潮騒が揺らぐその間で 十一話

文字数 1,953文字

 昼食の後、レイサから散歩に誘われた。小さな島は、雑木林を自然のままに残しながら整備された遊歩道が廻っていた。島の北端の高みに屋根付きの八角形の庵があった。一間の建物は、中央に丸い卓があり外壁の内側に沿って縁台になっていた。
 「島に戻ってくる楽しみの一つに、ここで過ごす時間があるの。」
 レイサは、物思いに耽る時や本を読んだり書き物をするのに使っていた。少し高台から見える外海の広がる景色は、ミチカも共感できた。
 「独りの時間が大切なのは、昔からそうだったけど。ここが特別な場所になっているの。」
 レイサの語りから遠い昔を想像していたのだろうか。ミチカが遠くの海を眺めていると、レイサは引き戻すように尋ねた。
 「彼とわたしの関係を、どう見たかしら。」
 「……そうですね。」
 ミチカは、返す言葉が見えているのに躊躇いが芽吹いているのを不思議な思いでいた。レイサが辛抱強く待った。
 「最初は、昔からのご友人かと思いました。」
 ミチカの言葉が、風の流れのように放たれた。
 「ですが……。」
 話を止めたのをレイサは、見守るような優しい視線を向けた。
 「少し違うのかなと、考え始めました。」
 それを聞くとレイサが、穏やかな微笑みを浮かべた。
 「貴男は、よく見ようとしていますね。年寄りの戒めとして聴いてもらえるかしら。」
 レイサは、そうことわってから始めた。
 「たぶん最初、彼は見えていなかった。でも、ある時点から気付いたのでしょう。それでも、わたしから離れなかった。分かっていながら、わたしを待っていてくれたのです。」
 レイサは、そう言って相手を量るように尋ねた。
 「その彼の判断は、正しかったかしら。」
 「……。」
 ミチカが応えに迷っているとレイサは、安心したように続けた。
 「彼が幸せだったか、どうかは、聞くつもりはないけど。」
 そこで言葉を置いてから続けた。
 「感謝しています。でも、わたしが背負わせたことを疎ましく思う、もう一人のわたしがいるのも事実なの。」
 あの午後は、ミチカを少しばかり大人にさせた。レイサは、若い学生の資質を観察して見極めていたのだろう。途中からレイサの意図に気付いたが、煩わしくもなかった。素直に耳を傾けられるミチカは、自分の先に続く長い人生を垣間見たからだろう。
 夕食も請われるままに同席した。
 「若い人には、足りないかしら。」
 夕食を軽めにするのは、外国生活で習慣になった話をした。
 別れ際にレイサは、優しい眼差しを向けて悟らせるかのように告げた。
 「貴男は、急ぐ必要もないでしょう。そう、わたしには見えましたよ。」
 夕闇の中を初老の紳士が家まで送ってくれた。

 数日は、ミチカを深く考えさせた。
 同時にナミの真剣な視線と偽りのない親身な言葉がミチカを沈思させていた。

 夏の盛りに近付こうとしていた。午前の早い時間にサナから連絡が入った。その招待は、レイサに逢いに行ったことを知っての誘いのようで偶然に思えなかった。
 数日が過ぎて少し考える冷静さを備えていたからだろう。ミチカの気持ちは固まっていた。
 花屋に立ち寄り、迷わず白い百合を買い求めて岬の別荘を訪問した。
 サナは、髪も梳かさずに部屋義のまま玄関で迎えてくれた。花を悦びミチカの頬に軽く口付けた。
 「良い子ね。ありがとう。居間にいて。」
 ミチカが居間で朝の海を眺めていると、素顔のマリサが寝室のある階下から顔を覘かせた。目で挨拶を返して再び引っ込んだ。サナの気楽な声が奥から届いた。
 「お茶の用意をお願いしていいかな。」
 ミチカは、古い茶器で準備を始めた。身嗜みを整えたサナが先に姿を現した。サナは、ミチカのお茶の用意を見ながら尋ねた。
 「器を手にすると、その日の機嫌が解る気がしない?」
 「器のですか?」
 ミチカは、準備の手を止めて聞きなおした。サナが語る意味を理解しようと少し考えてみた。
 「そぅ。器の気持ちが解ると。」
 サナの口元が綻んだ。
 「それは、とても素敵なことだと思うの。」
 少し遅れて白いサマードレス姿のマリサが現れた。
 「そこまでは、考えた見たこともなかったです。」
 ミチカは、正直に答えた。
 「でも、必要なことなのですね。」
 お茶と一緒に異国の菓子が並べられた。
 「よく入っている。」
 サナは、お茶を褒めた。
 「お茶って、その人が現れでるでしょう。」
 「褒めて頂けましたか。」
 ミチカは、照れを隠すように言った。大人のサナは、余裕の笑みを向けた。
 「素直になりなさい。君が想像しているよりも、未来は少し優しいよ。」
 「そうですか。」
 ミチカは、自分の言葉に戸惑った。
 「今の僕には、そう思えません。」
 「だから、いいお茶が入れられるのよ。自慢しなさい。」
 サナの傍でマリサは、黙って器を口に運んでいた。
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