第25話 死を記憶して生きていく

文字数 5,684文字

 次にアローが目を覚ました時、すでに陽は高く昇り、宿の部屋からは燦々と陽光が降り注いでいた。
「また寝坊した……」
 宿にいる、ということは、恐らくヒルダかハインツがここまで運んでくれたのだろう。
 面倒をかけてしまった。一晩寝たはずなのにまだ頭が重い。さすがに無茶をしすぎた。喉もからからだ。
「ミステル、すまないが下に行って女将さんに飲み物を…………あ、そうか」
 彼女はいない。アローが一度魔力を使い尽くしてしまったので、今は遺灰の中で眠っているはずだ。
 このまま顕現させないでいれば、彼女はゆっくりと時間をかけて呪いの残滓を浄化されて、逝くべきところに逝けるだろう。
 少しだけ、迷った。彼女を眠らせておくべきか、約束を果たし最後まで共にあるべきか。
 遺灰の入った袋は、ベッド脇の棚に置かれている。
 それを手に取って、アローはしばし考え込んでいた。
「あっ、アローが起きてる!」
 突然、部屋にヒルダが入ってくる。服装は騎士のものではなく、私服だ。非番なのだろう。今日の装いは、花模様の刺繍が入った白いシャツに、黒いビロードのスカート。この姿だと、かの有名な『戦女神』とはとても思えない。
 それはともかく、彼女がどうして自分の様子を宿まで見に来たのかだ。しかも非番の日にわざわざ。
「ヒルダ、何かあったのか? まさか僕が寝坊したせいで、騎士団への報告に問題がおきたりとか……」
「しないわよ。もう、目が覚めたら騎士団に顔を出すようにって伝言しておいたのに、全然来ないんだもの。心配で見に来ちゃったじゃない」
「やっぱり問題があったんじゃないか」
「だから、ないわ。後始末のために多少話を聞く予定ではあったけど、急ぎじゃないし。何日も来ないから病気にでもなったのかと思って……今日は非番だから様子見にきたの」
「そうか。悪いことをした……な? んん?」
 今、ヒルダは何日も来なかったと言ったが、もしかすると一晩どころじゃなく寝ていたのだろうか。
「……あれから何日経ってる?」
「三日半」
「…………みっかはん」
 消耗していたとはいえ、いくら何でも寝すぎだった。なるほど、喉が渇いているはずである。
「女将さんがそろそろ医者が必要なんじゃないかとか、一緒にいた妹がいないとか、心配そうにしていたから後で顔を見せてあげて。ミステルさんも」
「ああ、うん……そうだな」
 ついさっきまで、ミステルをこのまま眠らせてしまおうかと考えていたことは、黙っておいた。
 森の中で暮らしていた時ならばいざ知らず、今は王都グリューネにいるのだ。ミステルを人と同じく見えるようにして、話もできるようにして、そうやって関わった人がすでにたくさんできてしまった。
 ミステルにとっては、アローが世界の全てだったのかもしれない。だけど、ミステルを世界の内側に置いている人は、彼女が思っている以上にたくさんいる。
 死は断絶であって、生きている人の世界とは違う。だけれど、透明な壁の向こう側で、死者の魂はまだ存在している。
 その隣り合った死者の世界から、お互いが伝えたい言葉を送りあえるのだったら、いつか人は死を断絶とは思わなくなるかもしれない。アローの力は、死霊術は、そういう風に使われるべきなのかもしれない。
 それは神への冒涜だろうか。やはり間違いでしかないのだろうか。
(それでも、僕はやっぱりミステルとまだ家族でいたい)
 いつか彼女自身が、納得して逝くことを決める日までは、ずっと。
「それにしても、三日も寝ていてよく干からびなかったわね」
 ヒルダが呆れ顔で、ベッドの脇に置かれていた椅子に腰かける。
「ああ、うん。多分だけど、死なない程度に死霊が何とかしてくれたんだと思う」
「えっ、死霊が?」
 ヒルダはびくりとして部屋を見回す。
「大丈夫、今はいない。僕、死霊によく世話を焼かれるんだ。無意識でも、死霊が勝手に世話をしてくれるというか……」
「しれっと言ったけど、結構すごいことじゃない、それ?」
 すごいことなのかもしれないが、アローにはいまいちピンとこなかった。無意識に死霊を召喚して身の回りの世話をさせているなんて、自分だって師匠に言われるまで気付いていなかった。
 師匠が「いいかげん、死霊に朝起こしてもらうのをやめろ!」と注意されて初めて発覚したクセだ。それもミステルが来て、能力の自制を覚えてからはなくなっていたのだが、何せ自制するだけの魔力も残っていなかった。三日半も寝ていたわりに元気なのはそういうことだろう。
「本当にアローって……私の常識の斜め上を突っ走っていくわね」
