に入学して一年休学をしているのでちょうどそのころは法政大学の三年生だった。何故その三年の私がこの年の武道館での入学式に関係があるのかというと二つ年上の兄が専修大学に入学した。そしてその入学式がちょうど武道館であり、その晴れ舞台に写真などを撮ってあげるために付き添いでいったのだった。兄は高校時代の大学受験のころ、全く知らない高校の生徒八人に「がんつけている」と急にバス停の前で頭を中心に暴行を受け、蹴られたり、殴られたりした。そのため受験が思うようにいかず、とりあえず応急処置として入学が簡単な某アメリカの大学の日本校に入学した。しかし、本人には経済を学びたい気持ちがあって特に日本の大学に入りたい、と願っていた。そしてチャレンジした受験で専修大学に入学することになったのだった。兄の気持ちが理解できるから私も入学式についていってあげよう、と思えた。兄はカメラの前でニコニコして満足そうだった。
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