第64話 神をも射抜く宿り木の矢

文字数 7,081文字

「私に新しい名前を」
 使い魔に名前を与える。それは使い魔を自分の一部とすることだ。
 元々ミステルは、正式な契約を結ばずとも使い魔として機能していた。それはミステルが自分からアローに献身していたからだ。
 だからその気になれば彼女は、自分からアローの元を離れることができた。
 アローがそういう風にしたのだ。彼女が自分と離れるつもりになった時――あるいは自分が思いの外早く死んだ時に、選択肢が残るように。
 とはいえミステルは死んでそれほど経ってはいないし、正式な契約を結んでいないだけにアローが死んだらそのまま冥府送還になる可能性が高い。
 だからこそ、彼女の存在を固定する肉体の器が必要だった。アローが森を出てまで彼女の身体を作ろうとしたのは、そういった意味もあった。
「ミステル、僕はご主人としては不甲斐ないと思う」
「ええ。不甲斐ない、色々と心配なご主人様です。私も人のことを言えるほどではありませんが」
 ミステルは微笑み、アローの首に抱きつく。
「もう一度選ばせてください。今度こそ本当に、最後まで!」
 森の中で生きてきた。師匠が旅立ってからは二人きりで生きていたつもりだった。
 だけどそれは間違いだった。アローとミステルは、二人でいるつもりでずっと一人と一人のままで生きてきた。
 そして間違って本当に孤独になった。一人と一人のまま、永遠に二人になることはもうできやしない。
 それでも、隣に立ってくれるというのなら――。
「確かに貴方は完璧ではありません。世間知らずですし、鈍感ですし、こんなにすぐ近くで一途に思っている美少女がいるのに欠片も気づかずに妹扱いしてきますし、それでモテるとかもう鼻で笑ってしまう感じなんですけれど」
「地味にものすごく辛辣だな」
「貴方はそれくらい全力で斜め下に突き抜けているということです。……まぁ、私がそれに一役買ったことは認めないわけではありませんが。でもあそこまで全力でモテ期を空振りできるのはある種の才能を感じますね。やっぱり鼻で笑います」
「テオに向かって言ってるのを何気なく聞き流していたが、いざ自分が向けられるとなかなか来るものがあるな」
 あんまりな言われように、さすがのアローも若干笑顔が引きつる。しかし、ミステルは腕の中でクスクスと楽しそうに笑った。
「つまりですね、貴方が多少格好悪いということは、とっくの昔に知っているんです。知った上でお慕いしていたんです。だから今更それくらいで凹むなんて、愚の骨頂です」
「そこまで言うか」
「言いますとも。……ですから、貴方が私に対して感じている引け目なんて、ささいなことです。貴方が私の後悔や醜い部分を、何の気もなしに叩いて捨てたのと同じように」
 ミステルはアローの腕から抜け出すと、立ち上がりそして手を差し出した。
 それはまるで、いつか自分が幼いミステルに対してそうした時のようで。
 柔らかい燐光を纏いながら、その少女は――かつてミステルという人間だった彼女は、アローの手を取った。
「貴方が嘆く時は、支えとなりましょう。貴方に幸福が訪れたなら、祝福の詩を捧げましょう。最期までお供いたしましょう、その先に貴方を見送りましょう。だから……」
 二人で、手を取り合う。あの森と同じ風景の中で。
「――もう一度、私だけの神様になってください」
 神様と呼ばれるにはアローはぜい弱で、不本意に得た自分の力に振り回されてばかりいて、師匠の無茶ぶりひとつ満足にかわせない。ミステルに言わせれば鈍感で格好悪い人間だ。
 ミステルが生き返るわけではない。孤独と孤独で分かたれたまま、その断絶は最期の時まで続く。
「僕がお前の神様になる。お前を絶対に最期まで連れていく」
 それでも一人と一人で隣に立てるから――。
「お前に新しい名を与えよう……『神をも射抜く宿り木の矢(ミストルティン)』」
 それが契約の証。
「――はい、私の主」
 ミステルはローブの裾をつまんで、うやうやしく礼をする。
 淡い燐光は強い光となって、薄暗い森の景色を照らしだした。
 今までのミステルのように、オステンワルドで自ら条件付きで契約をもちかけてきたリューゲのように、アローに一方的に助力したわけではない。
 精霊や悪霊、あるいは妖精と呼ばれるものに名を与える。それは命が続く限りに自分の側に置く。自分の支配下である眷属とすることを意味する。
 家族としてではなく、主従として。魔術師と使い魔として、同じ道を歩む。それがミステルの選んだ答えで、アローの応えだ。
「では、主様。私は何からすればよろしいのでしょう」
「さっそくで悪いが、僕の魂が地味に削られていてな。さっさとガンドライドを浄化したい」
 指の半分から削れ始めたアローの魂は、すでに右手首を越して腕まで削れ始めている。一度削れ出すと消耗が激しい。力を使っていなくても少しずつ削れている。
