第55話 白亜の城を後にして

文字数 3,538文字

「お世話になりました、皆さま、どうかお元気で」
 リリエと辺境伯に見送られて、アローたち一行を乗せた馬車は彫刻城を後にした。
 馬車はゆっくと通りを巡り、後ろの幕を上げると坂の上に遠ざかっていく白亜の城の影が見える。
「……あの下にあの古代竜の大きさの分の竜鋼ができているのかと思うと、なかなか感慨深いものがあるな」
「やめてください、アローさん。やっと忘れかけてたのに」
 ひとかけら売るだけでもしばらく食う寝るに困らないということを考えたら、気持ちはわからないでもないのだが、いくらなんでもテオは少し気にしすぎだ。
「まだ年収分の矢を撃ったことを気にしてるのか。ついでだから言うが、多分君が撃った矢の竜鋼は、本当は年収分よりもずっと高いと思うぞ」
「もっとダメですよ、やめてくださいよ!」
『せっかく少しは見直してあげたのに、小さなことでガタガタ言わないでください、ジャリガキ』
「すみませんでしたぁー!」
 他の誰が言っても聞かないのに、ミステルに嫌われるとなると話は別らしい。わかりやすい性格だ。
 そういえば、竜討伐以降は「いい感じに貴族のご令嬢と仲良くなって逆玉の輿に乗る」的な発言は、なりを潜めている。舞踏会でも、踊りはそっちのけでギルベルトと料理ばかりをついばんでいた。
 そういう自分も舞踏会でのモテ期をすべてぶん投げていた事実に気づかないまま、アローは思案する。
(うーん、僕としてはそこで本気になられても困るんだが)
 そもそもミステルは生きてすらいない。アローの使い魔であり、高位魔術師霊だ。今後魔術回路の修復に成功して、さらにミステルの器となる身体つくりにも成功したとして、それで彼女が人間として生き返るわけではない。
 彼女の身体はもうすでに灰だ。新しく作る器は、あくまで器でしかないのだ。
(まぁ、ミステルが生きていたとしても、本気になられたら困るな)
 ミステルの気持ち次第とはいえ、基本的にはアローは兄馬鹿である。簡単にお付き合いを認める気はない。
うちの妹が一番かわいい。お兄さんは許しません。
「でも、私も本当はあの剣、返したかったんだど……」
 テオの嘆きを尻目に、ヒルダがぼやく。
 六人乗りの馬車の片隅には、辺境伯が持たせてくれた旅の路銀や保存食、水が積まれているが、その中には剣が一振り含まれている。
 それはヒルダが常闇竜と戦うのに使った、あの竜鋼の剣だ。
 ヒルダは一度返却したのだが、リリエと辺境伯の希望で彼女に進呈されたものだった。
「素直にもらっておけばいいじゃねえか。俺はきっちり辺境伯から金とったぞ。まぁ、教会からもぶん取るけどな。契約にねえ仕事たんまりさせられたしよ」
「ギルさんは傭兵だからお金で解決できるかもしれないけれど、騎士はそういうわけにはいかないの!」
「竜鋼の剣振り回してたら戦女神の名にハクがつくぜ?」
「そういうのいらない!」
 ヒルダはバシバシと膝を叩きながら主張する。
 いつのまにか呼び方が「ギルさん」になっていたり、この二人もずいぶんと仲良くなったものだ。
 何故か少しだけ面白くない気分になりつつ、アローは竜鋼の首飾りを取り出した。
「もらっておけばいいだろう。竜鋼なら僕ももらったしな」
「アローのは魔術回路の治療もあるから必要経費でしょ?」
「なら君のも経費でいいだろう」
「ダメだってば。竜鋼の剣なんて手に入れたら即、家宝にするくらいのものよ。それを騎士の私が、王家を通さずに直接辺境伯から拝領するとかないない。これは一回女王様に献上して、それからどうなるかが決まるってところね」
 確かに、騎士の立場を考えると、名のある武具やそれに相当するものを勝手に拝領するのは問題かもしれない。なかなか面倒なものだ。
「私には自分のお金で買った魔法剣があるし、しばらくはこれで十分よ」
「欲がねえなぁ、嬢ちゃん」
 ギルベルトはあくびをかみ殺すと、馬車の中で腕を組んで寝転がる。
「俺は暇だから寝るぜ」
 そう宣言して、数秒もまたずにいびきをたてはじめた。さすが傭兵。休める時に休むことに関しては他の追随を許さない。
 ヒルダは呆れ混じりのため息をついた後、アローの竜鋼の首飾りをじっと見つめる。
「グリューネに帰ったら、アローの魔術回路の治し方、探さないとね」
「あー…………実は、ほぼ確実に治せる人物に心当たりができたんだが」
 みっともなく泣いたりした手前、若干の気まずさを覚えつつぼやくと、ヒルダは嬉しそうに顔をパッと輝かせた。
「えっ、本当!? 良かったね!」
『本当ですかお兄様!? 一体どんな方法です!?
