第40話 人間の証明

文字数 5,574文字

 オステンワルドを遠く離れ、グリューネのフライア大聖堂にて。
 司祭ハインツ・カーテは、与えられた私室で『報告』を聞いていた。
 虹色に輝く掌の上の水晶は、魔法道具の一種だ。二つの宝珠からなり、宝珠を持ったもの同士は遥か遠く離れていても会話が可能となる。会話が終われば宝珠が割れる。使い捨てだ。
 非常に高価で、費用対効果を考えればあまり使えるものではない。しかし事態が事態である。オステンワルドの一件を報告させるために、二つほどノーラに持たせた。今しがた来たのは、そのうちの一つ目の報告である。
 オステンワルドがスヴァルトと繋がりがあることは、教会も把握している。アールヴを祖先に持つ王室も、例外ではない。
 彼の地が黙認され続けているのは、オステンワルドが貴重な竜鋼を初めとした豊富な鉱物資源の産地であり、交易の要であり、多額の税を支払っているためである。
 あの地のスヴァルトは、少なくとも人間と実質上の共存をしている。オステンワルドのスヴァルトは、アールヴの血を引く王室や人間を滅ぼそうとしているわけではない。人間の都の下に眠る竜を護っているだけの、ほんの数人のスヴァルトを殺すよりも、竜鋼の恵みをもたらす彼らに目をつぶることにしたのだろう。
(人とスヴァルトの間の子がいるとの噂があったが、あながちウソではないのかもしれないな。伝言を聞くかぎりでは、リリエと名乗る女性が怪しいところだが……)
 現アレクサンダー辺境伯には、リリエという名前の姪などいない。そして仮にも大教会の使者を出迎えるのに手違いで牢に放り込んだり、一晩待たせたり、その上素性のわからない自称姪が出てくるのはおかしい。
『リリエって娘のこと、もう少し調べてみる?』
「いや、必要ならアロー君が聞きだすだろう。別に悪いたくらみをしているわけではないようだし……それなら良くも悪くも純朴なアロー君に、自然な流れで謎解きをしてもらう方が面倒がない」
『あははっ、それは言えてるわぁ』
 オステンワルドは難しい土地だ。ゼーヴァルト王国王家の仇敵たるスヴァルトを滅ぼした地であり、しかしスヴァルトから恩恵を得た地でもある。現在の立場で言えば、アイゼンリーゼとの交易の要所だ。
 教会も王家も、謀反の気配でもないかぎりは見て視ぬ振りをしたいわけである。信仰、国交、双方の面で色々とまずい。
『ねぇ、ハインツ。確かにアロー君は死霊術の才能がずば抜けてる……というか、きく限りではバケモノじみてるみたいだいけど、あの子と少数の精鋭だけでスヴァルトと竜の退治はちょっと無茶ぶりすぎなぁい?』
 ノーラのからかうような声。どうにかならなかったら自分がまきこまれて死ぬかもしれないのに、ずいぶんと余裕だった。
 どうでもいいのだろう、彼女は。人命など優先するつもりもない。
 オステンワルドが竜によって滅びても、彼女には関係がないのだ。自分の命さえ天秤にも載せずにいつでも捨てられる。
 そんな彼女が、アローに愛着を持っているのがなんだかおかしかった。
 それも、おそらく人形を愛でる態度の興味だろう。青薔薇館の娼婦なんてしていたら、普通はまずお目にかかれないような世間しらずの少年が、おもしろくて仕方がないのだ。
『貴方が来れば良かったのに』
「そこまで暇ではない。私がいったらそれこそ話がややこしくなる。何せ女神に愛されすぎているのでね」
『そうねぇ。フライアはアールヴに手を貸していたのだったわねぇ。でも、どうするの? アロー君一人で解決できると思って?』
「一応、手は打っているさ。だが、なるべくやり遂げてくれるとありがたいものだね。アロー君の今後のためにも」
『そう。じゃあ、ギルベルトにもそう伝えておくわ。あいつには別の仕事も頼んでるんでしょ』
「ああ、アロー君絡みで少し、ね。君は気にしなくてもいい」
『わかったわ。そっちはあたし、手を出さないから。そのかわり、青薔薇館に戻ったらたっぷり可愛がってね。欲しい指輪があるんだけどぉ……』
「君に似合う宝石を見繕っておくよ」
『うふふ、やっぱギルよりもあんたのが話がわかるわね!それじゃ、また』
 宝珠の虹色の輝きは瞬時に消え去り、黒く濁った色となって崩れ落ちる。
 消し炭になった宝珠を眺め、ハインツはため息をついた。
「しがらみが多すぎやしないか……」



 アローには、とりかからなければいけないことがいくつかあった。
 まずは、妖精族の魂を召喚する方法を開発することだ。これができなければアローの計画はとん挫することになる。
「魔術書の類があればいいんだがな。それもなるべく古代のものが」
