潮騒が揺らぐその間で 一話
文字数 1,971文字
期末試験の終わった教室は、喧騒に包まれていた。帰り支度をしていると、タカミが噂話を持ち込んだ。ミチカは、最初から興味がない素振りで聞き流した。
「夜の砂浜で、二人の女性が抱き合って踊っていた。」
タカミは、幼い頃から他人の話でも自分で見てきたように語った。悪意がないだけに許せたが、高校に入ってから程よい距離を置いて付き合っていた。
「神々しさに、天に祈ったらしい。」
「無神論者を誘って確かめに行くつもりなのか。」
ミチカは、わざと丁寧に言葉を返した。
「だいたい、誰からのソースだよ。」
「聞きたいだろう。」
タカミが話を被せてくるのをミチカは、軽く遮った。
「ゆっくりと拝聴したいが、バイトに追われる辛い身だ。」
「おいおい、マジかよ。」
タカミは、呆れて顔を歪め言った。
「受験生だろう。俺たちは。」
「この夏が、もう少し涼しければだ。誰かの進路も変わる。」
ミチカは、そう謎掛けのように言い残して通学鞄を背負った。
教室を出るとミチカは、ナミに腕を引っ張られた。
「……あんたね。約束、すっぽかすつもり。なにを、トロトロしているのよ。」
「してない。……っていうか、何のことだ。」
ナミは、幼稚園の頃から変わらなかった。いつも真っ直ぐに話す女子だった。
「試験が終われば映画でしょう。」
「聞いていない。……誰と?」
ナミは、自分の腰に両手を置いて睨んだ。ミチカを咎めるように言葉で確かめた。
「お姉ちゃんの娘の、マコとでしょう。まさか、忘れてた?」
「……何時だった?」
「一時にお店。」
ミチカは、先週の頼まれごとを思いだした。動揺を隠し言った。
「お前、怒った顔、ママにそっくりだな。」
「言うな。……イヤな奴。」
ナミが拗ねる仕草にミチカは、笑顔で答えて校舎を後にした。ナミの母親の自由な生き様に羨望したのは、ミチカが物心ついた頃だった。一か月の大半を生まれた遠い町で過ごしていた。時々海辺の街に戻ってくる若く綺麗で毅然と立つ姿がミチカの幼心に刻み込まれていた。何事にも囚われないナミの母親が、親父の昔からの女友達なのが信じられなかった。
ミチカは、自転車を走らせながら携帯を鳴らした。
「……なんで、着信拒否だよ。タヌキ親父。」
親父のいそうな場所を探そうか迷っている自分が疎ましかった。家に立ち寄ると、書置きという古風で優雅な伝達を仏前に残した。
昼下がり、砂浜が見える喫茶店は、閑散としていた。ミチカの挨拶にマスターが奥から顔を覘かせた。
「わるいな。手が離せない。好きなモノ飲んでくれ。」
ミチカは、瓶コーラをとって窓辺に座った。開店の準備をしながらマスターが、陽気に話した。
「マコ、君がお気に入りだからな。助かるよ。」
「小さい子には、人気なんです。」
ミチカは、自嘲気味に言った。マスターが想い出したように話題を変えた。
「……それで、板、直ったの?」
「全然、……未だです。」
ミチカは、コーラを喉に流し込みながら窓の向こうに見える波の動きを目で追った。
「しばらく、休もうかと思っています。」
「そう……。」
マスターの返事が、海はいつまでもあると云っているようにも聞こえた。海辺で生まれ育ち海があるのが当然のように感じるミチカは、マスターに同調できる気がした。自分より少し長く海辺で生きてきたマスターが見えている世界が気に掛かったからだろうか。思い付いた考えを確かめようとした。
ミチカが話しかけようとすると、真赤な小型車が停まるのが窓越しに見えた。
制服姿のマコが真っ先に飛び込んできた。
「お兄ちゃん。」
小学生のマコは、目を輝かせて嬉しそうな声を上げた。母親のミナが帽子を脱いで入ってきた。
「……ナミ、来ていないの。」
ナミより七歳年上の姉のミナは、ミチカが物心ついた頃から大人に見える素敵な女性だった。
「生徒会に顔を出すって言っていました。」
「そぅ、今日はゴメンね。」
マコの着替えを待つ間に、夫婦間で一つの話題が持ち上がった。
「嘘でしょう。あれから一度も帰ってきていないよ。」
ミナが、怪訝な表情で夫に問い質した。マスターは、噂の出所を改めて思い還しているようだった。
「実家に、時々帰っているらしい。」
「真夏の怪談じゃあるまいし、なに、それ。今度、彼等が来たら問い詰めないと。その目撃談を吹聴している真意をね。」
夫婦の会話は、続いていた。ミチカの知らない遠い昔の物語だった。
マコが、新しい服に着替えて戻った。
「……お兄ちゃん、お待たせ。」
マコは荷台に座ると、いつものように両手をいっぱいに伸ばしてミチカにしがみ付いた。海沿いの遊歩道を突っ切ってバス停に向かった。