「うーん、物心ついた時にはこうだったから、僕にとってはそこまで非常識でもないんだけど。実際、僕は三歳まで死霊に育てられてたし、師匠に会うまではずっとこういう風に生き延びていたんだと思う」
「えええっ!? 今さらっと相当やばいこと言ったわね?」
「やばいのか? さすがに覚えていないけど、師匠がそう言っていたので多分事実だ。あの人は大概だけど、その手の嘘はつかない人だから」
「いや、そういう問題じゃなくてね?」
「通りすがりの師匠に拾われるまで、ずっと墓場にいたみたいなんだ。母は僕を産んだ時にはすでに死んでいたとかで」
「えっ、ちょっと待って、産んですぐ死んだんじゃなくて? 墓場で生まれたの?」
 ヒルダが混乱した様子で大きく首をかしげる。
「師匠からの又聞きだけど……ある村で臨月の妊婦の旅人が行き倒れていて、これは子供も助からないと思い村はずれの墓地に埋葬した、と。それが僕の母親だな。どういうわけか僕はちゃんと生まれていて、死霊が僕を育てていた」
「どういうわけなの?」
「だから、知らない……」
 村の墓地にいた頃のことはもうおぼろげな記憶すら残っていないが、子供の頃のアローには世界が違う風に見えていたのは事実だ。紅く燃えていない生きる者の世界が見えるようになったのは、師匠に引き取られた後のことだ。だから、きっと全て事実なのだろう。
(まぁ、僕の母親がただの行き倒れだったかどうかは怪しいけれど……)
 身重の妊婦が一人で旅をしていること自体が、そもそもおかしい。健常な者でさえ、長旅は身体に堪える。何かから逃げていたのか、用済みになって捨てられたのか。何にしろ、恐らくろくな理由ではない。
 だから師匠はアローを拾った。意図的にそう作られたのか、偶然の産物なのか、死人の胎から生まれて死霊に育てられたアローは、死霊を無条件に従える特殊体質だった。従えることができるが、完全に支配し、制御できるわけではない。そのまま放置しておくのは危険だと判断したのだろう。
「アローも苦労していたのね……」
「うーん、それはどうだろう。僕にとっては普通のことだったんだろうし。ああ、でも、七年前のあの時は死ぬほど後悔したな。何で僕は普通の人と違うのかなって思ってた」
 何せ、それからずっと森にひきこもったくらいだ。師匠に禁じられていたとはいえ、人里に行きたいと自分から言いだすことすらなかった。
 初めての友達を失ったことは、アローにとって大きな痛手だった。だからこそ、その後に出会ったミステルとの関係が、共依存的になったとも言うが。
 だけど、その七年前の大惨事における被害者であるところのヒルダは「はぁ?」と、呆れ半分の声をあげた。
「普通の人でしょ、アローは」
「どこが?」
「普段あんだけ世間からズレたこと言ってるのは気づかないのに、こういう時は否定するの? 普通の人間よ。友達と遊びたかったり、家族と一緒に暮らしたかったり、そういうのって普通でしょ」
「そうか?」
「そうよ。それに七年前のことすごく気にしているみたいだけど、貴方のおかげで私は剣の道に目覚めて、今や大層な肩書までついているわ。むしろお礼を言いたいくらいよ」
「死霊が苦手でもか」
「それも貴方のおかげで色々衝撃的なことが起こり過ぎて、若干慣れてきたところよ」
「…………そうか」
「…………そうよ」
 しばし沈黙。
 その後、最初は触れることも恐る恐るだったミステルの遺灰が詰まった瓶を、ヒルダはそっと撫でる。
「ミステルさん、早く出してあげてね」
「ああ」
 ベッドから出ると、寝間着かた着替えることもせずに杖を手に取る。
『死を記憶せよ』
 その一言で、ミステルの姿はふわりと中空に浮かび上がり、そして。
「お兄様っっ!! 聞こえてましたよ!? 僕を殺せって言いましたよね!? どうしてそう、簡単に自分の命を放り投げようとしたのです!?
 猛烈な剣幕で怒鳴り散らされた。
「だいたい、お兄様は少し死霊術に頼り過ぎです! 魔力の消費はともかく、お兄様のお体に少なからず危険があるということをしっかりご自覚なさってください。黒魔術の併用はもちろん、お兄様でしたら多少は剣や弓もお使いになられるんですから、武器での戦闘も考慮して、このような危機に陥らないうようによく策略を考えてくださいませ!」
「あ、ああ……わかった。善処する……」
 怒り狂う義妹に、アローはひたすら平謝りするしかなかった。三日半寝ていたことが判明したら、説教が永遠に止まらなさそうなので、ひたすら無言でうなずいて受け流す。怒ったミステル、本当に怖い。
