潮騒が揺らぐその間で 十話

文字数 1,639文字

 真夜中近くにミチカは、ほろ酔い気分で独り波打ち際に涼んだ。
 いつの間にかナミが横に来ていた。肩が触れるほど近くに立つナミの匂いが、ミチカを戸惑わせた。あの夜、ミチカの視線は、海の果てに広がる星空から何を探そうとしていたのだろうか。
 しばらく沈黙が流れた後、ミナが話を切り出した。
 「……最近、岬の方に行くでしょう。」
 ナミは、噂になっているのをそれとなくにおわせた。軽く嘲笑するように続けた。
 「嬉々として自転車で通えば、好奇の目で見られるよね。」
 ミチカは、何も答えられなかった。返事をしないことがナミの感情を激昂させた。
 「綺麗な、お二人だものね。」
 ナミは、岬の住人をミチカ以上に詳しい口振りだった。ミチカは、警戒して少し波打ち際に踏み出し距離を置いた。
 「……二人の間に割って入るの。」
 ナミの言葉の意味を深く考える余裕がなかった。
 「お前に、関係ないだろう。」
 ミチカの冷たい言葉は、ナミの怒りに火を注いだ。
 「……ああ、そうですか。親身になって御忠告すれば逆切れ。心配するわたしが、バカなのね。」
 ナミは、語句を区切り続けた。
 「受験勉強、しなさいよ。」
 ナミの怒りは収まらずに口調が強まっていた。
 「アンタが、今一番しないといけないのは、何なのよ。」
 ミチカは、返事に屈した。
 「アンタに必要な人が分かっていないよ。」
 ナミが畳み掛けた。
 「報われない恋が、男の勲章と思っているわけ?」
 「そんなんじゃないよ。」
 ミチカは、強く否定することで動揺を隠した。突然、ナミが黙り込んだ。怒りと悲しみが混じった感情が伝わりミチカは、言葉を失った。
 潮騒が足元をすくうように静かに忍び寄った。
 「……約束してよ。わたしに。」
 強気のナミは、泣き出しそうになるのを必死で堪えていた。
 「……女に、ここまで言わせるの。」
 波の音で掻き消えるように小さく呟いた。
 「バカ……。」

 翌朝、始発のバスでナミは独り帰った。夏期講習が休めなかったのが理由だったが、男の返事の曖昧さに距離を置いたのかもしれない。ミチカは、気付いていながらバス停まで送ることもしなかった。

 キャンプから戻ると、思いがけない誘いが入った。小島に逗留しているレイサからの伝言は、気持ちが沈むミチカに願ってもない招待になった。
 初老の紳士が、車で迎えに現れた。昼間に見ると紳士は、父親の世代だった。レイサより少し年下のように思えた。
 昼間の港は、生活感に満ちていた。その中を機船が通り抜けていった。
 砂浜に接したテラスの長椅子でレイサが寛いでいた。本を閉じて歓待してくれた。
 「よく来てくれました。」
 長椅子の隣を勧めた。椅子に座ると視線が低く海面に近いことにミチカは気付いた。
 「突然で驚かれたでしょう。」
 そのレイサの気遣いにミチカは、素直に謝意を返した。
 「優しいのね。」
 レイサは、自分の予想に納得したようだった。
 「彼も、優しいのよ。」
 初老の紳士は、柔らかい笑みを口元に浮かべていた。
 「彼はね。わたしを見守ってくれているの。楽しい時も辛い時も。たぶん、最後の日も。」
 話は、静かにミチカの心の奥深くに沁み込んだ。
 「褒め過ぎかしら。惚気になるのを許してくれる。」
 レイサが、そう断って続けた。
 「彼と初めて会ったのは、貴男より少し若い頃だったかしら。」
 出逢いの詳細を語らなかった。それでもミチカは、断片だけでも二人の昔を慮ることができた。
 「思い出の価値は、人それぞれだと思うけど。わたしは、幸せだった。感謝しかないわ。」
 レイサは、ミチカの顔を静かに眺めた。
 「小母さんの戯言を聞いてほしくて、ご招待したの。許してね。」

 海が見える食堂は、簡素な造りながら厳選された材質を使っていた。調度品も同じ考えで統一されミチカを感嘆させた。
 初老の紳士が用意する昼食は、正式なものだった。時間を掛けて食事が進む形式は、新鮮で楽しめた。器の趣味がサナの好みと似ているのに気付いたが、ミチカは胸の内に治めた。
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