 ガンドライドの中にいるだけで、魂には多少影響が出ているということだろう。だからこそ、ミステルも錯乱状態になっていたのだ。
「かしこまりましたわ、我が主様。貴方の手首を削る狼なんて、こらしめてみせましょう」
 ミステルがローブの裾を閃かせて回る。まるで舞踏会のように。
「ふぅん、結局妹と仲良く手と手を取り合ってるだけじゃないの? クロイツァの弟子」
 師匠の指示なのか、それとも純粋に成り行きに興味があったのか、今まで何一つ口出しせずに見守ってきたガンドライドの少女が、退屈そうに吐き捨てる。
「そうでもないぞ。ただの高位魔術師霊と契約聖霊じゃあ、だいぶ格が違うからな」
「そういうことです」
 ミステルは微笑み、踊る。淡い燐光を纏ったその舞いに、少しずつ魂が集まりはじめる。
 アローと契約をすることで、ミステルはただの力の強い魔術師の死霊から、一つ格上の存在となる。
 魂だけの存在は曖昧で、肉体の器を持たない状態ではきちんと姿すら保てない。だからミステルは遺灰を媒介にして存在するしかなかった。だが、今は遺灰ではなくアローとの契約によって世界に繋がれている。
 だから彼女は本来持っていた魔力を行使できる。死霊ではなく、聖霊や妖精に近い存在となった。
「私の生前の専門は呪術。だけど死霊術師でもありました。……それも稀代の死霊術師の直弟子だったんです。あまり侮らないでくださいね死霊騎行の魔女(ガンドライド)――さぁ、『死と共に踊りましょう』」
 アローほどではなくとも、ミステルは死霊術において十分な素質をもっていた。そして『神をも射抜く宿り木の矢(ミストルティン)』の名前を得たことで、その力はそのまま聖霊としての彼女の力として昇華される。
 彼女の周りに踊り狂う白い光は、ミステルがガンドライドから制御を奪い取った死霊たちのもの。
「私の矢は貴方でも貫けますよ? 霊体ですからね」
「……そちらこそ、あまり舐めないでほしいものね」
 ガンドライドの少女が猛禽の群れとなって、襲いかかる。鷲、鷹、鳶、梟。肉食の鳥たちの群れを、ミステルは一つずつ撃ち落とす。
「あのジャリガキの弓の技を見ておいて良かったですね。意外なところで役立ちました」
 撃ち落とされた鳥たちが再び血肉をまき散らしながら蘇り、襲いかかる。しかし、こちらで戦えるのはミステルばかりではない。
『死を記憶せよ』
 アローが呼びだした煉獄の炎に、次々と撃ち殺される。
「貴方が前に出ないでください。消耗しますよ」
「まぁ、これくらいはな」
「本当に、手間のかかる方です――さぁ、森での哀しみなんて忘れて私と一緒に踊りましょう。貴方の死と共に、踊りましょう」
 ミステルの声に呼応して、死霊の魂は少しずつ暗い森を青白く照らしていく。
 それと共に、だんだんガンドライドが放つ鳥の数が減っていく。
「どうして…………」
 か細く苦し気な声で呻くガンドライドの声が、ミステルの撃ち落とした最後の一羽から漏れ出た。
「どうしてって、簡単なことではありませんか」
 青白い光に包まれて、『神をも射抜く宿り木の矢(ミストルティン)』はまるで慈悲深い女神のように微笑む。
「辛く苦しい魔女の行列よりも、逝くべきところに導いてくれる者のところにゆきたい。誰しも皆、死んでまで辛いのは嫌ですものね。だから皆さん、私の方についてくれます。もう、楽になりたいから」
 暗い森の風景が、燐光によって照らされて、溶かされていく。
「さぁ、貴方も逝ってください――私が、私たちが、救ってあげますから」



 青白い燐光は、空へと登っていく。
 森を象っていた世界は姿を消して、やがてアローは目を開く。
「アロー!」
 聞こえてきたのはヒルダの声で、それでアローは自分が草むらに寝転がっていたことを知る。
「ヒルダ……ということは、戻ってきたな」
 起き上がる。硬い地面に寝ていたのに、身体がさほど痛くない。つまり、それほど長い時間は経っていない。
 ヒルダはすぐそばでアローの顔を覗き込んでいる。よく見ると後ろにリューゲもいた。やはり彼女は師匠によってガンドライドの中から弾かれていたのだろう。
「そっちは?」
「私たちの方は大丈夫」
 確かに、ガンドライドらしき影はすでにない。ミステルがガンドライドの統率者を冥府送還したからだろう。
「どういうことなのか説明してほしいものね。黒妖精を弾きだすなんて、貴方の師匠はおかしいわ。それと、貴方の妹もどうなっているの?」
 リューゲが呆れ半分、興味半分といった様子でアローを見つめる。彼女の言葉で、アローはハッとしてミステルの遺灰を探す。瓶はそこにある。しかし声はすぐうしろから聞こえた。
「そうだ。ミステルは」
「はい、ここにおります」
 振り返ると、ミステルふわりと姿を現したところだった。
「ミステル!?
