第65話 カタストロフィの呪い人形

文字数 3,946文字

 黒く塗りつぶされた世界は、やがて薄闇の世界に染め上げられた。
 鼻をついたのは、針葉樹と厚く降り積もった枯葉が朽ちゆく腐葉土とがまざりあった匂い。つい先ほどまで見ていたのと同じ風景だが、空気はひやりとしている。
 少なくとも、ガンドライドの内部ではない。
「…………また飛ばされましたね」
「今度は本物の黒き森だな」
 朝に吹き飛ばされてガンドライドに襲われたその場所に、アローは連れ戻されてしまったようだ。クロイツァの転移魔法だ。
 アローには、師匠の横暴な転移魔法を防ぐ手段がない。これは、魔術が使えたとしても同じことだ。クロイツァの魔術に対抗することができるとしたら、黒妖精のリューゲが全力で力を貸してくれたとしても難しい。
 しかも今回はアローだけではない。ヒルダ、ハインツ、テオまでが一緒に飛ばされてきている。
「何かよくわからないけど、剣を抜いておいた方が良さそうね」
「私も別に暇ではないのだが……」
 ヒルダが剣を手に取り、ハインツがため息をつきながら聖霊符をまた取り出した。その中で弓を片手に、テオだけが首をかしげている。
「あの、何で俺、一緒に残されちゃったんですかね?」
「こちらに聞かないでいただけますか、ジャリガキ」
 ミステルのすげない一言にがっくりと肩を落としつつ、テオは気味悪そうに夜の気配をまといはじめた森の中を見回した。
「いや、だってどう考えても俺、部外者感半端ないですよ? 借金のカタに労働しているだけだったんですよ? 何でこんな不穏なところにまで連行されちゃいましたかね!?
《ついでだ》
「何ですか!? 何か空からのお声にものすごい理不尽なこと言われてるんですけど!?
 どこからともなく降ってきたクロイツァの声に、テオが嘆きの声を上げる。
「いつもだったら君の主張は話半分に聞くところだが、今回ばかりは謝ろう。僕の師匠が何というか、自由すぎてすまない」
「アローさぁん!? 自由すぎるとかそういう問題越えてません!? だって黒き森なんでしょう、ここ!? 魔獣の巣窟ですよ」
 聖霊の護りがあってすら恐ろしいとされる、魔獣はびこる黒き森だ。アローとミステルにとっては故郷のようなものだが、世間的にはテオの反応の方が正常だろう。
 ヒルダやハインツが平然としていられるのは、彼女らがその辺の魔獣など物ともしない実力者だからである。
「まぁ、大丈夫だ。君だって狩りで森に入ったことくらいあるだろう」
「俺の故郷の割とゆるゆるな森と黒き森一緒にしないでください」
「森にゆるい所なんてあるのか?」
 確かに黒き森は、数ある森の中でも最悪の環境であることは確かだ。しかし、森とは本来人間の力が及ばぬ獣や聖霊の棲家である。テオの基準も大概よくわからない。
 テオが持つ弓の腕前なら、多少の魔獣を恐れる必要はないのだ。しかもここには、ヒルダとハインツまで揃っている。
「ひとまず、師匠が仕掛けてこない限り、まず魔獣が出てくることはないから安心しろ」
「何ですか、その根拠のない自信」
「根拠はある。そこに」
 アローはぞんざいに親指でハインツを示した。女神フライアの寵愛を浴び過ぎた男。アローが死者の王ならば、ハインツは女神の使徒だ。どんな高等な聖霊の護りよりも強い。誰かに使役されているのでなければ、魔獣は彼の強すぎる加護を嫌ってそうそう寄り付かないだろう。
「なるほど……便利ね」
「ナマグサ司祭の思わぬ汎用性に驚きを隠せません」
 顔を見合わせていう女子二人に、ハインツは引きつった笑みを浮かべる。
「人を護符かわりに扱わないでくれるかな?」
「実際護符としては優秀だからな」
 もちろんクロイツァは、そんな理由でハインツまでここに連れてきたわけではないだろう。彼がいなければ成立しないようなことを、これからやらされるということだ。
 リューゲがまたいなくなっているところを見ると、彼女が気まぐれにアローに手を貸す気にならないようにまたはじき出したに違いない。いくらクロイツァといえどもスヴァルトをそう遠くにはじき出せるとは思えないから、元の場所に置き去りと言うこともないだろうが。
 今頃リューゲは、森のすぐ近くで苛立ちを募らせているかもしれなかった。
「師匠、僕にわざわざ仲間を集めさせたのはこのためか」
《お前だっていつまでも孤軍奮闘では辛かろう。これは慈悲の心というやつだ、ははははははは》
 森の中にクロイツァの高らかな声が響き渡る。
「それで、何をさせる気だ。確かに今の僕は無力かもしれないが、それでも友人を巻き込まれて穏やかな気持ちでいるわけじゃないぞ。………………いや、ハインツは友人ではないか」
「アロー君、そこは一応友人枠に含めておいてくれまいか」
 ハインツが遠い目でそう述べたが。アローはあえてスルーした。他の面々も特に否定をしていない辺りで推して知るべし。
