第26話:山下さんのガン発見と思い出旅行へ

文字数 1,645文字

 一方、入院した山下さんは、念のため、精密検査のため数日入院する事にした。検査を終えて元気になって老人シェアハウスに無事、戻ってきた。数日後、入院した病院の外来を受診する様に山下さんに連絡が入った。1人では大変だろうと言う事で加藤と佐島が同行した。外来で呼ばれて診察室に入室し15分位で診察室から出てきた。

 その時の顔は、こわばり、まるで能面の様だった。何か、異変を感じた、佐島が、何かあったのと聞くと、前立腺癌が見つかったと告げた。そして、肺に小さな腫瘍がありそうだというのだ。最近、少し歩くと息切れがするのが、何かおかしいと思っていたそうだ。これには佐島も加藤もなんて言ったらわからず黙りこくった。

 病院の食堂で、昼食をとった時も、お通夜のように、しんと静まりかえり、一言の会話も交わせなかった。山下さんが、この事は、すまんが誰にも言わないでくれと言われ、もちろんと了解した。診察の支払いを終えて、シェアハウスに戻った。

 大丈夫だったと、仲間の声に、何も答えない山下さん、佐島が、もう大丈夫みたいと、軽く答えた。その晩、北山が、佐島の言動に違和感を思えて、なんかあったんでしょうと詰め寄った。しかし、佐島は山下さんに言われた通り、大丈夫だったみたいよと言うだけ。北山が、山下さんに直接、話を聞きに行った。

 話を聞き終えて、出てきた北山さんの目には、大粒の涙があふれ出していた。幼なじみの加藤さんが、肩を抱きながら、一緒に歩いてきた。北山さんが、涙ながらに、可愛そう、なんで、なんで、山下さんの身体に癌ができたの! あんなに、一生懸命に生きてきたのに神様ってひどいわと涙声で言った。

 加藤さんが、私たちは、免疫が、おちているから、癌ができやすいんだよと、冷静な声で言った。数日後、シェアハウスのオーナーと山下さんが、話し合って、癌の症状が出たら、ここを出る事にしたそうだ。加藤さんが、彼は、奥さんに先立たれて5年、子供がいなくて、兄弟とも、音信不通で天涯孤独になった。

 その後、インターネットで通じた友人、スカイプの友人と話すのを楽しみにしている。癌の症状が出ても手術、放射線療法など延命治療は、拒否すると言っていた。また、彼は、苦学して大学を出て商社に勤め世界中を飛び回り立派な家を建てた。退職後、苦学している学生、最近では、東北大震災で両親を亡くした子供達に募金をしていると教えてくれた。

 彼が、元気なうちに、素晴らしい想い出をつくろうではないかと、加藤が、言った。春が来て、花見のシーズン、レンタカーを借りて、4人で花見の名所に出かけた。桜の下で、お弁当を広げて、ゆっくりと食事をして、記念写真をとって、楽しい一時を過ごした。また、高遠の小彼岸桜も見に行き、混んでいたので長居せずに写真を撮って、さっさと帰ってきた。

 山梨県の北杜市の山高神代桜も圧倒的なスケールの桜で感激した。慈眼寺のしだれ桜も、その美しさに4人とも感動しながら見ていた。いっぱい写真をとって楽しい春を楽しんだ。6月初旬には横浜の開港祭にも出かけてた。やがて、梅雨になり、シェアハウスで、麻雀を楽しんだ。

 7月、4人で石島さんの会社の北海道の別荘型シェアハウスに3泊4日で出かけ、加藤と山下さんでドライブして札幌、小樽、函館、日高の牧場を巡った。札幌でジンギスカンを食べ、函館のいかそーめん、小樽の寿司屋で「うにとイクラの丼」を食べた。ひなびた温泉巡りをして充実した4日間を過ごした。

 その後もシェアハウスので麻雀で、つきが、くるくる回り勝ったり負けたり実に楽しい時間を過ごすことができた。9月中旬には曼珠沙華の花が咲き出した。9月18日に山下、加藤、北山、佐島米子の4人で神奈川県伊勢原の日向薬師へ曼珠沙華を見に出かけた。

 平日というのに、多くの人だったが、ゆっくりと歩きながら写真をとったり、曼珠沙華をバックに記念写真を撮ったり、昼から14時頃の暖かい時に散歩して回った。大山名物の豆腐を食べて早めに帰宅した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み