 彼女が普通に姿を現したことに、アローよりもむしろヒルダが驚きの声をあげる。事情を知らないのだから、当然といえば当然か。
「ミステルが出てこれたってことは、アローの魔術回路が治ったってこと?」
「いや、残念ながらそちらの方はさっぱりだ。だが、ミステルが外に出られたのは良かったな」
 ミステルとの契約形式が変化したことで、ミステルは媒介なしでも存在が可能になった。ガンドライドの内部世界だけだったら困りものだと考えてはいたが、これで懸念の一つはなくなった。アローが死なない限りは、問題なく外に出られるようになっているはずだ。
「これからはますます主様のために尽力いたしましょう!」
 ミステルは得意げに胸を張る。その隣でリューゲが白けた顔で、アローとミステルとを交互に見やった。
「この娘と契約として、一緒くたに扱われるのはかなり心外だわ……」
「安心しろ、君とは契約様式が違う……というか、リューゲは契約期間が僕が死ぬまでになっているからいるだけで、契約内容自体はもうすでに達成しているからな」
「別にご不満ならいいのですよ? 主様をお守りするのは私の役目ですし、あなたはただそこにいるだけではありませんか。私の方がお役に立てますから!」
「別にそれでもいいけど、契約対価をもらってないわ。対価によってこの世界に繋がれているんだから、離れようがないわよ。役に立つ必要だってないし? 貴方の大切なお兄様の目玉をえぐってもいいなら考えるけれど?」
「主様、この女は敵です。排除しましょう」
「落ち着け。黒妖精を倒すのは魔術回路が無事でも無理だ」
「ああ、この感じ懐かしいわ……ミステルが帰ってきたって実感するわ。やっぱ声だけとは臨場感が違うわね」
「臨場感、とは……」
 怒り狂うミステルと、聞き流すリューゲ。確かにこんな場面は久しぶりに見た。
(しかし、主様という呼びは何というか……不可思議な気持ちにさせられるな)
 子供の頃からずっと「お兄様」呼びだっただけに、何ともむずがゆい。
 今までも血は繋がっていなければ、親に引き取られたというわけでもなく、厳密には全く兄妹ではなかった。だから、今の方が関係性を考えると、呼び方としては正しいのだが。
「その主様という呼びはやめないか、ミステ……ミストルティン」
「ミステルでいいですよ。あだ名ということで。あと、私も少なからず背筋にむずむずきていたところですので、今まで通りでいいですか?」
「よろしく頼む」
 二人のやり取りを聞き、いまだ状況を把握できていないヒルダが首をかしげる。「つまり、どういうことなのよ」
「さっきまでガンドライドの内部に取り込まれていたんだ。ややこしいので端折って話すと……、ミステルとの契約をより強いものにして、それでミステルに魔法を使ってもらって撃退した、といったところだな」
「私が内側から吹き飛ばしてやりました!」
 渾身のドヤ顔を決めるミステルに、ヒルダも肩の力が抜けたようだ。はぁ、と大きく息を吐く。
「まぁ、何にしても無事で良かったわ。またオステンワルドの時みたいになったらどうしようって思ったもの」
「ああ、心配するな。せいぜい魂が片腕の半分くらい削れたくらいだぞ」
「大丈夫じゃないわね!?
