第21話 百川の帰還

文字数 2,453文字

 6月に入ると、村瀬さんの雰囲気が変わった。

 すっかり照井に関心が無くなったようだった。食堂で会っても、軽く会釈するだけ。照井は肩すかしを食らったような、微妙な顔つきをしていた。

 土曜日の昼下がり、村瀬さんは大家さんと田所さん、畑中さんにかしこまって話し出した。
「報告があります」
 頬がバラ色だった。服部からクリスマスのときにもらった花束のように。

「あの、諒君が、戻ってくることになったんです。こっちで公務員試験受けるって」
「ええー! ゼネコン辞めたのかい、もったいない」
 大家さんの声が裏返っている。私と高山さんは思わず、勉強の手を止め顔を上げた。

「このままじゃ死ぬって諒君騒いで……仕事はキツいし、新型ウイルスが流行りだして先行きが見えないし、諒君、霊だけじゃなくてウイルスも見えるって言い出して……見かけによらず神経質だから」

 村瀬さん口元を抑え、笑みをこぼしている。
田所さんも笑って、「それがいいよ、体壊したら元も子もない」

「こっちで土木関係の公務員試験を乱れ打ちするって。県内だったら、受かればどこでもいいって言っているんです。もし落ちたら、年齢制限引っかかるまで受け続けて、それまで種原病院でバイトするって」
「そりゃ事務局長、喜ぶだろうけど。ずっと人手不足だってぼやいているから」

「それで、八島の部屋が空いているなら、貸してくださいって言っていました」
 大家さんは急にご機嫌に。
「あらまあ! もちろんOKよ。そうよね、ここよりいい場所なんて他にはないものね!」
 大家さんは所有の不動産が空いてしまうのが、頭痛の種なのだ。
ことあるごとに「テナントが、102号室が空いている、不動産が仕事をしないで遊んでいる」とぼやいていてうるさかった。

 麦倉さんは、大学院を終了したはずなのに、なぜかまだ大学に通っていた。働かないで済むなんて、麦倉さんの実家も太そうだな。
八島さんは地元の企業に就職していた。「BtoBと言ってね」などと気取って言っていたけど、確か大手の関連法人の系列の子会社? 下請け? だったような……忘れた。

 八島さんが引っ越したあと、泉工医大1年生男子が入居していたけど、すぐさま5月病になり休学して、親元に帰っていた。
本人にとって、大学と田舎が不本意だったらしい。

「寮みたい。監視されて息苦しかった。そして周りに遊ぶところがなにもない。山しかない。風と冷え込みがキツい。鳥と大家さんがうるさい」
 と捨てゼリフを残したそうだ。
 種原山をバカにするな。地磁気逆転地層があって凄いんだぞ。おまえの地元にあるか? 遊ぶところって、勉強するために大学生になったんだろ? いいかげんにしろ。
でも村瀬さんも最初そう思ったと、苦笑しながらこっそり言った。

 自分の能力もわきまえずにプライドだけが高い、いけ好かない男だった。食堂には2,3回食べにきただけ、偏食で野菜が苦手みたいだった。致命的。
私達とは目も合わせなかった。なので、もうどんな顔をしていたのか記憶がおぼろだ。

「まだ八島君の方が可愛げがあった」と、常連達は話していた。
 八島さん、ここに居たときは「一言多い」「がめつい」「顔がうるさい」「算盤(そろばん)ずく」と散々言われていたのに。


「村瀬さん、よかったわね」
 畑中さんが微笑むと、
「村瀬さん、おめでとうございます」
 高山さんがかしこまってお辞儀した。
「やだ、まるで婚約でもしたようなリアクションやめて、高山さん」
 村瀬さん真っ赤になりながら言った。
「私も公務員試験の準備をしていてよかった」

「あのですね、私、畑中さんをお手本にしたんです」
 畑中さんが驚いた顔で、「私?」と自分を指さした。

「はい。畑中さんの元の旦那さんて、別れたあと、生霊になってまで畑中さんを心配しましたよね。それって、畑中さんが相手を攻撃しないで、すぐに身を隠したからじゃないかと思うんです。引き際がきれいだったから、忘れられなくなって未練が残ったのかなって」

 なんだその話は、知らないぞ。
向かいの高山さんが頷いている。あとで高山さんに聞くか。
「だから寂しくて何度も連絡しそうになるのを、耐えました。鬱陶しく思われたらお終いだと思って」
 村瀬さんは高山さんに向かって、
「自然消滅でも仕方ない、他にも目を向けようって切り替えて、連絡来てもあっさり対応していたらね、段々諒君の方からしつこく連絡してくるようになったのよ」
 少し恥ずかしそうに話した。
 村瀬さん、照井や谷なんかを見て他にもいろんな男がいるってわかって、余裕が出たんだろうな。

 村瀬さん、これでふらふらせず落ち着いてくれるだろう。
さてと、あとで一応、服部の耳にも入れておくか。


 百川さんがゼネコンを辞める前、公務員試験の説明会に出席するため泉水市に来たことがある。
その帰りに、食堂に挨拶に来たのだが、前よりも老けていた。はっきり言って。戦地から帰還した人みたいだった。東京ってそんなに凄いところなのか?

 葉月ちゃんは驚いていた。
村瀬さんは服部をまったく相手にしていなかったので、きっと彼氏は服部よりも優しくセンス良くカッコいい人と勝手にイメージしていたみたい。
口をポカンと開けて、突然現れたガタイのいい黒縁眼鏡のオヤジを眺めていた。

 食事が終わると村瀬さんと百川さんは外に出て、川沿いのベンチに座った。2人の間に変な距離感がある。
赤い着物女子とタヌキの子と並んで眺めた。
2人で小川を見ながらポツポツと話している風。
……久し振りに会ったのに、感激のご対面じゃないのか? 2人とも照れくさそう。

 これは、あれだ、近藤さんが大好きなプラトニックな交際の雰囲気だ。
初めてのデートみたい。土曜の夜やりまくっていたくせに。
恋愛って上手くやれば初期設定に戻せるんだな。

 タヌキの子の隣に葉月ちゃんも並んだ。
「服部さん、可哀相だけど、諦めた方がいいね」
 葉月ちゃんの言葉に私も頷いた。2人のあんな顔見たらね、そう思う。
それにしても田中宮司のお祓いスキルって、やっぱり凄いな。つくづく思うよ。

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登場人物紹介

天宮 開(あまみや かい)


女子中学生 物腰が男っぽく、毅然としていてマイペース。バイセクシャル。

会社経営に失敗して父親は破産。貧困となったが、優秀な両親を尊敬している。

村瀬 芽依(むらせ めい)


泉工医大生 たんぽぽ食堂で学習支援をしている

服部 司(はっとり つかさ)


泉工医大生 村瀬芽依マニア サフランガチオタ 

近藤 優名(こんどう ゆうな)


第1部 第1章参照

高山 真奈(たかやま まな)


たんぽぽ食堂の常連 高校生

成田 宗也(なりた そうや)


たんぽぽ食堂の常連 高専生

須川 葉月(すがわ はづき)


たんぽぽ食堂の常連 小学生

岬 悠生(みさき ゆうせい)


たんぽぽ食堂の常連 同じ市営住宅に住む同級生 

二宮 治子(にのみや はるこ)


たんぽぽ食堂のオーナー 資産家

大山 仁市(おおやま じんいち)


民生委員 地域を巡回し、不遇の児童救済にかかりきり。

田中 秀一(たなか しゅういち)


符丁神社の宮司 霊能力者 独身

畑中 麻美(はたなか あさみ)


たんぽぽ食堂の調理師 みんなのオアシス的存在

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