四、枯葉の匂いが雨の色を
文字数 1,492文字
独り暮らしの父親は、食堂を綺麗に保たせていた。冷蔵庫の食材を選んで夕食の献立を考えていると、叔母のナオから夕食に誘われた。
「兄さん、こっちに寄るって。キヨを迎えに行かせるから。」
「ありがとう。でも、歩いて行くわ。」
モノカは、迎えを断った。涼しくなった夕刻の田舎道を散歩しながら向かった。
「……人がいない。」
そう呟くと、笑いが込み上げてきた。
途中ユウの家に立ち寄ったが、帰っていなかった。
ペンションに宿泊客が到着していた。県外ナンバーの車から離れた隅っこに父親の古い車が停まっていた。母親との思い出が乗っている車を後生大事に使う父親の気持ちが切なかった。
小粋な形の車は、モノカも気に入っていた。幼い頃から父親と出かけた場所は、特別で大切な思い出だった。
車を見ているモノカに、ナオは小窓から顔をのぞかせて合図を送った。裏口に回ると、勝手口の軒下に置かれたベンチで父親が煙草を吸っていた。
久々の再開は、感慨もなく呆気ないものだった。言葉少ない父親は、相変わらずに優しい眼差しをしていた。モノカは、少し甘え試すように尋ねた。
「突然に帰ってきて驚かせた。」
何も答えない父親は、娘に会えた悦びを隠していた。父親のお気に入りのベンチから一望できる村の景色は、モノカも好きだった。
「煙草、そろそろ止めたら。」
「そうだな……。」
その父親の返事は、モノカの幼い記憶の中に残っていた。母親から静かに促された父親が、いつも困ったように生返事を繰り返していたのだ。
モノカは、頭の中で父親の定年までの年数を数えた。短い会話も必要なかった。
宿泊客の接待が済んで、身内だけの夕食に呼ばれた。ミコトも一緒に食卓に着いた。家の主婦のように甲斐甲斐しく動く若い娘の姿が目に余った。モノカは、感心しながらも嫌みの一つも言ってみたい気持ちになっていた。ミコトの食事の作法から育ちの良さが見て取れた。モノカは、若い学生を意識してしまう自分に溜息をついた。それでも、モノカなりに楽しみ満ち足りた思いに浸っていた。
『……いつ以来だろう。』
独り暮らす都会の寒々とした部屋が脳裏に広がった。
夕食の後片付けが終わると、キヨがミコトを送った。キヨが車を運転する姿を初めて見た。モノカは、冷静を装っていたが、穏やかでない気持ちを隠して父親に言った。
「そろそろ帰ろうよ。」
その夜、久々に父親が運転する車に乗せてもらった。古い車の内装の匂いに落ち着く自分に気付いた。車内は、煙草の匂いが染みついていなかった。子供の頃に耳にした母親の寂し気な言葉が頭をよぎった。
──車で吸わないで。困るから。
父親が母親の頼みをこの先も大切に持ち続けるのだろう。そう思うと、胸が締め付けられ涙が零れそうになった。
「……ダムを見たい。」
帰り道、そう強請るモノカの我が儘に付き合ってくれた。
満月に照らされたダム湖は、昔のままに神秘的だった。深い山村で育ったモノカは、幼い頃からダム湖を見て海を想像して憧れ期待した。暫く物思いに耽ったモノカは、小さく背伸びして言った。
「運転させてよ。」
「免許をいつ取ったんだ。」
「働き始めて直ぐ。」
「オートマじゃないぞ。」
「安心して。マニュアル免許だから。」
モノカは、初めて父親の車を運転した。予想以上に重いハンドルとクラッチに驚きながらも、運転者に素直に反応する挙動に感心した。モノカは、車を比べている未練を胸の奥底に押し戻した。
「巧いでしょう。どこで覚えたかは聞かないで。」
得意になって飛ばすモノカに父親は、苦笑を返しただけだった。
「明日、車使っていいかな。」
「兄さん、こっちに寄るって。キヨを迎えに行かせるから。」
「ありがとう。でも、歩いて行くわ。」
モノカは、迎えを断った。涼しくなった夕刻の田舎道を散歩しながら向かった。
「……人がいない。」
そう呟くと、笑いが込み上げてきた。
途中ユウの家に立ち寄ったが、帰っていなかった。
ペンションに宿泊客が到着していた。県外ナンバーの車から離れた隅っこに父親の古い車が停まっていた。母親との思い出が乗っている車を後生大事に使う父親の気持ちが切なかった。
小粋な形の車は、モノカも気に入っていた。幼い頃から父親と出かけた場所は、特別で大切な思い出だった。
車を見ているモノカに、ナオは小窓から顔をのぞかせて合図を送った。裏口に回ると、勝手口の軒下に置かれたベンチで父親が煙草を吸っていた。
久々の再開は、感慨もなく呆気ないものだった。言葉少ない父親は、相変わらずに優しい眼差しをしていた。モノカは、少し甘え試すように尋ねた。
「突然に帰ってきて驚かせた。」
何も答えない父親は、娘に会えた悦びを隠していた。父親のお気に入りのベンチから一望できる村の景色は、モノカも好きだった。
「煙草、そろそろ止めたら。」
「そうだな……。」
その父親の返事は、モノカの幼い記憶の中に残っていた。母親から静かに促された父親が、いつも困ったように生返事を繰り返していたのだ。
モノカは、頭の中で父親の定年までの年数を数えた。短い会話も必要なかった。
宿泊客の接待が済んで、身内だけの夕食に呼ばれた。ミコトも一緒に食卓に着いた。家の主婦のように甲斐甲斐しく動く若い娘の姿が目に余った。モノカは、感心しながらも嫌みの一つも言ってみたい気持ちになっていた。ミコトの食事の作法から育ちの良さが見て取れた。モノカは、若い学生を意識してしまう自分に溜息をついた。それでも、モノカなりに楽しみ満ち足りた思いに浸っていた。
『……いつ以来だろう。』
独り暮らす都会の寒々とした部屋が脳裏に広がった。
夕食の後片付けが終わると、キヨがミコトを送った。キヨが車を運転する姿を初めて見た。モノカは、冷静を装っていたが、穏やかでない気持ちを隠して父親に言った。
「そろそろ帰ろうよ。」
その夜、久々に父親が運転する車に乗せてもらった。古い車の内装の匂いに落ち着く自分に気付いた。車内は、煙草の匂いが染みついていなかった。子供の頃に耳にした母親の寂し気な言葉が頭をよぎった。
──車で吸わないで。困るから。
父親が母親の頼みをこの先も大切に持ち続けるのだろう。そう思うと、胸が締め付けられ涙が零れそうになった。
「……ダムを見たい。」
帰り道、そう強請るモノカの我が儘に付き合ってくれた。
満月に照らされたダム湖は、昔のままに神秘的だった。深い山村で育ったモノカは、幼い頃からダム湖を見て海を想像して憧れ期待した。暫く物思いに耽ったモノカは、小さく背伸びして言った。
「運転させてよ。」
「免許をいつ取ったんだ。」
「働き始めて直ぐ。」
「オートマじゃないぞ。」
「安心して。マニュアル免許だから。」
モノカは、初めて父親の車を運転した。予想以上に重いハンドルとクラッチに驚きながらも、運転者に素直に反応する挙動に感心した。モノカは、車を比べている未練を胸の奥底に押し戻した。
「巧いでしょう。どこで覚えたかは聞かないで。」
得意になって飛ばすモノカに父親は、苦笑を返しただけだった。
「明日、車使っていいかな。」