第66話 恐れをかけた命の価値

文字数 4,486文字

 燃え盛る炎は森の木々を焼くことなく、ただ人型の檻に囚われた人々だけを永劫に灼き続ける。
 それは強大な呪いの集合体。
 いつぞやカタリナが作り上げた不完全なグールとは比べ物にならない、おぞましさの権現。
「……ハインツまで巻き込んだのは、そういうことか」
 ある意味竜よりもたちが悪い。アローが死霊術が使えない以上、いや、もし使えたとしてもあれほどの呪いを浄化しようと考えるなら、ハインツの協力は不可避だ。
「率直に聞くが、ハインツ。あのウィッカーマンを浄化する聖霊魔法を放つとしたら、どれくらいかかる?」
 ハインツは、肩をすくめて首を横に振る。
「夜明けまでかかるかもしれないな」
「そうか。……君ですら、か」
 聖霊魔法を即時発動できる、通常の聖霊魔法士の十人分くらいの力は余裕で使いこなすハインツがそこまでかかるのだ。
 現状ほぼ唯一対抗手段を持っているハインツを、彼が魔法を展開し終える夜明けまで守り通す。もしくは他の手段をこの場で編み出す。それ以外にどうにもできない。
 どちらも非現実的な話だ。しかしそれ以外に方法はないのも事実。
 テオにはハインツのそばで弓を使ってもらう。ヒルダと自分は前線で足止めを。ミステルにも魔術で足止めを援護。そこまで考えて、否定した。
 こんな誰にでも考えつく戦法でどうにかできるような試練を、あの傲岸不遜の師匠が仕掛けてくるはずがない。
 だいたい、このやり方で明け方まで持つはずがないのだ。まだこれから夜が始まろうとしているところだ。いくらヒルダが強い剣技をもっていても、そこまで体力は持たない。もちろん彼女以外も言わずもがなだ。
(死霊術なしで僕にできることは、何だ?)
 おおおおおお、と声が聞こえる。あるいはそれは、木々の間をかけていく熱気をまとった風の音だったのかもしれない。
 ウィッカーマンはのろのろとした動きで歩き始めた。その炎は草木を燃やしはしなかったが、触れたその先からみるみる枯れて朽ち落ちていく。
「ど、どうするんですかアローさん?」
 怯えてテオの声がひっくり返っている。どうすると尋ねられたところで、アローも答えを持ち合わせていない。
 しかし――。
(待て、そもそもどうして、最初がガンドライドだったんだ?)
 ガンドライドとウィッカーマンでは格が違いすぎるが、死霊と悪霊の集合体であるという点においては一致している。
 クロイツァの真意をはかることは難しい。しかし、かの大魔術師は退屈を嫌う。無意味なことをやらせるなんて、そんなことはクロイツァにしてみれば退屈の極みだ。だから絶対に意味がある。
「とりあえずあいつは、移動速度は遅い。適度に距離をとって、無理に仕掛けるな」
「お兄様、何かおわかりになられましたか?」
「わからない。でも、ガンドライドのことは多分師匠なりに手がかりを教えてくれたんだと思う」
 ミステルの問いに、じりじりと全員で後退しつつ、アローは答えた。
 呪術ならば、ミステルはアローよりも詳しい。彼女もすぐにクロイツァの意図に気づいたようだった。
「あれは呪術儀式で作り上げられた、悪霊の集合体。確かにガンドライドと性質は同じです。……それなら、核があるかもしれません」
「ガンドライドにおける統率者みたいなものがいる、と」
「それが『者』か『物』かまではわかりかねます。ですがあの中にある核をどうにかすれば、ひとつひとつはそこまで強い悪霊ではないかと。つまりヒルダの魔法剣やテオの聖油付きの矢、および私の魔術で対処できる範囲です」
「なるほど、夜明けまでハインツを庇ってあの呪い人形を足止めし続けるよりは現実的だ。それじゃあ、まずはあの人形の中に入らないとならない……のか?」
 さすがに、あまり気は進まない。何せ呪いの塊だ。触れただけで草木が朽ちる。
「他に方法があるかと言われたら疑問ですが、おすすめはいたしません。そもそも死霊術が使える時ならいざ知らず、どうやって死霊悪霊のぎっしり詰まった人形の中から、核を探し当てるおつもりで?」
「それは、だなぁ……」
 アローもその点についてはどうにもできない。だが、クロイツァはきっとアローにもできる方法があるからこそ、ウィッカーマン差し向けた。
(ミステルの魔術で対抗できない。だけどミステルが媒介を経ずに魔術を使えることは、師匠から見ると必須条件なんだろう)
 だからこそ、クロイツァはまずアローにミステルを取り戻す機会を与えた。
 そしてリューゲは今回も弾きだしている。確かにスヴァルトならばウィッカーマンでも対処できるだろう。彼女がその気になるかは置いておくとして、だが。
 リューゲは基本的にアローに簡単に死んでほしくはないようだから、見かねたら少しくらいは助力してくれたかもしれない。オステンワルドで竜鋼の首飾りを用意してくれたのも彼女だ。
「そうだ、竜鋼だ!」
 アローは首にかけていた竜鋼の首飾りを取り出し、ミステルに見せた。
「これは近くにいる一番魔力の強い存在を感知できる。今まではミステルに反応して声を聞けるようになっていたが、今なら恐らくウィッカーマンに反応する」
 ウィッカーマンの悪霊の中で最も強い力を持つもの。それは核となるもののはずだ。
 ただし、この竜鋼はすぐ近くでなければ反応しない。いずれにしても、これを使って核を見つけ出すにはアローがあのウィッカーマンの中に潜り込むしかないということだ。
「ハインツ、あのウィッカーマンに穴を空けるのは可能か?」
 一番できる可能性が高いハインツに話を振ってみたが、彼は肩をすくめる。