《ぎゃはははははは、司祭様はもう少し女性関係を改めた方が尊敬されるのではないかな?》
「………………善処しましょう」
 遠い目になるハインツをよそに、アローは注意深く辺りをうかがう。
 クロイツァの目的が、まだ読めていない。ガンドライドよりも強い魔獣でも出してくるか、それとも何か仕掛けをしているのか。
(今の僕では魔獣が出てきたところで、物理に攻撃をするかミステルを頼るかしかできない。僕よりもヒルダやハインツの方が――いや状況によってはテオの方が強いかもしれない。そして、師匠がそんな他人頼りの戦法に納得するはずがない)
 クロイツァは大概に奔放な人物だが、アローが知る限り、むやみやたらに人間を巻き込んだりはしない。だからこそクロイツァはまずアローに「こちらの事情に巻き込んでも大丈夫な、信頼できる人間」を選ばせたのではないのか。
 そして、わざわざご丁寧にもミステルの契約を強化して、彼女を戦力にできるようにしている。
(一体、師匠は僕に何をさせるつもりだ――)
「あの、クロイツァさん。私は魔術のことはあまり知らないから、率直に聞きたいんですけど」
 アローが問い詰めるよりも早く、ヒルダがそう告げた。
「私は何と戦えばいいの? 答えてください。それが何であっても、私は友人のためにこの剣をとる」
《あははははははははははは》
 森にクロイツァの声が響き渡る。こだましたそれは木々の間をすり抜け、背筋を粟立たせた。
 アローはこの感覚を知っている。煉獄の炎に囲まれている時に似た、肌を焼きながら氷を這わせている彼のような感覚。熱さと冷たさが混在した、しいて名づけるならばそれは『冥府の気配』と呼ぶべきもの。
 この豪胆な師匠は、たまにこういった恐ろしい異界の気配を引き連れてくる。ここに姿を見せていないのに、ありありとその存在を肌で感じる。
《そうだな、話しが長すぎた。戦女神に免じて前置きはこの辺でやめておこう》
 ひとしきり笑い声を響かせた後、クロイツァの声は少し低くなった。
《良く聞け、不肖の弟子。お前は鈍感だ。あまりにも死に近づきすぎて、生きていることにも死ぬことにも鈍感だ。その有様でみすみすミステルを死なせた。だから私はまず、お前の手でミステルを選ばせた》
 声が、森に反響する。木々がその声に同意するようにざわつく。
《お前は『死』との距離が近すぎる。少しは付き合い方を学べ。お前の命はお前のものだ。お前が大切にしている誰かの命は、その誰かのものだ。お前が呼びだして使役するのは誰かだったものだ。お前が誰かのために命を差し出そうとしても、お前の命は誰かのものになどならない》
 クロイツァが朗々と語るそれは、まるで歌のように。呪いのように。
《だからお前は、理解しなければならない。なぁ、『生ける死者の王』よ。ガンドライドほどは甘くないぞ。力を合わせてどうにかしてみせろ》
 パキパキと、枝の折れるような音がした。
 パチパチと、何かが燃え爆ぜるような音がした。
 闇に沈みかけていた森が明々とした炎に照らされ、投げかけられた木々の黒い影はまるで亡霊のようだった。
「うぇ……何ですかあれ……」
 テオが怯えながらも、まるで本能がそうしろと言っているかのように矢をつがえる。
「だ、大丈夫……多分、剣で斬れる……うん」
 ヒルダも若干腰が引け気味になりながらも、剣を構え。
「やれやれ、確かにこれは街道に出すわけにはいかないね」
 ハインツが聖霊符を掲げる。
「お兄様、あれは…………」
 ミステルがアローの肩に手を置く。
 それは巨大な木の枝で編まれた人形だった。煉獄の炎を纏いながら動く、木偶人形。
 人の形に編まれた枝の間から、人の手が、足が、首がいくつもだらりと垂れさがり、蠢いている。
 木の枝で編まれた人形の中に詰め込まれているのは、無数の生ける屍。死んで、死にきれずに、呪われた魂で怨嗟を吐く死霊。いわば、呪いと死霊で動く人造巨人ゴーレム。
 昔、クロイツァに呪術知識を仕込まれた時に教えられたことがある。呪術に詳しいミステルならば、アローよりも早くに気が付いただろう。
 北東の国に伝わる人身御供の呪術。木でできた人の形をした檻の中に、生贄を閉じ込めて焼き殺す。その生贄の怨念によって仮初の命を得るもの。
「ウィッカーマン……」
 ガンドライドの時は感じなかった悪寒が、手を震わせる。それが恐怖だと気が付くのに少し時間がかかった。
(怯えてる……僕が、死霊に?)
 死霊術を使えない、呼ぶだけで従ってくれる存在はない。そしてガンドライドの時のように『死霊を安寧に導く』ことで内部崩壊させられるような、並外れた怨念ではない。
《さぁ、アロー。知恵を絞れ、お前に何ができるか教えてみせろ。こいつらの呪いは簡単に滅ぼせるものではないぞ? お前はお前の手で、死霊を従えろ。――死霊たちの王となって見せろ》
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