第42話 辺境伯と愛の所在地

文字数 5,986文字

 その日の夕食は晩餐会ではなかった。
 作法を気にする必要がなくて気楽な反面、少しばかりアテがはずれたのも事実だった。アローは辺境伯ファルク・アレクサンダーに用事があったのだ。
 リリエに頼めば話は早い。しかし彼女にはなかなか荷が重い頼みをしたばかりだ。だいたい、実質上の依頼主がリリエだったとしても、形式上、これは辺境伯の依頼だったのだ。辺境伯と話す権利はあるはずだ。
 というわけで、アローは警備の兵士に渋い顔をされながらファルクに面会を求めることになった。警戒されないようにアローが一人できたが、実は姿を消したミステルがすぐ後ろに控えている。
「案外あっさりと面談を許しましたね」
 ミステルがアローにだけ聞こえる声でそうつぶやいたが、虚空に話しかけたらつれてきていることに気づかれてしまう。返事をしたり、うなずいたりする代わりに、アローは杖の先端を指でこつこつと叩いた。
 杖を通して彼女と意志疎通ができる。
(もしかしたらリリエから多少話を聞いているのかもしれないな)
 リリエは最近まで存在を秘匿されていた。だから彼女の存在を使用人全てが知っているわけではなかっただろう。地下の常闇竜のことだって一部にしか知らされていなかったのだから、当然だ。
 彼女の周囲にいる使用人は、隠れ住んでいたという別邸からつれてこられたのかもしれない。アローたちにつけられている使用人、衛兵もそちら側の人間だとしたら、突然辺境伯に時間をとらせるように要求したアローにも応じてもらえたのは納得がいく。
 もちろん、多少うさんくさそうなまなざしをむけられたが、それは通常営業だ。不本意ながら。
「それで、お兄様は結局、辺境伯に何をどうしていただくおつりなんです? スヴァルトの故郷を探すのにはあまり役立つ情報を得られなさそうですが」
 釈然としていない様子のミステルに、アローはもう一度杖を指でコツンと叩く。
(あの隠し書庫の書物は半分くらい、現辺境伯のファルクが集めたものだそうだ。話を聞く価値はあると思う)
「そうですか……」
 ミステルもあの膨大な書物を見ているだけに、多少は納得がいったようだ。
 ファルクは物静かな男だ。それがリリエや常闇竜絡みのことで気鬱だからなのか、元からなのかはわからない。とにかく、必要以上には話さない男だというのが、アローの印象だ。
 だから人柄もよくわかっていないが、一度話した時の印象ではそう悪い人間には思えなかった。リリエのために文献を集めていたと知って、その印象はますます強まっている。
 四隅を照らすランタンの柔らかい光の中で、老年にさしかかった辺境伯は部屋の中央に据え付けられた上等な机の前に鎮座している。
「どうぞお座りください、シュヴァルツ殿」
 入るなり、革張りの椅子をすすめられた。普段姓で呼ばれることがないので微妙な気分になりつつ、アローは素直に腰掛けた。
 ちなみにアローは拾われ子なので、姓は師匠が適当につけたものである。黒き森に住んでいたから、黒を意味するシュヴァルツ。あまりにも適当な理由。アローの義妹になったばかりに同じ姓をもつことになったミステルにも、がっかりさせそうなのでこのことは言っていない。
 それはともかくとして。
「失礼を承知でいくつか質問をする。オステンワルドの命運もかかっていることだ。正直に答えてほしい」
「私の答えられることでしたら、答えましょう」
 特に隠し事をしている様子はない。不自然に目線が動いたり、声が揺れることはなかった。他に不審点があれば、ミステルが教えてくれるはずだ。
 ミステルは呪術師だ。呪術の基本は、人心を把握し、心の隙をついて『思いこませる』ことにある。だから彼女は、アローよりもそういったことを判断するのは得意だ。
「貴方はリリエを愛していたのか?」
「は?」
 聞き返したのはファルクではなく、そばに控えていたミステルである。その声に反応してしまっては彼女を連れてきたことがばれるので、聞こえないフリを決め込んだ。
「……昔のことですな。今はもう、私には息子もおりますから。残念ながら、妻には先立たれてしまいましたが」
 リリエを愛していたことはあったが、彼女とは結ばれなかった。それ自体は、珍しいことではないだろう。リリエのような特殊な境遇ではなくとも、大抵の場合、貴族の結婚は政治的取引でできてきる。甘酸っぱい初恋が実るなんて話は夢物語だ。世間知らずのアローでも、それくらいの察しはつく。
(そういえば、ヒルダも貴族だったな。騎士だからしばらく嫁入りの話が出そうにないが……)
 なぜかヒルダのことを思い出して、今はそんなことを考えている場合じゃないと意識の外へとおいやった。
「貴方はリリエが生け贄にならなくても済むように、情報を集めていたのだろう? 彼女に城の隠し書庫を見せてもらった」
「ああ、あの書庫ですか」
