第68話 災厄の少年は救いを望む

文字数 7,282文字

 竜鋼の表面に銀色の光が集まっていく。
《……話?》
 怨嗟の声に混じって、その声は聞こえてきた。
「そうだ。安心したぞ。会話が成立する核でないと、ここまでしたのに無駄になるところだった」
 核が魔石や魔獣の類ならば、この中から探し出して物理的に叩き壊すしかなかった。さすがのアローも屍肉の中を漁るのは嫌だ。
 相手が人の言葉を話せて交渉の余地があるということは、何と素晴らしいことだろう。
《話すことは、ない》
「君になくても僕にはある。この呪いを解きたいと思わないか?」
 ウィッカーマンは凝縮された呪いの塊だ。
 ガンドライドが森で死んだ無念の魂の集合体なら、ウィッカーマンは生贄として焼き殺された人と獣の魂が悪霊となったもの。
 そこには自然の摂理などはない。人間の慣習と盲信と悪辣が生み出したものには、言葉が通じたところで善意に訴えかけることは無意味だ。
《死んで殺して壊して痛い嫌だやめて死んで死ね殺す殺された死んで死ね死ね殺す》
「落ち着け。それと呪詛を吐くな。それは僕には無意味だ」
 ウィッカーマンは錯乱している――と、アローは解釈した。
 これは想定の範囲内だ。触れるものすべてが呪われて朽ち落ちるウィッカーマンの、腹に穴を開けて入り込むなんて普通は誰もやらない。
《なぜ、呪われない》
「だからすでに呪われているものを、呪ってどうする。こちらは産まれた時から呪いのかたまりみたいなものだぞ。今更だ」
 とは言っても、アローがウィッカーマンの呪いに負ける可能性はあったわけで、弱体化させられてなければ厳しかっただろう。
(なるほど、師匠がどこまで計算していたかわからないが、仲間集めを許可するわけだ)
 だが、ここからはアローの独断場とするしかない。
《話すことはない。私は呪う。すべてを呪う。呪われないものは消えろ》
「そうはいかない。これには僕の命だけではなく仲間の命もかかっているし……それに、君を救わないわけにはいかない」
《救う? 誰を? 何を? 君とは誰?》
「君は君だろう。ウィッカーマンの核」
《私は私ではないから君にはならない。救わない。救われない。死んで死ね死ね死ね殺す》
「堂々めぐりだな。もう少し正気に戻って欲しいところだが」
 時間が経てば経つほど、こちらが不利になる。悪霊をミステルたちに任せているということは、唯一強制的にウィッカーマンを浄化できるハインツの手を塞いでいるということだ。
 せめてある程度簡易化された聖霊魔法で、素直に浄化されてくれる程度に『理解』してもらわなければ困る。
 竜鋼を通して会話をするだけでは、なかなか上手くはいかなさそうだ。
《……お困りかしら?》
 竜鋼から、急に違う声が聞こえてきた。
 師匠ではない。師匠はこんなところで手を貸したりはしない。
「リューゲ、今回、君の手は借りれない」
 その声は、除け者にされてしまったリューゲのものに他ならない。
 肉体はないとはいえ仮にも正真正銘、純血のスヴァルトだ。しかもアローの契約妖精でもある。その気になれば彼女はクロイツァの妨害を越えて、アローと接触するくらいはできるだろう。
《勘違いしないで欲しいのだけど? 私は手助けなんてしないわよ。そこまでしてあげる義理もないし?》
「わかっている。君には契約以上のことは求めない。師匠が見ているだろうから、一応な」
《物分りが良い子は嫌いじゃないわぁ》
 竜鋼の向こう側から、リューゲの笑い声がかすかに届く。
《だからご褒美に良いことを教えてあげる。別に助言をするなと言われてはいないのでしょう? 竜鋼はそれ自体が魔力を持ってるから、この首飾りでも一、二回なら空けた穴を通して魔法が使えないことはないわ》
「は?魔法が?」
 それはさすがに聞き捨てならない。魔法が一切使えない前提で、ここまで戦ってきたのだから。
《竜鋼は使った分だけ削れるし、竜鋼を通して無理やり貴方の魔力を取り出すことになるから、それなりに覚悟はしてちょうだい》
「なるほど……」
 竜鋼が削れてしまっては、ミステルの声が聞こえなくなってしまう。だから最初、彼女はこの使い方については言及しなかったのだろう。ミステルの声を聴くためにあつらえた物なのだから。
 実際、ミステルが媒介なしで顕現できるようになっていなければ、この方法がわかっていてもアローはなかなか使う気になれなかったはずだ。
「わかった。ありがとう、リューゲ。これでこの頭のこんがらがってるウィッカーマンもどうにかできそうだ」
