潮騒が揺らぐその間で 六話

文字数 1,671文字

 サナとマリサを浜辺の街で視かけなかった。二人は、車を使い遠くの街まで買い物に出掛けていた。
 八月に入った頃、偶然に交差点でサナと出会った。信号待ちの短い間に、バイト帰りのミチカはサナから誘われた。
 「夕食においでよ。」
 ナミと約束をしていたミチカが、躊躇っているとサナが屈託なく続けた。
 「先約があるなら、一緒にいらっしゃい。」
 サナの勘は、鋭かった。ミチカの逡巡を敏く見抜き提案した。
 「歓迎させて。」
 天蓋を開けた車のサイドシートでマリサは、白い帽子の鍔の下から虚ろな視線を海に向けていた。人形のような生気のないマリサに気持ちが引っ張られるをミチカは包み隠した。
 車を見送ったミチカは、家に立ち寄らずにそのまま岬の別荘に向かった。自転車を急がせながら、ナミに急用の連絡を入れた。ミチカの説明にナミは、途中から無言のままだった。
 「ごめん。花火まで終われは、迎えに行くから。」
 ミチカの提案にナミは、声の調子を落として了承した。
 「……いいよ、無理しなくても。お姉ちゃんに頼まれていることもあるから。」
 ナミが一方的に通話を切った。ミチカは、携帯を握りしめ自転車を停め振り返り街を眺めた。迷っているのが少しばかり情けなかった。

 夕食後、川向こうのダンスホールに出かけた。港の対岸の高台からは、花火が遠くに見えた。音と共に寄せる花火の華が心躍らせた。ダンスホールに集う客層は、幅広かった。ミチカより若い姿もあった。対岸の花火を楽しみに訪れていたのか。広いバルコニーに人が集っていた。
 常連のサナとマリサは、入場前から行き交う人と挨拶を交わしていた。
 「踊りましょうか。」
 サナに導かれるようにフロアに立った。ミチカは、初めての社交ダンスに果敢に挑戦した。サナのリードに身を委ねながら。
 「……君、素質があるよ。姿勢がいいから、大丈夫ね。」
 サナの深い海のような香水に心が騒いだ。生演奏の音の厚みと共にあの夜の感覚は、後々までミチカに強い印象となって残った。
 その後、サナとマリサが抱き合って波間で揺らぐように踊る優雅な姿にミチカは魅入られた。映画のシーンのような華やかさがあった。あの時、ミチカは理由も分からずに二人からの距離を予見したのだろうか。
 『俺とは、違うってことか……。』
 そのような思いに浸っていたミチカに声を掛けてきたのが、白銀の髪が綺麗な少し年配の婦人だった。身嗜みの整った物静かな印象に警戒することなく挨拶を返した。彼女の嗄れ声が、落ち着きをより深く見せていた。
 「……どこかで、お会いしたかしら。」
 レイサと名乗った婦人が、涼し気な眼差しを向けて尋ねた。ミチカは、記憶を辿り確かめ初対面なのを正直に答えた。
 「……そぅ、勘違いのようね。許してね。」
 連れている初老の男の所作を見れば婦人の身分が窺い知れた。
 サラとマリサが手を繋いで戻ってくると、二人の年配に親し気に挨拶を始めた。
 「お戻りになられていらしたのですね。」
 サナの恭しい言葉遣いが婦人の立場を物語った。
 「気付かなくて、お許しください。」
 「昨日、早朝に着いたの。連絡せずに気を悪くしないでね。」
 レイサは、サナの腰に腕を回して抱き寄せたまま話した。
 「早朝の空港に出迎えてくれるのは、昔も今も彼だけ。」
 初老の男の優しい眼差しが、二人の関係を教えているようにミチカは思えた。
 「……ところで、サナの話を聞かせてくれるかしら。先ずは、そちらの可愛いお嬢さんを紹介してね。」
 サナは、マリサを前に進ませると、間柄を伝えた。その様子は、母親に恋人を紹介するような仰々しさが見えた。レイサがマリサの細い顎に指先を添えて顔を上げさせた。
 「一途な瞳、良い子なのね……。」
 レイサの優しい言葉にマリサは、緊張しながら逡巡が混ざり合った感情を抑えているようにもミチカは思えた。あの時、何を感じ取っていたのだろうか。畏怖する中に嫉妬を潜ませるマリサの揺れる眼差しが、ミチカの中でその後も残り続けた。
 ミチカは、テーブルの端から女性三人の遣り取りを遠く感じながら見守った。
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