第7話 シェイク

文字数 1,040文字

「チェリーは添えられていましたか」
「あぁ、ええ、はい。入っていました」奥さんが思い出したように声を弾ませた。
「あいにくマラスキーノチェリーしかございませんが」

「マラスキーノチェリーですか?」
「マラスキーノリキュールに漬け込んだ種抜きのサクランボですが、今は着色してシロップ漬けにしたものが一般的です。カクテルの女王としてマティーニと並び称されるマンハッタンには欠かせないものです」
 
 カクテルピンに刺したチェリーをレモンスライスにとめる。
「あ、確かそんなチェリーでした」奥さんの目がマラスキーノチェリー並みの艶を帯びた。

 10オンスタンブラー、略して“じゅったん”あるいは“てんたん”とも呼ばれるグラスに氷を入れる。その氷はタンブラーを冷やすためのものなので、あとで入れ替える。

 使うグラスはもちろん、“はちたん”と呼ばれる8オンスタンブラーでも十分なのだが、持ちやすさや見た目を考えて10オンスを使う。

 準備は整った。ここからはスピードが命だ。
 
 タンブラーの氷を新しいものに替える。割った板氷をシェイカーのボディにたっぷりと入れ水にくぐらせてから、その水をよく切る。氷の角を取り余分に薄まることを防ぐためだ。

 メジャーカップで材料を入れストレーナーを斜め下から被せ、同じくトップも被せて左胸に寄せる。師匠直伝の一段振りだ。材料を効率よく回すために手首のスナップを利かせる。



 師匠は教えてくれた。
『棚橋、正しいシェイクを手首に覚え込ませろ。これを会得すればどんな振り方にも対応できる。
 シェイクを混ぜて冷やすものだと勘違いすると美味しいカクテルはできない。もうひとつはなんだ? 酒の角を取る? 何かで読んだか? 落第だ。
 棚橋、どんな振り方をしても角は取れる。ボディの底とストレーナーの肩口を往復でガシャガシャやってもだ。それでも冷えるし混ざるし、氷も溶ける。余分にだけどな。
 大事なのは気泡を混ぜ込むことだ。それがシェイクのもっとも重要なところだ。お前も目にしたかもしれない八の字なんて今は意識する必要はない。
 さらに、曲芸のようなことをして目を引く必要もない。基礎中の基礎一段ぶりだけで美味しいカクテルを作る。それが僕のやり方だ。だからといって真似をする必要はない。基本にのっとった上でお前はお前だけのシェイクを作り上げればいい』


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