《この呪い人形をどうにかできるほど、大きな魔法は使えないと思うけれど?》
「大丈夫だ。僕は別にこいつを滅ぼしたいわけじゃない。……救いたいんだ」
 ガンドライドの時に、師匠クロイツァは「倒してみせろ」ではなく「救ってみせろ」と述べた。
 つまり、倒すのではなく救うのが正解ということだろう。
 ガンドライドは、集合体となると厄介だが、未練が強いだけで呪われてはいない。だから強制的に冥府に叩き込むだけでどうにかなった。
 ウィッカーマンは呪術で作られた存在だから、単純に破壊しても滅ぼせない。できたとしても、そのやり方では単純に消滅するだけとなるだろう。
 呪いは魂を削る。後に残るのは虚無だ。このウィッカーマンは、おそらく術者が受けるはずの代償を生贄に肩代わりさせることで機能している。
 だから消すことなく救うにはこの強烈な呪いそのものを解くか、呪いの干渉を抑えるしかない。そして、前者はアローの手にはあまる。自動的に後者だ。
《せいぜい頑張りなさい。私はまだまだ、久しぶりの外界を楽しみたいのよ》
「任せろ」
 それきり、リューゲの声は途切れた。代わりのように、悪霊の怨嗟のざわめきが戻ってくる。
 アローは竜鋼を握りしめ、目を閉じる。
《貴方、何をしたの?》
「少しばかり契約妖精と雑談していただけだ。安心しろ。君のことはきちんと救う」
《呪われろ呪われた呪われろ呪われた呪われろ呪われた》
「それはわかった。わかったから話を聞け。聞かないのなら……君自身に直接会いに行くまでだ」
 目を開ける。
 アローの目が紅く輝く。狭いウィッカーマンの内部が、紅く紅く燃え上がる。無数の腕が救いを求めるようきアローの身体に取りすがっている。
 目が熱い。竜鋼を通して無理やり回路を開いているわけだから、やはり負担は相当かかるのだろう。
(それでも『救う』のが答えというのなら)
 災厄として生み出された自分を、理由は様々でも生きて欲しいと望む人がいる。
 災厄にならずに済む方法を、教えてくれた人がいる。
 そういった人々に救われた結果として今、アローは人間として生きていける。呪われた『災厄』ではなく、ただ一人の少年であることを許されている。
 命は差し出すものではない。ましてや賭けるものでもない。命を繋ぐために、命を守るために、命をその先の未来へとたどりつかせるために、力を尽くすのだ。
 その方法を、今までアローは知らなかった。死は常に隣にあって、隣になかった。すぐそこにあるのに、見えない壁の向こうにあった。手を伸ばせば引きずり出せたが、手を放せばまた孤独になった。
 森を出て仲間ができたから、アローはここにいられる。
(そうだ、僕は――ずっと許されたかった)
 森の奥でずっと、ずっと。誰かに許してもらえるのを待っていた。本当は待つ必要などなかった。
 こちらから手を伸ばして求めて、はじめて誰かに許される。誰かに存在を認められる。それがわかったから。
(だから、僕も――全てを許せるようになろう)
 それがどれほど呪わしきものであっても。いや、呪わしきものこそを許すことができる者になる。『災厄』の自分が『災厄』を救う。
《誰も私を救わない、救えない、救わない救わない救わない救えない……》
「勝手に決めるな。僕を見ろ。任せておけ、僕は稀代の死霊術師だぞ」
 それはいつもミステルが落ち込むたびに、アローが彼女を励ますために使ってきた言葉。
 そしてアロー自身が、自分を見失いそうな時に口にしてきた言葉だ。
 英雄でもなにでもない、本当は特別でも何でもない、生まれた瞬間に押し付けられた力に振り回され続けた少年の、自分を強くするための呪文。
「どんな呪いでも受けてやろう。それで僕を呪い殺せるものなら、試してみるといい。誰が言い出したかは知らないが、なにせ僕は『生ける死者の王』だからな。もう君に、誰も、何物をも呪えなくしてやろう」
 紅い世界の中でも、なお紅く輝く瞳で。
 『生ける死者の王』は約束の言葉を口にした。
『死を記憶せよ!』



「……今」
 ミステルが一瞬、死霊を攻撃する手を止める。ヒルダが彼女に向かおうとしていた悪霊を仕留め、その足で友人の元へと駆けつけた。
「どうかしたの?」
「今、お兄様が魔法を使いました」
「えっ? どうやって?」
「わかりません。すぐに魔力が消えたので、魔術回路が戻ったわけではないかと」
「つまり、どういうこと?」
 状況が見えてこず、ヒルダは首をかしげる。ミステルにもはっきりとはわからないようで、首を横に振った。