「お兄ちゃん。自転車で行こう。」
「映画、始まってしまうぞ。」
「いいの……。」
マコは、腕の力を強くした。
「夜の砂浜で、二人の女性が抱き合って踊っていた。」
タカミは、幼い頃から他人の話でも自分で見てきたように語った。悪意がないだけに許せたが、高校に入ってから程よい距離を置いて付き合っていた。
「神々しさに、天に祈ったらしい。」
「無神論者を誘って確かめに行くつもりなのか。」
ミチカは、わざと丁寧に言葉を返した。
「だいたい、誰からのソースだよ。」
「聞きたいだろう。」
タカミが話を被せてくるのをミチカは、軽く遮った。
「ゆっくりと拝聴したいが、バイトに追われる辛い身だ。」
「おいおい、マジかよ。」
タカミは、呆れて顔を歪め言った。
「受験生だろう。俺たちは。」
「この夏が、もう少し涼しければだ。誰かの進路も変わる。」
ミチカは、そう謎掛けのように言い残して通学鞄を背負った。
教室を出るとミチカは、ナミに腕を引っ張られた。
「……あんたね。約束、すっぽかすつもり。なにを、トロトロしているのよ。」
「してない。……っていうか、何のことだ。」
ナミは、幼稚園の頃から変わらなかった。いつも真っ直ぐに話す女子だった。
「試験が終われば映画でしょう。」
「聞いていない。……誰と?」
ナミは、自分の腰に両手を置いて睨んだ。ミチカを咎めるように言葉で確かめた。
「お姉ちゃんの娘の、マコとでしょう。まさか、忘れてた?」
「……何時だった?」
「一時にお店。」
ミチカは、先週の頼まれごとを思いだした。動揺を隠し言った。
「お前、怒った顔、ママにそっくりだな。」
「言うな。……イヤな奴。」
ナミが拗ねる仕草にミチカは、笑顔で答えて校舎を後にした。ナミの母親の自由な生き様に羨望したのは、ミチカが物心ついた頃だった。一か月の大半を生まれた遠い町で過ごしていた。時々海辺の街に戻ってくる若く綺麗で毅然と立つ姿がミチカの幼心に刻み込まれていた。何事にも囚われないナミの母親が、親父の昔からの女友達なのが信じられなかった。
ミチカは、自転車を走らせながら携帯を鳴らした。
「……なんで、着信拒否だよ。タヌキ親父。」
親父のいそうな場所を探そうか迷っている自分が疎ましかった。家に立ち寄ると、書置きという古風で優雅な伝達を仏前に残した。
昼下がり、砂浜が見える喫茶店は、閑散としていた。ミチカの挨拶にマスターが奥から顔を覘かせた。
「わるいな。手が離せない。好きなモノ飲んでくれ。」
ミチカは、瓶コーラをとって窓辺に座った。開店の準備をしながらマスターが、陽気に話した。
「マコ、君がお気に入りだからな。助かるよ。」
「小さい子には、人気なんです。」
ミチカは、自嘲気味に言った。マスターが想い出したように話題を変えた。
「……それで、板、直ったの?」
「全然、……未だです。」
ミチカは、コーラを喉に流し込みながら窓の向こうに見える波の動きを目で追った。
「しばらく、休もうかと思っています。」
「そう……。」
マスターの返事が、海はいつまでもあると云っているようにも聞こえた。海辺で生まれ育ち海があるのが当然のように感じるミチカは、マスターに同調できる気がした。自分より少し長く海辺で生きてきたマスターが見えている世界が気に掛かったからだろうか。思い付いた考えを確かめようとした。
ミチカが話しかけようとすると、真赤な小型車が停まるのが窓越しに見えた。
制服姿のマコが真っ先に飛び込んできた。
「お兄ちゃん。」
小学生のマコは、目を輝かせて嬉しそうな声を上げた。母親のミナが帽子を脱いで入ってきた。
「……ナミ、来ていないの。」
ナミより七歳年上の姉のミナは、ミチカが物心ついた頃から大人に見える素敵な女性だった。
「生徒会に顔を出すって言っていました。」
「そぅ、今日はゴメンね。」
マコの着替えを待つ間に、夫婦間で一つの話題が持ち上がった。
「嘘でしょう。あれから一度も帰ってきていないよ。」
ミナが、怪訝な表情で夫に問い質した。マスターは、噂の出所を改めて思い還しているようだった。
「実家に、時々帰っているらしい。」
「真夏の怪談じゃあるまいし、なに、それ。今度、彼等が来たら問い詰めないと。その目撃談を吹聴している真意をね。」
夫婦の会話は、続いていた。ミチカの知らない遠い昔の物語だった。
マコが、新しい服に着替えて戻った。
「……お兄ちゃん、お待たせ。」
マコは荷台に座ると、いつものように両手をいっぱいに伸ばしてミチカにしがみ付いた。海沿いの遊歩道を突っ切ってバス停に向かった。
「お兄ちゃん。自転車で行こう。」
「映画、始まってしまうぞ。」
「いいの……。」
マコは、腕の力を強くした。