六、枯葉の匂いが雨の色を

文字数 1,661文字

 庭先の掃除を始めたキヨの後ろ姿は、モノカが心動かされた幼い頃の記憶に重なった。
 「お兄ちゃんは、今でもピアノ弾けるのでしょう。」
 モノカの質問に叔母のナオは、当然のように頷いた。
 「神楽以上に上手いままよ。」
 「羨ましい。幾つ才能があるのよ。」
 「努力よ。継続する力かな。」
 「あぁ、言ってくれましたね。」
 モノカは、そう言って短く溜息を零した。音大を卒業したナオは、キヨが幼稚園の頃から同級生のもとに通わせていた。モノカが卒業した同じ高校に通っていたときもキヨは、ピアノを続けた。キヨは、国公立大学の文学科に進んだが、演奏会に招かれるほどの実力と人気を得ていた。
 「音楽は、遺伝するようですね。」
 「文才もね。」
 「ほんと。羨ましい限りです。」
 溜息まじりにいじけるモノカにナオは、優しく言った。
 「モノカは、自分が見えていないだけでしょう。」
 モノカは、そう慰められても心の深い場所でいつも否定していた。
 『……見えていないのかな。』
 モノカが強請ればキヨは、ピアノを聞かせてくれただろう。その自信は、モノカにあった。しかし、その日は頼まなかった。頼めなかった理由がモノカも分かっていた。
 「そろそろ帰りますか。わたしよりも車を心配していると思うから。」

 長居をせずに帰ると、父親が夕食の用意をしていた。久しぶりに頂くと、父親の料理が上品に整っているのに感心した。モノカは、素直に呟いた。
 「……美味しい。」
 毎日独りで食卓に着く父親の姿を想うとモノカは、泣き出しそうになった。滅入る気持ちを吹っ切るように父親に尋ねた。
 「叔母さんのところに手伝いに来ている女子学生って、何処に住んでいるの。」
 父親が説明した場所は、村役場が移住を斡旋している地域に建つ家の一つだった。
 「あそこって……。」
 モノカは、途中で言葉を詰まらせた。遠い昔によくない噂があった場所なのを想い出した。モノカ達が高校生の頃に、その一軒家で密室殺人事件が起こった。未解決になりそうなのを解明したのがユウだった。モノカの父親の同級生が警察に勤務していた関係でユウの推理が採用された。モノカは、懐かしい記憶を手繰り寄せながら確かめた。
 「あの事件があった場所でしょう。」
 「例の建物は、既に取り壊している。」
 父親が、苦笑しながら言った。モノカは、少しばかり安心して冷やかすように尋ねた。
 「それで、移住してきた物好きな犠牲者様は何人いるの。」
 父親が横に首を振る仕草に呆れ納得した。好き好んで名所も特産も何もない田舎に移住してこないのは、モノカでも予測できた。村が税金を投じて用意した施設の行く末に嘆息した。
 「まぁ、当然ね。」
 「そういうことで、学生さんには安く使ってもらっているよ。」
 父親の説明を聞きながらモノカは、話の流れの中で納得した。
 「なるほどね。それより、ねぇ、あの学生って何者なの。」
 モノカは、尋ねるつもりがなかった。だが、ふと思うことがあったからだろう。個人情報の秘匿義務を厳守する公務員の父親は、笑っただけだった。
 「どっかで見たきがするんだけど。」
 「世の中には、似た顔が三人いるというからな。」
 父親は、そう言ってモノカに言葉を促すように一呼吸おいて待った。
 「あんなのが、三人もいるの。」
 「辛辣だな。」
 「そう聞こえた。」
 モノカは、少し躊躇していた。思い付いたことを話していいのか迷っていると、父が先に言った。
 「母さんに似ていたよ。出会った頃は、あんな印象だった。」
 「……ええっ、なに。何ですか。」
 モノカは、絶句した。気持ちはすっきりしたが、父親の言葉を信じたくなかった。
 「再婚は、認めないよ。」
 そう揶揄ってからモノカは、もう一度考えが蟠り呟いた。
 「そうだったんだ。でも……。」
 幼い頃に、母親が家を出た理由も教えてもらえずに亡くなったとだけ聞かされていた。モノカは、母親の物静かな思いでしかなかった。モノカが確かめたかった半分も言葉にできなかったからだろう。その夜、夜半を過ぎても寝付けなかった。
 
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