第11話

文字数 863文字

そして私が入院することになったのがロンドン郊外のアックスブリッジにある病院だ。三日間入院して、ちょうどゴールデンウィークにあたったので長女と次女が迎えに来てくれた。ゴールデンウィークという航空券が一番高い時期にブリティッシュエアウェイズで迎えに来てくれたのだ。姉たちも訳のわからない状況に神経を使ってヒリヒリまいになっていた。医師と話して妹を退院させたくても英語が高度で通じない。悩んでいた姉たちに私は気が進まない一枚の名刺だったが通訳会社の人の名刺を渡した。医師と私と姉たちとあの五十代の女性通訳者が入って話し合いが行われた。医師は家族も迎えにきて、病状も私が自分である程度コントロールできる状態となり、うまく説得する材料がそろったので退院を決定した。話し合いは二時間もしくは一時間くらいだったかもしれないが通訳料の請求は四十万ととても高かった。入院費は三日間で一五五二ポンド。当時で換算すると日本円で三十万ちょっとだ。大きいお金が私のために動いてしまった。この一連の大騒動でかかった費用は将来働いて返す、と約束した。

語学留学は失敗に終わり、ハーロウ校にもケンブリッジ校にも行かなかった。帰国して日本のかかりつけの病院に行くと主治医がイギリスで処方された薬は処分しなさい、と強い口調で言った。また普段通りの薬が処方されたがしばらくして入院する状態になり、薬の量は多く、また強くなり退院してからしばらくは一日中寝ているような日々が続いた。

法政大学で真面目に学生らしく学問をしてこなかった後悔が新たな意欲を学問に関して与え、語学留学以前の段階で私は次の進学先が決まっていた。学士入学で慶應義塾大学の通信制の文学部第三類というところに入学したのだ。しかし、イギリスから帰国後の入院で薬が強くなり、思うように勉強がはかどらなかった。初めての夏のスクーリングでイギリス文学をとり、張り切ったが一日ひとこま三時間の講義を一週間受け続けたものの、副作用などがきつくて頭に入らず、自信を失くし、最終的な単位を決定する試験は受けられなかった。
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