「もしかしたらウィッカーマンの内部で、魔法を使えるような仕掛けがあったのかもしれません。ウィッカーマンもある種の死霊ですから、お兄様なら従えられるかも」
「要するに、また無茶してるってこと?」
「一応庇っておきますが、無茶なしでどうにかできる相手ではないかと」
「それはわかるけどっ!」
 話をしながらもヒルダは剣舞のように鮮やかに動き、確実に悪霊を切り裂いていく。
 しかしなかなか数は減らない。切っても消しとばしても、その端から蘇る。確実に効いているのは、やはりハインツの聖霊魔法くらいのようだ。
「まぁ、アロー君だってヒルダ嬢にあそこまで言われて、簡単に命を放り出すほど愚かではないだろう。信じて待つといい」
「軽く言いますけどね、カーテ司祭……」
 余裕で聖霊魔法を飛ばしまくるハインツを横目に、ヒルダはもう一度魔法剣を振るう。
「やっぱ竜鋼の剣、もらっとくべきだったかしら」
「ヒルダさぁん、ミステルさぁん、助けてくださぁぁい」
 愚痴った側から、テオの悲鳴が聞こえてきた。どうやら矢が尽きてしまったらしく、涙目で逃げまくっている。
「だから俺は近接戦闘ダメなんですってぇ!」
「……フライアの加護をここに」
 ハインツがテオを追いかけていた死霊を聖霊魔法で焼きはらう。
「うおっ、やばいっすね! ハインツさん、さすがですね!」
「今さっき君は自然な流れで私には助けを求めなかったが、どういうことかね?」
 確かに、助けてもらうなら大量の死霊を操るのに忙しいミステルや、強いが一体ずつしか倒せないヒルダより、ハインツの方が確実だ。
 しかし。
「司祭様は女子しか助けてくれないのかと思ってました」
 テオが真顔でそう答えたので、ハインツも思わず真顔になる。
「テオにまで言われるとか、本当にちょっと色々素行を改めた方が良いのでは? カーテ司祭」
「今回ばかりはジャリガキにも同情しますよ」
 ヒルダとミステルの冷たい視線を一身に受け、ハインツは引きつった笑みを浮かべながら聖霊符を取り出した。
 ふんわり雑談しているようで、まだまだ悪霊は尽きない。



 その頃、アローはウィッカーマンの中で死霊術を構築していた。



 竜鋼の魔力と、小さな経路から引き出せる魔力はわずか。冥府から呪いに打ち勝てるほどの強い死霊を集めるのは無理だ。
 だからアローは冥府の門を開くかわりに、ウィッカーマンの『魂』をこじ開けた。
 燃え盛る紅い炎のが視界を染める。
 踊る炎の先に見えたのは薄く霧が幕を落とす世界。
 針葉樹の匂いに混じって、何かの焼けこげる異臭が鼻をつく。末期の叫びをあげる、人とも獣ともつかぬ声。
「殺された呪われた殺したい呪いたい」
 まるで歌でも唄うように、『それ』は小さく口ずさんだ。
 それは黒ずんだ人形だった。近づいてみると、人形ではなく焼け焦げた人の成れの果てだと気がつく。
「君が本体か?」
 アローは尋ねる。
 ここがどこかはわからないが、少なくとも先ほどまでいたウィッカーマンの内部ではないのはわかる。
(ウィッカーマンの『核の中』といったところかな)
 どうやらうまく潜り込めたようだ。
 ぶっつけ本番の術で呪いの内部に入り込むなんで、我ながらどうかしている。ヒルダが怒るのもわかる。少し反省した。
「呪いたい呪われたくない呪われた」
「呪いたくはないだろう、別に」
 ただ繰り返しているだけだ、呪いを魂に焼き付けられただけだ。
 アローが生まれることで魂に呪いを込められたのだとしたら、この『核』にされた『かつて人だったもの』は死ぬことで呪いを込められた。
 生贄というのはそういうものだ。代償を術者以外に受け止めさせるための呪詛避けと、呪詛そのものを兼ねた存在。
 それが悪意をもった呪術によって行われたものでも、たとえばその土地での信仰の形であっても、生贄は呪いだ。呪いにしかなれない。祝福などされない。
 祝福されてはいけない。
 薄く靄がかかった景色は、次第に晴れていく。そこにあったのは、森の近くにあったらしい集落の跡。
 燃えて、焼けて、朽ち落ちている。
「呪ってしまった呪われるべきだった呪わなければならなかった呪うしかなかった」
「あれは、君の故郷か?」
「わからない、わからない」
(返事をしたな)
 あれだけ会話がぐるぐると同じところを巡っていたことを考えると、どうやら相手も多少なりとも頭は冷えてきているようだ。
 アローはこの場所を知らない。
 黒き森とグリューネと、あとはオステンワルドとその旅路以外に見たことがないのだから当然だ。
