第20話 バードランド

文字数 1,326文字

「上着、脱いでいいかな?」
「どうぞお楽に。いちいち断らなくてもいいのよ」細めた目で頷きが返ってきた。

 ダブルのジャケットを脱ぐと、近づいてきた案内係の女性がすかさず両手を差し出した。「お預かりしましょうか」
「あ、椅子の背に掛けるからいいよ。内ポケットやらにね、金の延べ棒がガサガサ入ってるんだ。あまりの重さにもう猫背」

 年若い案内係の女性は、そうですか、でしたら怖くてお預かりできませんね、と、ふふっと笑った。

「何にする?」
 僕の問いかけに、どうしようかなぁと短い髪を揺らした。

 二人が腰を落ち着けたのは、古びたバーのカウンター席だった。背の高いスツールではなく、ゆったりと座れる肘付きの椅子が気に入っていた。

 古びたバーといっても、薄汚れ寂れているわけではない。使い込んだ風合いのカウンターが店内の落ち着いた濃いブラウンによく溶け合い、カウンターの壁面には、バックライトに照らされたスピリッツやリキュールボトルの数々が小気味よいぐらいに整然と並んでいた。

 奥の中央にはステージが(しつら)えられ、その近くのボックス席もゆったりとした作りになっている。キャパシティはざっと50人ほどだろうか。

 ジャズマンたちは休憩時間とあって、黒いグランドピアノとドラムとウッドベースが、店内照明を鈍く照り返していた。

「テキーラが飲みたいわね」
 しっとりと潤んだ瞳をこちらに向けると、耳に付いている小ぶりのシルバーリングのピアスがきらりと揺れた。

 いつだったろう、どこかの道路脇でおふざけのように買ってあげたこのピアスを、彼女はいたく気に入っていた。

 世間でいかに評価された物を身につけているかなんて無意味なのよ。そんなものに価値を見いだそうとする人間は病んでいるわ。

 身につける本人が気に入っていればそれでいいの。そこに人様の作り上げた価値観をはめ込もうとする人間は哀しいわ。

「マルガリータか?」僕の問に首を振った。
「ショットガン?」
「粋がったガキじゃないのよ、もう」頬を膨らませる。
「キンキンに冷えたテキーラに真っ二つのライムと塩が欲しいわ」人差し指でナイフのまねをする。
「冷えたのがなければ氷多めのオンザロックで」



「テキーラ日和か。なんかやけになってるのか?」笑いかける僕に、ふふっと含み笑いが返ってきた。

「ヤケにならない方がいいのは、あなたよ」
「よせよ」
 ほんと、よしてよねぇ。歌うように言葉がかぶってくる。
「うじうじと悩んで過ごせるほど人生は長くはないわ」

「そうか。人生は長くない……か。かもな。どうする? アニェホがいいかな」
「ううん、熟成なんてされてないのがいい、ブランコでいいわ。チビチビじゃなくてクッと飲みたい」
 口元でグラスを傾ける仕草に、僕は微笑んで頷いた。

 樽による熟成を行なっていない、もしくは熟成60日以内のテキーラのことをブランコと呼ぶ。味わいはクリアでクセはあまり強くない。

 小柄な体に細いあご。僕は彼女の口から(つむ)ぎ出される物語が大好きだった。
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