潮騒が揺らぐその間で 二話

文字数 1,777文字

 試験が終わった休日、早朝の海に出かけた。波乗りする人を眺めた後、岬が連なる旧道を自転車で走った。海岸の地形に沿った道から見える景色は、変化に富んでいた。ミチカは、気分が塞いだり、考え事をしたくなると自転車で巡った。ミチカが生まれた頃、少し離れた場所にバイパスが出来ていた。狭く曲がりくねった旧道を使うのは、地元の人でも少なかった。
 早朝に女子を目撃した海岸に差し掛かった時、緩やかに下りながら曲がる道の路肩に天蓋を外した深緑の旧車が停まっていた。女性が、独りでトランクからテンパータイヤを取り出していた。
 三十歳半ばの大人の女性だった。彫の深い顔立ちで、混血なのか少し浅黒い肌をしていた。その美人からミチカは、冬の海が凪いでいる静謐な印象を覚えた。自転車から降りたが、言葉を探してしまった。
 「手伝ってくれるの?」
 向こうから先に声を掛けられて、ミチカは救われたように安堵した。機械いじりが好きなミチカは、楽しみながら工具を使った。
 「良い車ですね。」
 ミチカは、世事でなく自分の生まれた齢よりも古い車を褒めた。
 「古いから大変よ。今どき、パンクなんか誰も信じてくれないわ。そうでしょう。」
 それが、少年のような短髪が似合うサナとの出逢いだった。ヒールを履いていなかったが、ミチカと同じぐらいの背丈があった。明るい緑色の瞳をしていた。
 「お礼に、お茶に誘わせてね。」
 交換が済むとサナはそう言って、小さな入り江の先に見える岬を指差した。
 「自転車は、そうね。ここで待たせて置きましょうか。」
 ガードレールに繋がれ置き去りにされた自転車が、従順な飼い犬のように見えた。
 車内の古い匂いが懐かしくミチカは、気持ちが和む自分に気付いた。幸せな表情をしていたからだろうか。サナが、顔を動かさずに視線だけを向けて尋ねた。
 「何か、いいことあったの?」
 ミチカは、昔に親父が使っていた異国の中古車の思い出を語った。サナが、綺麗に微笑みながら応えた。
 「好いお父様なんだ。」
 岬の入り口に私有地の看板が立てられ、木作で車道と遮られていた。
 ミチカは、幼い頃からの記憶を手繰り寄せて、浜辺に語り継がれる謂れを想い返した。
 暗い雑木林を抜けると、年数を経た欧風の建物に行き着いた。初めて見る雰囲気のある建物にミチカは息を呑み、景色の展開に感動した。
 「驚かせたかな?」
 サナがそう言って、ミチカの反応を揶揄った。ミチカは、正直に伝えた。
 「この岬の、どれかに幽霊屋敷があるって聞いたことがありました。」
 「そう噂されてもしかたないか。」
 サナは、少し含み笑った。
 「……異界の地へ、ようこそ。」

 玄関で迎えに現れたのは、先週の早朝に砂浜で見かけた女子だった。ミチカは、運命的な再会を夢想していた。拍子抜けする突然の数奇な廻り合わせに戸惑ってしまったからだろうか。逆に微かな杞憂を抱いてしまった。
 サナが連れて戻ったミチカの姿に、一瞬だけ動揺した女子の眼差しが後々まで記憶に残った。その時、理由に気付いて入ればと、ミチカは今でも思うことがあった。結末が変わっていたかもしれない淡い期待に納得したかったのだろうか。
 サナが、少女のような華奢な女子を軽く抱き寄せて帰宅の挨拶をした。その二人の様子をミチカは、外国の映画を観ているように新鮮な感銘を受けて見守った。
 「彼、タイヤ交換を手伝ってくれたの。」
 サナは、ミチカを今朝のナイトと紹介した。
 「この娘は、あたしのパートナーのマリサ。」
 マリサは、表情の起伏が乏しく口数の少ない為だろうか。神秘的な第一印象だった。
 少し後になって小柄で童顔のマリサが、年上なのをミチカは知った。

 岬の斜面を活用した三階建ての構造になっていた。玄関の階を下りると、海に面した居間が設えられていた。古い外観から想像もつかないほど内装に手が加えられていた。洒落た調度品が並べられた室内にミチカが感心していると、サナが笑顔で歓待した。
 「インテリアが好きなのね。」
 「オリジナルですか。初めて見るデザインです。」
 ミチカの捉えように興味を覚えたのかサナは、嬉しそうに頷いた。
 「それに……、ここからの景色、凄くドキドキします。」
 「君、面白いね。」
 サナは、そう言ってマリサに目配せした。
 「この娘も、同じ感想だったよ。」
 マリサは、困惑していた。
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