「マジですか? マジで治るんですか?」
「どうしてテオまで食いつくんだ」
「ミステルさんの復活的な意味で最重要ですので」
 テオの額にはデコピンをお見舞いし、彼は悶絶したところでアローは改めて深く息をついた。
「ほぼ確実に治せる。それは嘘じゃない。それくらいの力がある人を知っている。ただ……」
「ただ……?」
「治してくれる、とは限らない」
「えっ?」
『…………………………まさか』
 ミステルはさすがに、それが誰のことを指しているのか気が付いたようだ。
「そうだ。僕の魔術回路をほぼ確実に治せるだけの人物。それは幼い頃の僕が制御できずに野放図になっていた死霊使いの能力を、『魔術的に統制する技術を開発した人』だよ」
「もしかして、それって…………」
 ヒルダにもわかったらしい。
 そう、他の誰でもなく、あの人だったからアローをここまで『人間』にすることができた。その人の名は。
「僕の師匠、クロイツァ様だ」
『やめてくださいお兄様!! 死にます!! 魔術回路が修復される前に、お兄様が死にます!!
 ミステルの絶叫が馬車に響き渡る。おかげで馬が驚いて、馬車ががたりと大きく揺れた。ギルベルトはそれでも起きなかったが、テオが転がって「んぎゃあ」という間抜けな悲鳴をあげる。
「んん、ええと……アローのお師匠様ってそんなに危険人物なの?」
「危険というか…………天才で、天災だ。あの人がいれば僕が常闇竜を封印するために頭をひねる必要もなかった。あの人は多分古代竜くらいひねりつぶす」
「……貴方のお師匠とやらに俄然興味がでてきたのだけど?」
 気が付くとリューゲが現れて、アローの隣に座っている。
「聞かせてほしいものね。常闇竜をひねりつぶす人間とやらの話を」
「人間…………人間なのかな? そういえば師匠とは……何だ?」
「えっ、待って? そんな哲学的命題なの?」
 首を傾げるアローに、ヒルダが困惑を深める。
『お兄様いけません、お師匠は、お師匠様はいけません。それはまずいです。あの人に頼んだらどんな無茶ぶりをさせられるかわかったものではありません!』
「いや、だがしかし、他に方法もないと思うぞ?」
『方法を! 作ってください!』
「そっちの方が無茶ぶりだ。そうだな、せいぜい素手で魔物を百匹倒すくらいの覚悟はきめておこう」
「ねえ、アローのお師匠様って、魔術のお師匠様よね?」
「普通に意味がわからないわ……」
 困惑を通り越して混乱しはじめるヒルダ。眼差しが「頭大丈夫?」と言いたげなリューゲ。転がったままのびているテオ。寝続けるギルベルト。響き渡るミステルの嘆き。
 馬車の中の混沌は深まっていく。
「まぁ、何とかなるさ」
「うーん、それじゃ、グリューネに戻ったらお師匠様を探す感じ?」
「いや、師匠なら必要だったら向こうから来ると思う。必要なければいくら探しても無駄だ、雲隠れしたままでてこないだろう。だから僕は、大人しく待つ」
「そういうもん?」
「そういうものなんだ。きっと今頃どこかで大笑いしてるさ」
 白亜の城は遠ざかる。あんなに命がけで戦った夜がまるで幻だったかのように。
 だけどアローの隣にはリューゲがいるし、死霊術も魔術も使えなくなったまま。
 竜鋼の首飾りを光にすかすと、青みがかった黒の向こうに銀の光が絶え間なく流れる様が見える。真ん中に空いた小さな穴から漏れる光が、今のアローにとっては唯一の希望だ。
「ヒルダ」
「どうしたの?」
「今度ちゃんと、男の側の踊りを教えてくれ。さすがにあれはない」
『ちょっと、どういうことですかヒルダ? 私が不在の間にお兄様と踊ったんですか?』
「あははは、大丈夫、心配しないで、アローに躍らせたのは女の方のだから」
『大丈夫だけど大丈夫じゃないですね!?
「ミステルが元に戻ったら、ミステルにも教えるね。ドレスもちゃんと選ぼうね。そしたら、アローと踊れるでしょ?」
『な……なら、いいです、けど……』
 どこか微笑ましい会話を横目に、リューゲは「平和ねぇ……」と気の抜けた声を漏らす。
 やがて馬車はゆっくりと城下を抜けて、門をくぐり、オステンワルドの豊かな草原の道を走りはじめた。
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