「正直なところ、可能だが時間がかかるといったところだ。どうにもこの森は女神の加護が通常よりも届きづらいようだね」
「では物理的に穴をあけるしかないな」
「本気かい?」
「命令がない限り、死霊は基本的に僕を積極的には狙わない。それは魔術回路に関係なく、そうなのだと思う。何せ僕は墓場生まれの墓場育ちだ。そしてウィッカーマンは僕らに反応しているが、率先して攻撃してこない。命令がないからだ。命令がなくても、あれはただ歩いてるだけで災厄をばらまく。そういうものだからだ」
 だからこそクロイツァはわざわざ人里離れ、まず他の人間を巻き込まないであろう黒き森を舞台に選んだ。
「逆に言えば、命令がなければそれがどれほど呪いのこもった死霊、悪霊でも、明確にこちらが手を出さない限りは僕を害さない……と思う。多分。恐らく」
「お兄様、重ね重ね言いますけど、私はおすすめはいたしません」
 ミステルが念を押すように言ったが、アローは苦笑いするしかなかった。ハインツもつられたように苦笑いをする。他に方法があるとしたらハインツを夜明けまで守って呪いの塊みたいな人形を足止め、というもっと酷い展開になることが目に見えているからだ。
「物理的に穴を空けるにしても、呪いに触れないように本体を叩くという神業が必要なわけだが……ハインツの魔法で難しいとなると……」
 ちら、とヒルダを横目で見やる。この中で唯一その領域を可能にする剣技の持ち主である彼女は、じりじりと後ろに下がりつつ、その表情は彫像のごとく固まっていた。
 予測はしていたがやはり、見た目の段階で受け付けなかったのだろう。
「ヒルダは無理……だな。というか、ヒルダは安全なところに逃した方がいいんじゃないのか、これは」
「だ、だだ、だいじょ、ぶ、よ?」
「全然大丈夫ではないな」
 ウィッカーマンよりも酷い動きになっている。操り人形のよう。
「こうなると、もう僕が自力で突っ込んでいく以外に思いつかない」
「そ、それはダメ! アロー、また危ないことしようとしてる!」
 急に我に返ったかのように、ヒルダはアローの前に立ちはだかった。ウィッカーマンが迫ってくる。先ほどまで彼女があれほど怯えていた呪いの塊が、怨嗟の声を纏いながら、ゆっくりと。
「どうしてアローはそうやって、簡単に命をぽんと投げ出すようなことをするの!」
「えっ?」
 それは思ってもみなかった言葉で、アローもつられて思わず立ち止まる。
 命を投げ出しているつもりはなかった。ただ、必要だと思ったからそうしてきただけだ。
「ねぇ、簡単に言わないで。命を賭ける必要があるの? あれは本当にアローが何とかしなくちゃいけないものなの? アローは誰のために、何のために命を賭けてるの?」
 誰のために、と。そんなことは、考えたこともなかった。必要があるなら、自分にならできるならやるしかない。そういう風にしか考えたことがなかったからだ。
 カタリナのことも、ミステルのことも、オステンワルドでのことも、全て。
「僕は……認められたい」
「誰に? お師匠様に?」
「それもあるけれど……」
 多分、自分をこういう風に生み出した世界に。
 『作られた天災』とクロイツァに評された自分が、きっと恐らくろくでもない目的で生まれてきてしまった自分が、ここに存在していい理由が欲しい。
「僕だってあんな怖いものには近づきたくない。でも、師匠があれを乗り越えるべき壁だと信じているのなら。それは僕にとってとても……意味のあることだと思う。命がけになる価値があるくらいの。あんな人だけど、それでも師匠は――僕にできないと思うことはやらせない。あの人は自分が退屈に思う結末を許さない」
 怨嗟の声が響く中で、何故かヒルダはきょとんとした顔になる。意外な反応をされて、アローも戸惑った。
「アローでも……あれは怖いの?」
「正直な話をすれば、怖い、が。そこを気にするのか?」
「何だ……そっか」
 素直に白状すると、ヒルダは逆に気が抜けたように笑った。
 ガチガチに固まっていた肩から力が抜け、彼女はアローに背を向ける。剣の切っ先はまっすぐにウィッカーマンへと向けられる。
「良かった。アローにも怖いものがあって」
「良かった、のか?」
「良かったのよ。何ひとつ怖いものがないなんて、そちらの方がよほど怖いわ」
 戦女神と呼ばれる騎士は、まるで怖いものなどなさそうにそう述べる。
「ねぇ、アロー。死ぬのって、怖いことだよ。死の向こう側にあるのも、怖いものだよ。アローはいつも死霊がそばにいたから、実感は薄いかもしれないけれど。私は自分の死も他人の死も怖い。それは当たり前のことなの。オステンワルドでアローが倒れた時、このまま死んじゃうんじゃないかってとても怖かった」
「ヒルダ、僕は……」
「今も怖い。逃げ出したい。でも私は、アローが……友達が死ぬことの方が怖いから、逃げない!」
 その横顔は呪われた炎に照らされてもなお美しく気高く、確かに戦女神と呼ばれるのも分かる気がする。
 彼女の眼差しにすでに恐れはない。死霊よりも怖い物が、今ここにあるからだ。
 恐怖を天秤にかけて、この呪い人形よりも恐ろしいものが彼女にできたからだ。
 そしてアローもその時ようやく、彼女の言いたかったことを理解できた。かけるべきは、自分の命と彼女や仲間たちの命ではない。
 誰かを失う未来と、誰も失わない未来だ。どちらが重いかなんて決まっている。
「さぁ、アロー。教えて。私は何を斬ればいいの?」

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