二、枯葉の匂いが雨の色を

文字数 2,175文字

 従兄の単車の後ろに乗せてもらうのは、大学四年生の夏に帰郷したとき以来だった。あの短い夏は、従兄の後ろにばかり乗っていた。
 「……そろそろ、中年太りの年齢でしょうか。」
 モノカは、揶揄った。腰に手を回した感じが若い頃と変わらなかった。
 「お兄ちゃん。何歳になったの。」
 「モノカより七学年上だっただろう。」
 「妖怪。歳を取りなさいよ。」
 モノカが、呆れて言った。
 「わたしが、年上に見られてしまうよ。」
 モノカは、体を押し付けて自分の胸の脹らみをキヨに伝えようとした。体を密着させて男の意識を惹こうとしたが、自分の方が気持ちを昂らせたの隠した。
 学生最後の夏に、キヨからどのような言葉を引き出したかったのだろうか。モノカは、その想いを記憶の深みに沈めたままだった。
 『……わたしを見てくれていた。』
 そう思える自信は、モノカにあった。
 『素直でなかったのは、どっち。』
 単車の後ろから見える景色は、五年前と同じだった。キヨの新緑のような体臭が懐かしかった。
 「……叔母様、驚くかな。」
 そう呟くモノカは、キヨ以上に冷静な叔母の姿を目に浮かべた。
 少し離れた高台のペンションも昔のまま変わらなかった。庭の草木に水をやっていた叔母の姿は、五十歳を過ぎているように見えなかった。
 「……わたしが驚いた。貴方たち母息子は、妖怪ですか。」
 キヨにそう言って、モノカは単車の後ろから悪戯っ子のように顔を覗かせて叔母のナオに挨拶した。
 「驚いてくれました。」
 「あら、どちらの姪っ子でしたか。」
 ナオは、驚きもせずに昔のように軽口を向けた。
 「五年ぶりに驚かされたわよ。」
 「お土産あります。」
 「感謝。」

 始めて見る若い娘が、台所に立っていた。モノカは、その雰囲気の馴染みように言葉を失った。
 「パートに来てもらっている、ミコトさん。」
 ナオの紹介で挨拶したモノカは、自分でも緊張し身構えていた。
 「姪っ子のモノカ。何処かの大きな町で何をしていたかしら。詳しくは、後でキヨに聴いてね。」
 ミコトは、静かに頭を下げた。鷹揚のない立ち振る舞いをする年下の美しい娘はモノカを警戒させた。
 『……なに、この娘。』
 モノカは、顔に出さず胸の内で蟠る記憶に戸惑った。モノカの思い出の奥底で埋没する断片の中で同じ景色を見たように思えたのだ。ミコトが用意した朝食は、悔しいぐらいに整って美味しかった。
 「叔母様の、ご指導ですか。」
 モノカは、素直に称賛した。高校生のように見えたミコトが、大学を休学して夏からこの村に住み着いているのを知ったモノカは、より困惑し密かな疑惑を拡げてしまった。
 「キヨの教え方が上手でしょう。」
 ナオは、言った。
 「炊事、洗濯、掃除。完璧よ。わたしが助かっているわ。」
 「……それはそれは。」
 モノカは、返す言葉も探さなかった。少し複雑な思いを隠しながらも、身内との朝食にモノカは、久々に気持ちが燥ぐのを抑えた。
 「それにしても、相変わらず暇ですか。」
 「奇特な旅人待ちね。」
 ナオは、そう謙遜するが、昔から人伝に訪れる客の評判は良かった。
 「今日、午後から入っているの。」
 「もしかして、若い男の御一行。」
 「そう、夏のリピーター。」
 「なるほどね。だから若い娘か。客寄せパンダじゃあるまいし。」
 「若い女性も来るわよ。」
 「そこの、妖怪目当てですか。」
 モノカは、少し意地悪くミコトにも聞こえるように尋ねた。
 「踊らせているの。」
 「たまにね。リクエストがあれば喜んで。」
 ナオは、気にする様子もなく答えた。モノカは、土地に古くから伝わる神楽を舞うキヨの姿を認めていた。
 「いつまで居られるの。」
 ナオに尋ねられてモノカは、正直に答えなかった。
 「予定は未定。有給の消化だから。お見合いする時間は、ありませんよ。」
 モノカは、美味しく点てられた珈琲を飲み終わると立ち上がった。
 「お父さんに連絡、よろしく。」
 モノカの頼みにナオは頷くと、今日の予定を尋ね確かめた。
 「取り敢えずは、散歩でもしますか。」
 モノカは、そう言い残してペンションを後にした。モノカは、少しばかり苛立っていた。大人げない態度をとった自分に嫌悪していたのだろう。
 「……妖怪母息子に、アンドロイドですか。」
 田舎の道を歩きながらモノカは、独り呟いていた。そう声にすると、少し気持ちが楽になった。何に対して意固地になっているのか気付き冷静になれた。
 「若い子相手に見っとも無いですか。……でもね、宇宙と交信できると話し出したら、呪われろって、言ってあげる。」
 そう言葉にすると、踏ん切りがついた。
 「まあ……、いいでしょう。そういうことで。」
 田舎道を歩きながら同級生のユウの家に向かった。小さい頃からモノカを姉のように慕う物静かな男の子だった。
 ユウの家に着くまで気持ちは修まっていた。ユウは、留守だった。書置きをポストに入れた。モノカは思った。来たことを知らせなくても、帰ってきているのが夜まで村中に知れ渡るだろうと。
 「……だから、田舎は困る。」
 その足で神社に帰った。久しぶりの自分の部屋は、考えている以上に寛ぎ落ち着けた。ベッドに横になって窓の外を眺めていると、家を離れて都会暮らしの日々が想い返った。涙が溢れた。誰も居ないのが解っていても、声を出して泣けなかった。
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