潮騒が揺らぐその間で 三話

文字数 1,977文字

 少し遅い朝食に招かれた。マリサの手料理は上手だった。見えないところに手間を惜しまない工夫がされていた。
 「近くの高校なの?」
 サナの質問は、遠慮がなかった。直線的な話し方に好感が持てたからだろう。ミチカの緊張も解れた。
 「……進学校ね。受験勉強しているの。」
 「バイトが楽しいので、それなりにです。」
 「優秀なんだ。」
 サナの言葉に嫌味はなかった。
 「大学、決めているの。」
 「ここから離れた場所なら、どこでも好いかなって考えています。」
 ミチカは、隠すことなく本音で答えた。サナは、海辺の町に詳しかった。それでも、この土地で生まれ育ったように見えなかった。
 「そぅ……。春には、どこかで会えるかもね。」
 サナが、夏の間だけ岬の隠れ家を使っているのを知ったミチカは、彼女の豊かな生活様式を想像して微かな羨望を抱いたのだった。
 「でも、この海辺の町は、ステキだと思うけどな。」
 サナの忌憚ない見かたは、新鮮だった。
 「一度離れると、たぶん。この場所の好さに気付くわ。予言させてね。」
 「嫌いではないのですが。一度、外の世界を観てみたいのだと思います。」
 ミチカは、言葉を選んで迷いながらあの時、出会ったばかりの他人に真実を語っていた。

 サナが点てる珈琲は、懐かしさと不思議な魅力が入り混じった風味がした。古い器が、ミチカの好奇心を引き寄せた。
 「良い器ですね。……もしかして、年代物ですか。」
 「ご明察。鎖国時代の磁器よ。一度、海外に出たものを買い戻したらしいわ。」
 サナが、てらいなく使う言葉の重みにミチカは緊張した。
 「大丈夫。貰い物だから。気にしないで。」
 高価な骨董の器を贈る相手の素性を想像しながらミチカは、それらの器を日常に使うサナの常識に感心した。
 「良い器でも、使ってあげないと可哀そうでしょう。」
 ミチカも同じ考えだった。サナが使う赤絵の器は、金で継がれ修復されていた。
 「ですね。これ、とても美味しく入っています。」
 ミチカに珈琲の出来を褒められたサナは、幸せそうな笑みを浮かべた。
 「君、いいね。男の子だけど。」

 その後、遠い外国の話になった。サナが訪れた数多くの異国の物珍しい話は、外の世界を憧れる年頃のミチカに新鮮な希望を齎した。
 「最初に出かけたのは、大学に入って直ぐだったな。カメラだけを持っての旅立ち。」
 難関の有名な大学に入ったものの直ぐに休学して海外に出かけたサナの若い姿が想像できた。
 「船で渡って、それから列車で一週間以上の旅だった。」
 ミチカの質問に億劫がる様子も見せずにサナは語った。
 「降りた後は、乗り合いバス。気になる場所で暫く滞在して、次に向かう気儘な旅。南に下ったり、東に引き返したり、北に寄り道したりして西の海に辿り着いたのは、半年後だったかな。」
 サナが半年の旅を終えて大学に戻ってからの話になった時、ナミから連絡が入った。約束を想い出したミチカの表情の変化を読み取ったサナは、悪戯っ子のように軽く冗談を向けた。
 「……さてさて、緊急事態かな。」
 ミチカが困惑するのを面白そうに冷やかした。
 「彼女さん?」
 「同級生です。バイト先の。」
 ミチカは、余計な説明をした自分が疎ましく言葉を選んで付け加えた。
 「幼馴染です。」
 「そうなんだ。でも、約束は大事にしないとね。」
 サナは、ミチカを玄関まで見送ると、砂浜の近道を示した。
 「君の自転車が待っている近くまでつながっているよ。」
 玄関に、モノクロの写真が額に収められ飾られていた。その裸体のモデルは、マリサのようにも見えた。ミチカは、気付かない素振りで目の端に留めただけにした。ミチカは、礼を述べて尋ねた。
 「今度、お話の続きを聞かせて頂けますか。」
 「勿論よ、歓迎するわ。遠慮せず、いつでも遊びに来てね。花なんか頂けると、嬉しいかも。」
 サナは、そう言ってミチカを送り出した。

 その日の自転車は、何時になく軽快で幸せな走りをした。
 ナミは、待ち合わせの図書館に着いていた。ミチカから何時もと違う雰囲気を感じ取ったのか。ナミは腰に手を置いたまま凝視した。
 「プレゼントを買うので、遅くなったんじゃないんだ。」
 ナミは、少し嫌味っぽく言った。
 「どこかに、寄り道していたの。」
 「……ゴメン、先に謝る。」
 ミチカは、非を認めて謝った。それでも、気持ちに余裕があった。ナミの眼差しは、拗ねたように揺らいでいた。
 「謝るんだ。」
 ミチカが勉強道具を持っていないのを目敏く確認するとナミは、独り先に向かった。入口の手前で振り返り命じた。
 「お昼、奢りね。」
 ミチカは、家に戻り途中でナミの好物をテイクアウトした。

 その日は、夜になっても幸福な気分だった。不思議な出会いにミチカは、将来の景色を想い巡らせていた。それだから、親父の遅い帰宅も気にならなかった。
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