 だが、空気でこの国ではないように思えた。身体の芯が冷えていくような冷気。ゼーヴァルトよりもはるかに寒い、北方の国を思わせた。
 ウィッカーマンは北東の国に伝わる儀式呪術。おそらく本来はその土地の神に捧げる生贄の儀式。
 神と呼ばれるものの多くは、本来は人間のことなど考えてはいない。アールヴやスヴァルトのように肉体を伴い社会を築くことはしなかったというだけの、高次元の聖霊、悪霊の類だ。
 当然、人に対して暴虐な神も存在する。ウィッカーマンは、その暴虐の神を鎮めて力を借りるための術式として開発されたのかもしれない。
 気まぐれに人を気に入り、気まぐれに手を貸してきたが故に、広く信仰されるフライアとは対極の存在。生贄を捧げるという条件付きで、自分の領域に人がいることを許す神だ。
 身勝手なように思えるが、基本的にこういった神は契約を重視する。だから生贄を順当に捧げていれば、少なくとも村は護る。それが絶大な呪いの力によるものでも、信仰する民にとっては神の奇跡となる。
「君は生贄にされた。でも、神はそれを受け入れなかったと?」
そして、村は滅ぼされた。そういうことだろうか。
しかし、炭化した黒い身体をカタカタと揺らしてソレは否定した。
「違う違う違う。私は呪われた呪わされた!」
「呪わされた?」
「あいつらがきて、神を殺した。だから呪われた、私は神の元に行けなかった、私に神を呪わさせた、神の呪いが私になった」
 言っていることが支離滅裂のようだが、何気なく真理に近づいている。
(あいつら、ってことは第三者が村を……もしかしたら、その村と契約してた聖霊を殺した? まさか、聖霊なんて簡単に滅せるものではないぞ?)
 それが真実なら、人が神殺しを果たしたということだ。神に名を連ねる、強大な聖霊を滅ぼした。その結果として集落も滅びを迎えた。後に残ったのは生贄にされたものの悲哀と絶望と、殺された神の怒りをも内包した呪詛の塊であるウィッカーマンだけ。
(そんなことが、本当にできるのか?)
 だけど頭のどこかで納得していた。
 クロイツァはどうして、ウィッカーマンをアローに差し向けたのだろうか。
 このウィッカーマンは『どこから、何のために連れてこられた』のだろうか。
 もちろん、クロイツァがこのウィッカーマンを作ったわけではない。かの大魔術師はこの手の儀式呪術を好まない。ましてや弟子を鍛えるためだけに、多くの人を殺して木の人形に閉じ込めるなんて悪趣味なことはしない。
 それだけは、直弟子であるアローには誓って信じられることだ。師匠の『悪趣味』は愉快犯的なそれであって、ある種の無邪気さから発する。こういった邪悪な信仰心に基づいたものでは、断じていない。
 それに、アローは知っている。強烈な呪いを生み出そうとしている人間が、この世界のどこかに必ずいることを。
 何故なら、アローがそうやって生み出された呪いだからだ。
「そうか……だから僕が、君を救わなければならないんだな」
 他の何者でもなく、自分が。
 このウィッカーマンの件と、自分の件はきっと無関係ではない。こんな強力な呪いを生み出す存在が、いくつもあるとは思えない。
「救う? 救われない? 呪われたから、救われない。誰も誰も誰も……」
 黒い塊がカタカタと震える。
「誰も、助けてなんてくれなかった……」
「これから、僕が助ける」
 黒く焼け焦げて縮んだその手を取る。熱が自分の指先を焦がしても、構わなかった。
「僕が、僕を呪い、君を呪った者と戦う。だから行こう」
 この身体は呪われていて、世界は常に冥府の隣にあった。それが当たり前で、それが全てで、受け入れられるはずもない生きるものの世界を遠くに眺めてきた。
 だけど森を出て、全てを知っても手を取ってくれる人がいる。そうやってアローを導いてくれる人がいる。
「僕が君の手をとろう」
「助けられるの?呪われないの?」
「助けられるかはこれからの僕の頑張り次第だが、少なくとも僕は君に呪われない。僕は君を呪わない」
 黒い指先から、少しずつ、少しずつ焼け付いた炭が剥がれ落ちていく。
 細いその指先は少女のもの。
 薄紅の髪をした少女が、泣いている。
「私は……呪いたくない」
「僕もだ。だから、一緒にいこう。君の命を救うことはできなくても、魂は救えるだろう」
 今度はしっかりと手を握る。
「君の名前を教えてくれ」
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