第2話 百人ナンパできるかな

文字数 5,825文字

 アローは困っていた。
 銀の閃きが喉元に突き付けられている。剣の切っ先である。その鋼の塊を振るわれたら、あっという間に首と身体が離れることだろう。
 絶体絶命である。
 今、自分に剣を突き付けているのは、凛とした美しい女騎士だった。歳は同じくらいだろうか。まだ少女といってもいいくらいだ。陽光を溶かしたように眩しい金髪に、澄んだ泉の底の碧を想わせる瞳の色。
 これはもしかして、世間的には相当な美形なのでは。
 絶体絶命で大変困っていたのだが、ほとんど初めて見る妹以外の同年代少女の姿が美しいことに、アローはやや感激していた。
 そんな場合ではないことは百も承知。しかし、美しい女性がいるのは良いことだ。何せ、これから美しい女性をこれでもかというほどナンパしなければならないのだ。
 綺麗な女の子がいる。しかも自分を見ても避けない。そんな当たり前のことが奇跡的に思える。ただし剣を向けられている。
「…………その前にこの状況を何とかしないとな」
 何せ剣を向けられている。
「何をブツブツ言っているのですか? やはり怪しいですね。杖や荷物はこちらに引き渡していただきます。ケガをしたくなければ、大人しく従ってください」
 少女騎士のその言葉に、アローはますます困ることになった。
 事情はよくわからないが、どうやら何らかの罪状を疑われている様子。森からはるばる王都に出てきた初日に、身に覚えのない容疑をかけられた。これで困らずして、どこで困るのか。展開が読めない。七年森で引きこもっている間に、王都はここまで治安が悪化したのか。
「お兄様、この不敬な女を始末すればよろしいのですか?」
 ずっと扉の前で突っ立って動かないアローの肩越しに、ミステルがひょっこりと顔を出す。
「ミステル、それでは僕の容疑が容疑ではなく現行犯になってしまう」
「封じた口などないのと同じです」
「ミステル……本当にやめろ。僕は平和的に解決したいんだ」
 ここでミステルが手を出すと、冤罪が有罪になってしまう。
 せっかく美人の女の子と出会ったのに、ナンパどころか斬られそうになっているのだ。こちらは誠心誠意をもってナンパをしたいだけなのに、それすらも許されない厳しい世の中。
「お兄様がそこまで言うのなら……」
 ミステルが渋々下がったのを見て、アローは「よしよし」と頷いていたのだが、目の前の少女騎士は疑惑の眼差しを深めただけだった。むしろ、青ざめた顔になった、というべきか。
「貴方……誰と話しているの」
「え、妹と……この辺にいる」
 指をさしてみせたが、ミステルは不機嫌な顔でそっぽを向く。完全に機嫌を損ねたようで、誰にでも姿を見えるようにしてくれない。アローが無理やり魔力を使って従わせることができないではないが、そんな場合でもない。杖を使ったら、首と身体が離れるかもしれない。
 今の状況を客観的に判断すれば、アローは虚空を指差して妹だなんだと言っている状況なわけだ。この少女騎士が、警戒するのも無理はない。
「やっぱり、御同行願えますか?」
「……ああ。何かすまない」
 杖と荷物を差し出して、アローは両手をあげてみせた。完全降伏である。



 ことのはじまりは、数時間前にさかのぼる。
 アローは森を出て、森に一番近い街道の村から乗合馬車で旅だった。
 長年引きこもって暮らした黒き森を離れて、ゼーヴァルト王国王都へ。
 ゼーヴァルトは四方を山と森に囲まれた、湖の国である。鉱山産業と狩猟が盛んで、豊かな森の恵みによって経済も潤っている。しかも立地上、他国からの侵略に遭いづらく、ここ数十年ほどは実に平和な歴史を歩んできた。目立った戦乱がない、という意味では百年以上は安穏と平和ボケして過ごしていることになる。
 国内最大のアルタール湖のたもとにある王都グリューネは、緑の中の宝石と呼ばれる美しさを誇る街だ。白石を敷き詰められた道は、広場にたどり着くと青や緑の宝玉で華やかな文様が描かれている。大通りは花で彩られ、子供が駆け回る。市場は活気にあふれ、売り子の声が絶えない。
 華やか絢爛たる王都に降り立って早々、アローはものすごく困っていた。
「こんなに女の子がたくさんいるのに……」
 ナンパが成功しないのだ。
 ひとまず、栗色の髪をした焼き菓子売りの少女に、歩み寄る。
「すみません、よろしければ少しお話しませんか」
「えっ、あの……仕事中なので」
 少女はびくりと身をすくませた後、菓子の入った籠を抱えて小走りに逃げていった。
「あっ、待ってください!」
 手を伸ばすも、一目散にかけていく彼女は振り返ろうともしない。それどころか、道行く人々がアローから目をそらし、そばを通る時は心なしか早歩きになっている気すらする。
