第18話 小6 初めてたんぽぽ食堂に行った日
文字数 1,765文字
元の家から
葬儀場の広い駐車場のお陰で日当たりだけはいい。葬儀場ではモノノケの類いは見ないな。やっぱり種原山が特別なのだろう。
ここの市営住宅では、子どもの泣き声とヒステリックに怒鳴りつける親の声はBGMだ。「とんでもないところに来たな」初日にお父さんが呟いた。
そして私はざっくりと素の自分を出していった。
その頃、キツかったことの一つ。
学校帰りに、ふと、元の家がどうなっているのか見に行ってしまったのだ。
売ったことは知っていた。そしてもう別の人が住んでいるということも。
夕暮れ時、元の家にクリスマスのイルミネーションが点滅していた。
「ダサっ」って思った。統一感が無くて古くさい電球が、思いつきでぶら下がっているように見えた。新しい住人、センス悪い。せっかくのモダンなデザインが台無しだ。
よく見ると、私の先にお母さんの背中があった。
元の家は2年前、母親が考えに考え、練りに練って理想を形にした注文住宅だった。母親はシンプル至上主義のミニマリスト、ゴテゴテした飾りは大嫌いな人間。
私は慌てて引き返した。親が泣いているところなんか見たくないよ。前を見なくてもわかる、あの背中は泣いていた。
母親からすると、例えて言うなら、大切にしていた元カノが売られて陵辱されたような感覚だったのではないだろうか。変な例えか?
両親はあの頃、破産の手続きで疲労していたが、私の前では平静に振る舞ってくれていた。両親は感情をコントロールすることに長けた理知的な人間なのだ。
でも、破産に関する大量の書類を作成しながら、父親はいつも胃を抑え痩せていった。
その
私はずっと息が詰まっていた。学校に行っている方が楽だった。
葬儀屋の駐車場の日陰で、夏休みの友をまとめてやっていたとき、岬が痩せたお爺さんと一緒に通りかかった。
「おう、岬」声をかけた。オレンジ色の西の空に一番星が輝いていた。
「おう、天宮」
自転車を押していたお爺さんは、微笑みながら言った。「こんばんは」
岬は「俺、これから大山さんとディナー」
そしてお爺さんに向かって、市営住宅を親指で指し、身振り手振り交えながら、
「こいつ、同じ
「あははっ、大袈裟だよ」
岬の言葉選びは面白い。
けれどもそれが原因で、「なんだその口の利き方は」と先生と父親からしょっちゅう怒られている。でも岬は湧き出る自分の言葉を抑えない。勇敢なんだ。
「天宮さんも一緒に夕御飯はいかがですか?」
「今日はお母さんがいるから大丈夫」
「そうですか。たんぽぽ食堂って知っていますか? 種原山自然公園入口にある」
「知らない」
「困ったことがあったら訪ねてください。私は大山といいます。大山から聞いた、と言ってください。君の能力が生かされないと岬君に叱られてしまいます。そこで勉強している子もいますよ」
「そうなんだ」
両親の仕事は週替わりの夜勤で不規則だった。
「これから自分のことは自分でするから」と言っておいた。
初めてたんぽぽ食堂に行ったときは、こんな私でもさすがに緊張した。リュックに勉強道具をパンパンに詰めていった。
パジャマみたいなTシャツとハーフパンツで食堂の前をウロウロしていたら、小柄な高校生みたいな女の子がやって来て、「どうぞ」と引き戸を開けて誘導してくれた。
「荷物はここに置いて、まず手を洗おう」
小さい声だった。私がどこの誰かも聞かなかった。
たんぽぽ食堂で初めて食べたのは、ビビンバだった。
たっぷりの3色ナムルに挽肉と温泉卵をのせて、スプーンで食べた。それと豆腐と茗荷の味噌汁と春雨サラダ。今でも忘れない。
「美味い!」思わず声に出すと、女の子と調理師さんが微笑んだ。
「あ、あの、これ、いくらですか?」と一応聞くと、調理師さんは人差し指を唇の前に立てて言った。
「大山さんから聞いて来たんでしょ?」
「はい」
「なら、無料ですよ」
私はこの日からたんぽぽ食堂に入り浸るようになった。