「それも最近までずっと、書物を集めていたはずだ。リリエは別邸に隔離されていたのだから、あの書庫を管理していたわけじゃない。それなのに、あの書庫は隅々まで掃除が行き届いていた。定期的に人の手が入っていたんだ。貴方はまだ、リリエを愛しているんじゃないのか?」
「……その疑問に対する答えをいうなら、愛でどうにかできるものと、そうでないものがある、といったところでしょうかな」
「なるほど」
 愛している、ということは否定しないらしい。
「僕は最近まで森に引きこもっていたし、正直な話、恋愛には疎い。だから貴方に愛の真実性がどうとか、講釈をたれ流すつもりはない。貴方がまだリリエを救いたいと思っているかどうかを、確認したかった。たとえば、領民とリリエを天秤にかけるかどうか、を」
「その選択肢ならば、私は迷わず領民を選ぶでしょう。辺境伯として、民を守らねばなりません」
「だが、その理屈ではリリエを切り捨てきれなかったのだろう。そういうことを言っている。そこで、彼女と領民どちらも救う手段を僕が提示したらどうする?」
 そこで、初めてファルクはぴくりと眉を動かした。
 アローはミステルと目配せをする。交渉の余地がある。少なくともスヴァルトよりはずっと。
「それを実現するのは、正直いってかなり難しい。現時点での勝算は最大限に大きく見積もっても一割といったところだ。ただ、条件がそろえば五割くらいにはできる」
「何を要求なさるのですかな?」
「まず、スヴァルトの故郷スヴァルタールヘイムの、なるべく正確な位置情報だ。この城はかつてスヴァルトの国への入り口になっていた。ということは、少なくとも地上から行ける道筋がかつてはあったんだ」
 何よりも優先して手に入れるべきは、スヴァルトの故郷への経路。これがなければ、ただただ冥界の門を開いて死霊をあふれさせることになってしまう。それだけは避けなければいけない。
「恐らく存在するとしても、今はその出入り口は使えないだろう。使えたところであちらとは『層』が違うから、誰でもいけるわけではない。だが、僕には行ける手段がある。物理的な距離が近づくほど成功しやすい。だからこの城の管理者にスヴァルトの国へ至る出入り口の在処が伝わっているなら正直に話してほしい」
 ファルクは軽くうなり声をあげた。ミステルが無言でうなずく。心あたりがあるからこその反応なのだろう。
 いくら煉獄の門を開く能力があっても、アローだって生きた生身の人間だ。肉体を持って煉獄に降りられるわけではないし、当然長時間うろうろはできない。
 煉獄からの正確な道程がわからない以上、物理的に近くにいった方が早い。かつて地上への出入り口があった場所のすぐそばでなら、恐らくさほど迷わずに行けると踏んだのだ。
 それがまず『たどり着くまで』の条件。これが満たされなければ始まらない。
「それともう一つ。スヴァルトとの交渉材料がほしい。スヴァルト全員を説得するなんて、馬鹿なことは考えていない。ステルベンかリューゲ、どちらか片方でも説得できればいい。邪魔されたら困るから、なるべくステルベンの方を説得できるものだと嬉しいところだ」
 これは『たどり着いてから』の条件だ。成功率を上げるための条件としては、こちらが重要になる。
「リリエに説得を依頼してみているが、難しいだろう。今までだって彼女は説得を試みていたようなフシがある。それで無理だったのなら、もっと決め手になるものが必要だ」
 ステルベンとリューゲはともかく、リリエは他のスヴァルトにしてみれば、はっきり言ってしまえば半端ものだ。竜も使役できない、姿も人間。ただ、永い寿命と封印の足しになるていどの魔力を持ち合わせている。はっきり言ってしまえば、スヴァルトにとって交渉材料になるほどの価値はない。
 彼女が動かせるのは、ステルベンとリューゲだけだ。動かしてもらわなければ困る。
 ファルクはしばし思案するように考え込んだ後、やがて引き出しから古くてぶ厚い皮張りの書物を取り出した。分厚いそれは日記帳なのか、鍵がついている。彼はその鍵を外し、本を開く。本の中身はくりぬかれていた。どうやら古い本を使って作られた箱だったらしい。
 彼が取り出したものは、何やら年代物の指輪と一通の手紙だった。紙は変色してすっかり黄ばんでしまっているが、さほど傷んでいる様子はない。きちんと保管されていたらしい。
「……リリエに渡してください。恐らく役に立つはずです。これは、彼女の母親の形見ですから」
 それが、わざわざ辺境伯当主の部屋に、書物を装って隠されている。恐らく、スヴァルト絡みの内容だということは予測がついた。
「わかった。彼女に渡そう。それで、スヴァルトの国へ入口に心あたりはあるのか?」
 指輪と手紙を受け取り、アローはじっとファルクを観察する。ミステルも特に何もいってこないし、もう彼が隠し事をするかもしれない、などとは疑ってはいない。正直、こんな若い術師が一人できて、信用をしろという方が難しいだろう。それでも彼は、アローに手がかりとなるものを渡した。