 避けられている。どう考えても避けられているのだ。
「どうしてだろうか……。そんなに怖がられるほど、僕の顔は不細工なのか?」
 打ちひしがれていると、すぐそばから妹の声が聞こえてくる。
「アローお兄様、人の価値は顔で決まるわけではありません。大切なのは心です。お兄様の美しい心が伝われば、女性もきっと応えてくださるでしょう」
「だが、肝心の人柄を伝える機会がないぞ?」
「お兄様、見た目で人を判断するような不届き者のことなどお忘れください。大丈夫です。そのような者の魂はこちらから願い下げでございますから」
 ミステルの声は澄ました様子でそう答えた。 アローは妹のアドバイスを、素直に受け止めて頷く。
「そうかい? ミステルがそう言うなら、きっとそうなんだろう。ミステルは街に詳しいから」
 ずっと義妹のミステルと一緒に、二人で手と手を取り合って森で暮らしていたのだ。アローが森で引きこもっている間、街への買い出しなどはミステルが出向いてくれていた。だから街のことならミステルに聞いておけば間違いないと、アローは無邪気に信じ切っていたのである。
 この時のアローの格好はというと、師匠から譲り受けた古びた宵闇色のローブをまとい、フードを目深にかぶっている。顔は口元くらいしか見えないので、はたから見ると年齢不詳だ。右手には黒く塗られた上に奇怪な怪物の意匠が彫られた杖、左手には黒い布にくるまれた手荷物。これはミステルの遺灰を詰めたものだ。
 実に怪しい。
 しかし、アローはそのことに気づいていなかった。
 もちろん、アローも何もかもわかっていないわけではない。女の子を引き連れてナンパをすることが非常識であることくらい、当然わかっている。だから実体のない魂の存在であるミステルには遺灰の中に閉じこもってもらっている。彼女は声だけでアローにアドバイスをくれているが、その声もアローにだけしか聞こえない。
 要するに――アローはずっと、手荷物に向かって話しかけているわけだ。
 服装と言動を合わせて、どうしようもないほどに不審人物である。
 ミステルの賛辞をバカ正直に信じているアローは、ここまで避けられていても根本的原因に気づいていなかった。 何せ十年近くもの間ほとんどミステル以外の顔を見ずに、森の奥に引きこもっていたのだ。世間知らずどころの話ではない。
 そのまま見るからに怪しい格好で、荷物と一方的な会話を繰り広げながら街を練り歩き、宿屋に泊まろうとしては不審すぎて追い出される。それならばとモテ男を目指すべく、女の子に声をかけまくり、やはり怪しすぎて逃げられた。
「きっと今はまだお兄様の堂々としたお姿に畏怖しているだけなのです。じきにあちらから頭を垂れてくることでしょう。そのローブ、お似合いですよ。死霊魔術師はこうあるべきですね」
「そうなのかな? まぁ、師匠の置いていったローブも、たまには役に立つね。少し暑苦しいのがたまにきずだな。森の中と違って、都は日差しが強い」
 今まで住んでいた森の家は、元々アローとミステルの二人が師事していた魔術師の隠れ家だった。師匠はある日突然旅に出てしまっていないのだが、残された魔術道具や衣装は好きに使っていいことになっている。
 アローにとって、魔術師としての正装=きちんとした格好である。ミステルが勘違いを指摘しないどころか、絶賛してほめたたるので、勘違いをただす機会もない。何せ七年も森から出ていなかったのだ。その前だって、たまに師匠の用事のついでに都に連れてこられていたくらいだ。
 困惑しているアローをよそに、ミステルはずっとご機嫌である。
「お兄様、暑いのでしたらあちらで蜂蜜酒を買いましょう。通りの右の角にある露店です」
「蜂蜜酒? それは美味しいのか?」
「蜂蜜と水を混ぜて発酵させたものです。私が都に来た時は、よく飲んでおりました。冷たくて美味しいですよ」
「そうか。ミステルが言うならきっと美味しいんだろう」
 アローは素直にうなずいた。ミステルの言うことは、基本的に全肯定である。かわいい妹の言うことは絶対なのだ。それに、都についてからずっと歩き通しで、さすがに喉も渇いていた。
 好都合なことに蜂蜜酒売りの露店で売り子をしているのは、若く健康的な女性だ。声をかける絶好の機会である。彼はのんびり露店に近づくと、銅貨を一枚差し出した。
「それを一杯いただけますか?」
「え……」
 先ほどまで明るく笑顔を振りまいていた売り子の娘が、途端に引きつった顔をする。アローは戸惑って、手のひらの上の銅貨を見つめた。
「あれ? 代金、これであってますよね? 銀貨の方でしたか?」
「い、いえ……あってます!」