「大丈夫だ。自然に回復する範囲内に留めた。努力の結果だな」
 ミステルに続きアローも謎のドヤ顔を決めたが、ヒルダにぺちんと軽く頭をひっぱたかれてしまった。
「危ない橋を渡らない努力をして! っていうか、ミステルも何か言ってよ」
「ヒルダ、今回に関しては私はそういう立場にないので、意見することは差し控えさせていただきます」
「どういうこと!?
 ヒルダはますます困惑する。
 アローとミステルは顔を見合わせ、苦笑いをした。まさかミステルがやったとは言えない。
 その辺を話し始めると、ガンドライドの内部に囚われていた間のことを全て説明する羽目になる。
 そうなると、オステンワルドの一件以来どうにも心配性をこじらせつつあるヒルダを、ますます心配させることは容易に想像がついた。
 というわけで、主従は目配せをしあって、この一件は秘匿することにしたのである。
 ヒルダは納得いかなさそうな顔だが、深くは追求しなかった。こういうところは空気を読んでくれるのがありがたい。
「アロー君、無事のようだね」
 もう危険はないと判断したのだろう。ハインツがテオを伴ってやってきた。
「まぁまぁ無事だ。ミステルも復活したしな。魔術回路はまだだが――」
「ミステルさぁぁぁん!!
 アローの言葉が終わらない内に、テオがものすごい勢いでミステルに駆け寄っていく。そして彼女に抱きつこうとして、見事にからぶってそのまま顔面から地面を滑っていく。何というか、哀れだ。
「テオ、ミステルにはまだ実体はないからな。それとどさくさに紛れて僕のミステルに抱きつこうとするな。実体があったら抱きつく前に吹き飛ばしてたぞ……ミステルが」
「あ、いいですね、お兄様。その『僕のミステル』ってところもう一度お願いします」
「僕のミステル」
「はい、ありがとうございます。わかりましたか、ジャリガキ。私は基本的にお兄様のものですので、ジャリガキは眼中にありません。あと、天変地異が起こって私は貴方に懸想するなどという異常事態が起こったとしても、私はお兄様と本当の意味で一蓮托生となっています。もれなく舅としてお兄様が付いてきますので、覚悟してからかかってきてください」
 擦り傷と鼻血まみれになった顔をさすりながら、テオが怨念のような声で「はい」と呟いた。
「じゃあ、俺はアローさんにたくさん恩を売ればいいんですね」
 しかし、全然こりていなかった。
「そういうことは借金を返してからいえ」
「はい、すみませんでした! 今回の働きで少しばかりの減額をなにとぞ!」
「もう貴族とか騎士の誇りとかかけらもないわね……」
 ヒルダが若干引き気味にそう述べたが、テオはめげずに「それほどでも」と開き直った。全く褒めていないというのに、このしぶとさはある意味称賛に値する。
「君を狙っていたガンドライドは消滅した、ということは今回の条件はこれで達成されたということだね」
 ハインツは余った聖霊符を懐にしまいつつ、衣を整えた。白い司祭服には汚れひとつついていない、遠隔で聖霊魔法を放つだけで埃一つを浴びていないのだから、本当にわけがわからない。
「ああ、そうだな。君は帰っていいぞ。どうせ仕事があるのだろう。主に青薔薇館の視察やら教会の裏手での密会などが」
「アロー君、君は私に対しては若干当たりが強いね? ……否定はしないが」
「否定できないという時点で、当たりが強い理由を正当に把握してくれ」
 仮にも大教会の高位司祭を、いつまでも連れ回すわけにはいかない。
 ハインツだって何も男女の営みばかりに時間を割いているわけではないだろう。あるいは、青薔薇館のことを踏まえると、ある程度は奔放な女性関係も計算の内なのかもしれない。
「ここでの立ち話はお勧めできないね。王都の門が閉まる前に、帰ることをおすすめするよ」
「そうねぇ。私も明日は非番じゃないし……」
 ヒルダもやれやれといった様子で立ち上がる。
「これでアローのお師匠様が納得してくれるといいね」
《――ほう、この程度で私が納得すると思ったか?》
 その声は、突然だった。周囲の景色が変わる。日が傾き始めた頃合いの街道の景色が、どんどん黒く塗りつぶされていく。
「師匠、他の皆はあまり巻き込むなと――」
《ミステルを救う機会をくれてやったんだから、感謝をしてほしいのだがなぁ。ははははは》
 アローの言葉を遮るようにして、クロイツァは笑う。一行の周囲はどんどん黒く染まっていき、もはや風景は欠片もわからない。
《さぁ、アーロイス・シュヴァルツ。我が不肖の弟子よ。今度の試練は小手先だけではどうにもならんぞ?》
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み