 その後も、驚いてポカンとしているヒルダを置いてけぼりにしてミステルの説教は続き、そして、やがて彼女は急に押し黙る。
「……ミステル?」
「…………もう、私を呼んで下さらないかと思いました」
 消え入るような声で、そう言った彼女を、アローは抱きしめた。もちろん、きちんと触れられるわけではないから、手振りだけではあったのだが。
「大丈夫だ。お前が償いをしたいというのなら、僕が付き合ってやる。逝き方がわからないのなら、わかるまで側にいてやる」
「私は、お兄様のお側にいてもよいですか」
「悪ければ、呼んだりしない」
 ミステルは泣いていたのかもしれない。
 だけど霊には涙がないから、彼女は涙のかわりに笑顔をこぼした。
「私の魂の全てをかけて、お兄様のお力になることが望みです」
「これからも、よろしくな、ミステル」
「はいっ」
 元気よく答えたところで、ミステルはくるりとヒルダの方を振り返った。
「ヒルダ様も……その、この度は……ありがとう、ございました」
 ごにょごにょとお礼を言うミステルに、ヒルダは目を輝かせる。
「お礼はお友達になってくれるのでいいわよ、ミステルさん」
「貴方、まだ諦めてなかったのですか?」
「だって、結局返事を聞かせてもらえなかったし」
「え? 二人はもう友達じゃなかったのか?」
 アローの方は、二人はとっくに仲が良くなっているものだと思っていたので、首を傾げてしまった。二回目の青薔薇館から戻った辺りで、すでに女の友情で結ばれているのだとばかり――。
 ヒルダといえば、アローの肩を叩いて心なしか勝ち誇った様子で微笑んだ。
「ほら、アローも公認だし!」
 アローも大概に、ミステルの言うことを全肯定する方であるが、ミステルもまた兄の言うことは基本的に肯定するのである。自分の都合に合わない時は、先回りしてアローの思考を斜め上にそらしているだけで。
 つまり、アローに真正面からそう言われて、ミステルが否定できるはずがないのである。
「ああああ、もう、わかりました。わかりましたから! 友達になれば良いのですね!?
 口ではそういいつつも、ミステルの表情はどこか恥ずかしそうで、決してヒルダのことが嫌なわけではないとバレバレだった。何だかんだでこの二人は、仲良くやっていけそうな気がする。
「さて、今後の身の振り方を考えないとな。とりあえず、ハインツに押しつけられた店で何かやるか。死霊占いの店でも……」
「ですからお兄様、もう少し生活のことを考えたお店になさってください」
 ミステルに釘を刺され、アローは苦い顔になる。しかし、死霊術以外に店ができるほどの技術があるかというと微妙だ。呪術道具の作成は、カタリナの一件がある以上、あまりやりたくない。呪術道具の使われ方まで、責任を持つことができないからだ。
「死霊占いって名称がダメなんじゃない? 普通に死霊関連相談事を請け負いますって店にすればいいんじゃないの?」
「「それだ!」です!」
 兄妹の声が綺麗にハモる。死霊に関することを何でも解決するのだったら、少なくとも死霊占いを専門にするよりも幅が広がる。
「よし、そういう方向性にしよう。店の名前はどうしようか。うーん…………『死の記憶屋』?」
「何か禍々しいわ……」
「いや、そうでもないぞ? 死霊術師は自分が好きな言葉を呪文にする。死に関する言葉だ。僕とミステルでは、呪文が違っただろう」
「ああ、そういえばそうね」
 ヒルダはバートラン公爵邸での戦いを思い出したようだった。前半はほとんど恐怖との戦いに費やしていた彼女だが、しっかりと覚えていたらしい。
「その『死を記憶せよ』ってどういう意味なの?」
「人はいつか必ず死ぬものだということを忘れずに覚えておけ、という意味だ。要するに、いつ死ぬかわからないから頑張って生きろ、ということだな」
「……うーん、死霊術の呪文に生きる人のための言葉を選ぶあたり、何かアローらしいわ」
 ヒルダが呆れが半分、安心が半分の顔で笑ったので、アローもミステルと顔を見合わせて笑う。
「いいだろう。気に入ってるんだ」

 人はいつか死ぬ。
 死は避けられない。それは明日かもしれないし、遠い先かもしれない。
 断絶はいつか必ず訪れるけれど、その声を、心に触れることができないわけじゃない。
 透明な壁に阻まれた紅い世界と、生きている人間の世界は、常に隣にあるのだから。

 もう森には戻らない。
 きっと、戻る必要もない。


 この街で、この場所で、死を記憶して、生きてゆく。
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