「ありますよ」
 こともなげにリリエが答えたので、アローはぽかんと大口を開けてしまった。最悪黒き森の獣道で馬を酷使しまくって、元暮らしていた山小屋までの往復を考えたというのに。
「待て、スヴァルトを、彼らの扱う黒魔術を忌避するオステンワルドに、そんなものが存在したら焚書ものだろう」
「ええ、ですから、城の隠し扉の向こうに保管されています。ご存じでしょう、この『彫刻城』にはいくらでも隠し場所があるんですよ」
「なるほど、この城の半分は洞窟だったな」
 スヴァルト時代の古代の洞窟を利用して作られているのだから、魔術書があってもおかしくはない。盗賊が根城にしていた時期もあったらしいが、彼らには価値がわからなかったか、この城ができた後世になって運び込まれたかだろう。
「何かのお役に立てるのでしたら、すぐにでもご案内します」
「助かる」
 希望が見えたからだろうか。リリエの表情は少しばかり明るくなったように思えた。
 こうしてみると、彼女は本当にアローよりもほんの少し年上程度にしか見えない。実際には数十歳とはとても思えなかった。たたずまいにも少女のような純真さを持っている。
「こちらです」
 軽やかな足取りで案内を始めた。見た目だけなら、本当にただの人間だ。珍しい銀髪と、魔術によって紅く染まる目を持つアローの方が、あるいは人間離れして見えるかもしれない。
(人間ではない、とはどういうことだろうな)
 アローはまた、夢の中の師匠の言葉を思い出す。
 師匠に会わずに生きていれば、自分は化け物になるはずだった。人よりは魔物に近い存在に。何らかの呪術的儀式の末に生まれたのでなければ、こんな体質になるはずがない、と。
 そういう意味では、アローは呪術道具であって『人間』ではないのかもしれない。人間の形と組成と意思を持つ、道具。
(別に……自分の生れについては期待していないけれど)
 何のために生まれたのかを知る人間は少ない。親の心なんて子供は知らないし、子供の心だって親は勝手に推測するものだろう。テオの話を聞いていたらそう思った。ミステルもあまりいい思い出がないのか、元の家族のことは語ろうとしない。
「あの、アローさん」
「ん? どうした?」
 考え事をしていたアローは、リリエがちらりとこちらの様子を伺っていることに、声をかけられるまで気付いていなかった。
「ファルク、酷い態度だったでしょう」
「ファルク……? ああ、現辺境伯のことか」
「ええ。執務室に引きこもりっきりで、教会の使者への挨拶も後回しだし、会食では無言だし。影が薄いでしょう?」
「そうだな。ぶっちゃけほとんど覚えていないぞ」
 形ばかりにあいさつはしたものの、この事件に関して辺境伯はほとんど関与せず、リリエに対応を丸投げしている印象だ。
「怒らないで欲しいんです。今から行く書庫の古代魔術書は、半分くらいはファルクが私のために集めてくれたものだから」
「君のために、というと?」
「私を生贄にしないために。普通の人間と同じく暮らせる方法を探すために……です」
「そうか……」
 暗く憂鬱な晩餐会を思い出す。辺境伯の息子夫婦が、こんな時に外交に出ているのは、リリエを公然と呼び寄せても問題ないようにするためだろうか。
 彼女が城を熟知しているのも、少なくとも彼女が自由に城を出歩かせてもらっていた時期がそれなりにあるということだ。
 ずっと別荘で暮らしていたというが、老化が遅いことが分かる前は、普通にこの城で暮らしていたのだろう。まだ若かった頃に、ファルクとリリエはこうして肩を並べて歩いていたのかもしれない。
 ファルクは先に老いていく。リリエを置いて、老いる。
(少し、切ないな……)
 結局、人間に見えても人間ではない。そういうことだ。
 そして、それは何も彼らに限った話ではないのだ。
 アローは多少人間離れした力を持っていても、人間の身体だから人間と同じく成長し、老いていく。だけど、ミステルはそうじゃない。ミステルの年齢は十五歳で止まったまま、進むことはない。彼女は既に死んでいるから。
 たとえアローがモテにモテまくって生贄がわりになる魂の回収に成功し、器となる遺体を無事に得てミステルの肉体を作ることができたとしても、それは変わらない。死んだ人間の時間は、動かない。
(僕は、ミステルを置いていくのか……)
 一緒にいれば、お互いにそれを感じずにはいられない日が、必ず来る。
(それでも、僕はミステルの手を離すわけにはいかない)
 自分のために尽くしてくれて、自分のために呪われて死んだ少女。義理の妹。ただ一人の家族。