 ならば応えないといけないと、そう思う。
 恋や愛の所在など、実のところアローはよくわかっていない。だけど大切なものはある。大切なものを守りたい気持ちも。
「この城が建てられた所以はすでにご存じですかな」
「ああ。女神の神託によって建てられた、と」
「女神の神託は後世の創作ですな。実際にはスヴァルトと交渉、契約し、ここを占拠していた盗賊を討伐したのです。スヴァルトの多くは魂が故郷へと帰り、残るわずかな生き残りも竜と連れ添って山の奥地へと移住していきました。その時にスヴァルトは一匹の竜を犠牲にして、その竜の使い手である女性を番人にし、自分たちの故郷へ向かう入り口であった場所を永遠に塞いだのです」
「……つまり、リューゲが守っているあの場所か」
「そういうことです。もっとも、リューゲもあの頃からずっと守っているわけではありません。初めは竜の護り手も数人いました。彼女は最後の一人です」
「なるほど。いや、ありがとう。これでかなり具体的な計画を練ることができる」
 アローは、ちらとミステルに目配せをして、音が立たない程度にさりげなく、杖を一回叩いた。
(だいたい知りたいことは教えてもらった。明日から準備をする。ヒルダとギルベルトにも伝えてきてくれ)
「わかりました」
 ミステルが先に去っていき。
「協力を感謝する。この土地とリリエを救えるように尽力しよう。こんな時間にすまなかった」
 退出しようと、アローも立ち上がる、
「お待ちください」
 しかし、不意に引き留められた、すでにミステルはいない。彼女を先に行かせたのは失敗だったかと一瞬焦ったものの、特に害意も感じなかったので、素直に足を止めた。
「先ほど貴方は私に愛の所在を問いましたが、貴方の理由もお聞きしてよろしいですかな? 教会から依頼されただけの貴方に、命がけで我々を救うほどのものが何なのかを。まさか愛が理由ではありますまい」
「ああ、そのことか」
 愛を引き合いにだしたのは、リリエが異種族感の両親の間に愛があったと信じたがっている様子だったからだ。愛は種族を越える。彼女はそう信じた。それはファルクとでは越えられなかった壁でもある。
「……辺境伯、僕はモテたいんだ」
「……は?」
 これは予想外の回答だったのか、ファルクは面食らったような顔で目を見開いた。
「僕の大切な家族を救うためには、モテて女性の協力を得ることが不可欠。そのためには僕は愛をもっと理解しなければならない」
「…………は?」
 二度聞き返された。少し論理が飛躍しすぎたようだ。
 ゴホン、と咳払いをひとつして、話を戻す。
「リリエが愛を信じているなら、それを証明して見せよう。ゆくゆくは、それは僕のためにもなることだから。命を賭けるのは、僕だってきっとそれを信じたかったからだ。こういう回答で大丈夫か」
 ファルクはどこか釈然としない様子であったが、半ばあきらめたようにうなずいた。
「死霊術師殿にも色々あるようだ」
「ああ、色々ある。それでは、今度こそ失礼するぞ」
 さすがに二回目は引きとめられなかった。
 廊下に出て、送り届けるというので衛兵についていった。城の構造は頭に入っていたが、断れば変に怪しまれる。ミステルがいないので、彼女はすでにヒルダ達の元に向かっているのだろう。
(愛の所在、か)
 ファルクに言った『理由』はあながち間違いでもない。
 グリューネに来てから、呪殺事件の調査、店の開店、そしてオステンワルドへの出張とドタバタしていたので、モテの研究もはかどらない。男女の駆け引きに恋や愛を知るのは大切だ。
 そのほかの理由は――。
(別に、あの夢を見たからでは……ある、か)
 幼いころから、呼吸をするように死霊を呼んできた。
 師匠に制御を教えられるまで、死霊が周りにいることが当たり前だった。死霊がなんでも身の回りのことをしてくれた。だからアローは墓場で生き延びた。
 母親の死霊がいた、という記憶はない。
 気づかなかったというわけではなかったと思う。血がつながっていなくても、何となく近しい人の魂はわかるのだ。ミステルを使い魔にする時も、彼女の魂は他の無造作に呼び出した魂とは違うものに見えた。
 アローは人間だが、普通の人間のようには生まれなかった。死んだ母親から生まれて、おそらく愛しあった両親から生まれたということでもなく。
(僕は、信じたいのだろうか……)
 死霊が見えるアローの元にも、一度でさえ姿を見せたことのない母親が――。
 アローを身ごもったまま、見知らぬ村で力尽きるまで命がけで旅をしていたのは、どうしてなのか。何から逃げて来たのか。父親か、もっと別の何かからか。
 その理由を。そこにあった感情を、知りたい。

 ――そこに子供への愛が、あったのかどうかを。
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