 娘はおびえた様子で銅貨を受け取ると、おどおどとしながら蜂蜜酒入りの小瓶を渡す。アローは彼女の態度を不思議に思いつつも、精一杯友好的な声音で彼女に話しかける。
「あの、この後お時間ありましたら、お食事でもいかがですか?」
「い、忙しいので!」
 青ざめた顔で首を横に振る彼女に、アローは軽く息をついた。またダメだった。ナンパとはかくも難しいものなのか。モテの道は遠い。
「そうですか。残念ですね。お邪魔しました」
 礼儀正しく頭を下げて、引き下がる。深追いする男はモテない。愛しき妹のアドバイスは忠実に守っている。
 冷たい蜂蜜酒を飲みながら歩き出す。蜂蜜酒は美味しいが、連戦連敗でさすがのアローも気が滅入ってきていた。
「どうして彼女、あんなにおびえていたのかな?」
「やはり、アロー兄様のまとう気高き魔術師のオーラが、女性を畏怖させるのではないでしょうか?」
「僕がブサイクだからかと思っていたよ」
 そもそも、他人にはフードを目深に被っているせいで顔が見えていない。そして、往来で一人会話をする顔を隠した人間が、あやしくないわけがない。その事実に気づかないまま、ミステルもツッコミをいれないまま、アローの勘違いは無自覚に斜め上をひた走っている。
「お兄様の素晴らしさは私がよく知っております。誠意をこめれば、必ずや極上の魂を持つ女性と巡り会うことができるでしょう」
「……うん、そうだな。誠意の伝え方がまずかったのかもしれない」
 ミステルの激励を受けながら、アローは気を取り直した。
 アローとしても、別にただ闇雲にモテたい下心だけで女性に声をかけていたわけではない。これも全て、必要に迫られてのことだ。
「こんなことじゃ、生け贄を探すのも大変だな」
 手荷物を、愛おしげに撫でる。
 半月ほど前に亡くなった義妹のミステルの遺体を、焼いて灰にした。その遺灰を使って彼女の魂を現世に呼び戻したのだ。死霊召還を特技とするアローにとっては造作もないことだ。
 遺灰の一部をこうして瓶に詰めて、布に包んで持ち歩いている。こうしていれば、いつでもミステルと会話をすることができるのだ。
 しかし、肉体を失った彼女は、今は遺灰という媒介を通して辛うじて現世に繋がっている不安定な霊体だ。彼女に血の通った新しい身体を用意するためには、美しく新鮮な女性の遺体と魂が必要になる。
 いくら最愛の妹のためといっても、そのために人を殺すつもりはない。体はともかく、魂に関してはある程度代用が効く。必要なのは魂そのものではなく、魂と肉体を繋ぐ力だ。一人の人間から取るのが手っ取り早いというだけで、実は生け贄が数人の分担制であっても問題ない。必要な分だけ、色んな人間から少しずつ魂の力を分けてもらうという手が使える。相手をわざわざ死なせることもない。
 もちろん、品質の問題があるので、誰の魂でもいいというわけではなかった。わざわざ人の多い王都まで出てきたのは、森に引きこもっていては魂を分けてもらう生け贄が見つからないからだ。
 そして今、アローは平和的に生贄を得るべく慣れないナンパを試みているのである。ミステルとなるべく歳が近い女性をたくさん籠絡して、魂を快く分けてもらうのが理想だった。目標は美女百人分。百人もいれば、寿命をほとんど削ることなくミステルの魂を新しい器につなぐ力に変えられる。
 しかし、理想と現実の溝は深い。というか、老若男女問わず全力で避けられてしまっている。美女百人どころではない。
「ミステル、もう大通りから外れたし、姿を見せても構わないよ」
「今は私が見える人間などそうそういないのですし、ずっと姿を見せていてもいいのですよ」
「うん。でも、見える人がいたら大騒ぎになるかもしれないからね」
「そうですか。霊体というのも難儀なものです」
 アローの隣に、すっと藍色の髪の美少女が現れる。生前の姿のまま、半透明になっているミステルだ。その姿は声と同じく、術者であるアローを除けば、よほど霊的感覚に秀でた者か、魔術を収めた者にしか感知できない。
「らちが明かない。ワルプルギスの所に行こう」
「………………あの女のところですかぁ?」
 いつも澄ました様子のミステルが、あからさまに嫌そうな声を出した。
「王都で知り合いといったら彼女くらいしかいないんだ。君とも馴染みだしね。いずれにしろ、彼女を頼らなければ、僕らには今日の寝床すらないんだよ」
「……わかりました。私がご案内します」
 ミステルがふわりと宙に浮いて、アローの先に立った。
 何だかんだいっても、彼女はアローには甘いのだ。可愛い妹の死んでも変わらない言動に、少しだけ心が和んだ。
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