 彼女は全てわかった上で、それでも死した後もアローと共にありたいと願ってくれたのだから、それに答えたい。
「つきましたよ、アローさん」
 リリエがつれてきてくれたのは、初めに案内された時のような、洞窟をふさいだものではなかった。突き当りの壁だ。岩肌には隙間ひとつ見えない。
「……壁だが」
「入口はこちらです」
 リリエが岩肌の出っ張りを三回撫でると、床石が四か所浮き上がる。その囲まれた部分がバタンと下に倒れて、地下への階段が現れた。
「すごいな、この城は」
「ええ、こんな仕掛けがまだまだいくつもありますよ」
「設計をしたやつは変態だな」
 しかけのある城は珍しくないというが、この彫刻城は岩肌の洞穴と一体化していることもあって、構造も複雑怪奇だった。
 階段を下りると、リリエは蓋をあげる。ガリッ、と音がしたので、きっと床石が元に戻ったのだろう。凝った仕掛けだ。
「アローさん、ここなら誰にも聞かれないですし、少し込み入った質問をしてもいいですか?」
「ああ、君も当事者だ。答えられることには答えよう」
 アローは魔法道具で光をともす。ぼんやりとした明かりが暗闇を照らし、ほこりっぽい階段を二人で降りていく。
「私がスヴァルトの血を引いてるかどうかと、竜の封印、何が関係あるんですか? やっぱり、生贄が必要になるんでしょうか」
「そんなことはしない。ただ、媒介となってもらうかもしれない」
「媒介、というと?」
「僕は死霊術師だ。僕自身の身体を冥界の門に繋げて、死霊や煉獄の炎を召喚できる」
「そんなことが? スヴァルトでも、そんなことができるとは聞いたことがないのですが……」
「ああ、一応言っておくが、これができるのは僕が特殊な体質だから、死霊術師が誰でもできるわけではないということは覚えておいてくれ。スヴァルトの理屈とも、だいぶ違うと思う」
「はい」
 彼女は素直に頷いた。スヴァルトにはできないと言うが、かといってスヴァルト以上の成果を期待されても困る。
「僕が自力で呼べるのは死霊と煉獄の炎。ここまでは、制御もできないことはない。……で、スヴァルトは肉体を失うと魂が冥界にある国へと還るんだったか?」
 そこまで言うと、リリエはハッとしたようだった。
「まさか、スヴァルトの魂を召喚するんですか?」
「そういうことだ。スヴァルトの力が足りなくて竜を封印しきれないのなら、ここにスヴァルトを呼べばいい」
 さすがスヴァルトの血統。事情の飲みこみが早い。
 古代竜を操るのは、恐らく血ではなくスヴァルトの魔力。魂の力と言い換えてもいいだろう。妖精族の魂であれば、冥府の向こう側にあっても強い魔力を保持していると考えられる。妖精族にとって、肉体の死は厳密には死と言えない。リューゲがそうであるように、魂のみで個の存在を保てるからだ。
「ただ、僕は基本的にはただの人間だから、本来妖精族の魂なんて使役できない。力の格差だな。だから、確実にスヴァルトを呼ぶために、同族の血を引く君に協力してもらう」
 そのためには、まず、肉体を失ったスヴァルトが、冥界のどのあたりに『還る』のか調べなければならない。冥界への通り道を作っても、スヴァルトを探しているうちに時間切れでは意味がないのだ。
 スヴァルトの魂が棲む場所への経路を適切にたどり、なおかつ現世へと引きずりあげる。
 制御はできなくてもいい。できるとも思わない。スヴァルトの魂を竜の封印がある場所に呼び寄せること、それだけは絶対条件だ。
 これができないのだとしたら、アローには今どこにいるかもわからない師匠探す旅に出るくらいしかやることができなくなってしまう。古代竜なんかが手におえるとしたら、師匠にして偉大なる大魔術師、クロイツァくらいのものだからだ。
 妖精族すらも呼べる。今は師匠のその言葉だけが、頼みの綱である。
(大丈夫だ。やり遂げる。師匠は僕にならできると言った。師匠はできないことを言ったりはしない)
「つきました、こちらです」
 二人がたどり着いたのは、高い本棚が幾つも並ぶ書斎。
「これはなかなか骨が折れそうだな……」
 それでも、やるしかないのだ。幸い、目的がはっきりしているから題名を見るだけでもある程度しぼれる。
「リリエ、君は戻っていい。もしミステルたちが帰ってきたら、僕が調べ物をしていることを伝えておいてくれ」
「わかりました」
 リリエは素直にうなずいて、元来た道を戻っていく。
「さて、一仕事だな」
 アローはさっそく、魔術書の捜索に取り掛かったのだった。
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