第49話 恐れを知らぬ英雄のように

文字数 3,823文字

「ヒルダさん、これを」
 リリエがヒルダに細長い包みを差し出す。
「え? これって……」
 戸惑いながらも彼女はそれを受け取り、布を剥ぐ。
 一振りの剣。
 藍色の鞘には金銀で細やかな細工が施してある。一目見て高価な剣だとわかるものだ。
 鞘から抜き、その刀身を見てヒルダは目を瞠った。深い青みがかった黒の鋼に、銀色の斑紋が星の用に散る。
「りゅ、竜鋼!?
「竜を倒すならば、竜の武器は必要でしょう」
「えええ!? ちょ、これ、ええええ!?
 何せ竜鋼の剣一振りで、王都に豪邸が建つ値段である。彼女が慌てふためくのも無理はない。
 一方で、ギルベルトに担がれたまま動けないでいる(というよりは動く力もない)アローは、死霊の放出が収まっていることに気が付いていた。
 封印の中に堂々とリリエが入ってきたばかりか、悠長な会話ができるレベルまでに死霊が沈静化しているのは、竜鋼の剣のおかげらしい。
 竜鋼自体が強い魔力を持つのだ。並の死霊なら近づけない。しかもスヴァルトであるステルベンまで同行している。質素な動きやすいものとはいえ、ドレス姿のリリエが悠長に出てこられるはずだ。
 アローとしては、正直に言って助かった。死霊の暴走に気を遣わなくてもよくなる。
「それで、ステルベン。この状況をわかっているかしら?」
「ああ、わかっている」
 ステルベンは苦々しい顔のまま、剣呑な視線を投げつけるリューゲにうなずいてみせた。
 死霊の動きを抑えられていても、肝心の常闇竜を封印できていない。冥府から戻ってきたスヴァルトたちの魂で、かろうじて抑え込んでいるだけだ。
 それもアローの魔力が底をつけば、冥府の門を維持できず、当然この拮抗した状況も瓦解する。もちろん、最悪の方向にだ。そしてアローの限界がもうすぐそこだった。気力だけで何とか持ちこたえている。
 時間がない。余力もない。
 ぼんやりとしてきた頭で、アローはどうにかリリエたちの会話を聞いていた。
「リューゲ、スヴァルトだったらここにいます。竜を封印するにしても倒すにしても、生きているスヴァルトが何もしないで見ているわけにはいきません」
「貴方はスヴァルトではないわ。半分人間、少し寿命が長いだけ、妖精族の魔力の使い方なんて知らないし、半人前が出てきてどうにかできるものじゃない。すぐにここを離れなさい」
「いいえ、リューゲ。スヴァルトはここにいます。ステルベンが……お父様がいます」
「竜を操れるのは女だけよ。ステルがどうにかできるのなら、とっくにどうにかできているでしょう」
 リューゲは焦っているように見える。当然だろう。死霊を操る規格外の能力をもっているとはいえ、リューゲが彼女からみれば取るに足らない存在であろうアローと破格の条件で契約したのは、他ならぬリリエを救うためであったのだろうから。
「操れます。スヴァルトの血を引いた女の私と、正真正銘、血肉を持った本物のスヴァルトがいるのだから」
「なっ……!?
(……そうか、竜を操る能力があるのが女性だけでも、魔力を使うのが女性である必要はないのか)
 女性であることは、恐らく魂の性質として何らかの必要条件である、というだけなのだ。ステルベンがリリエを媒介して魔力を使えば、竜を操ることができてもおかしくはない。
 もちろん、危険なことだろう。リリエはあくまで半妖精族であって、半分は人間なのだ。スヴァルトの魔力に耐えられる保証はないし、竜を操れる保証もない。だからこそリューゲもステルベンも、今までこの方法を考えることはなかったのだ。
 半分人間であっても、リリエは二人にとって、血を分けた最後の血族だ。彼女の身を案じる心が、この可能性を除外した。
「リューゲ、ステルベン……こんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど、私は嬉しいです。人間にも妖精族にもなれなかった私にできる最善がある。賭けられるものがあるのって素敵なことね」
 リリエもまた、あらゆる悪手の中から最善を選んでここに来た。結果にならなかった後悔をするよりも、可能性を失ったことへの後悔をしないために。
(お兄様……お兄様、ご無事ですか?)
 その時、不意に声がきこえてきた。
「……ミス、テル?」
 頭の奥に響く声は、間違いなく妹のミステルのものだ。ミステルの存在が維持できているということは、アローも後一回分くらいは魔力を使えないことはないかもしれない。本当に枯渇寸前なら、彼女には話しかけてくる余裕などないだろう。何せ維持だけで精いっぱいなのだから。
(お兄様があともう少しだけ、冥府の門を維持してくださいませ。不本意ですが、テオの弓の技量にかけます)
「テオ、に?」
(こちらはこちらで上手くやってごらんにいれます。古代竜を無力化できるのでしたら、封印でも竜殺しでも、結果は問わないのでしょう?)
 そういえば、リリエはあの隠し通路を降りてきたのだろうから、きっと途中でミステル達にも会っているのだ。つまり、彼女が用意したのは竜鋼の剣ばかりじゃない。
 アローはかるく息をついて、自分を抱えているギルベルトを呼ぶ。
「ギルベルト……僕は地面でいい。ヒルダを、手伝って、くれ」
「ん? いいのか?」
「足手まとい、だからな。どうせ、動けない」
「おう、わかったぜ。できるだけ長めに冥府の門かっぴらいといてくれ」
「努力は、する」
 ここから先は計画にはない。失敗したら全員死ぬ。後悔する暇もなく、間違いなく死ぬ。
 ――それでも、最善を尽くしたと胸は張れるだろう。
「ヒルダ、ギルベルト、それと、ミステルたちも。僕は、これから封印の制御をやめ、死霊で竜を、少しだけ……足止め、する。だから……」
「斬ればいいんだろ、斬ればよぉ」
「ううう、竜鋼の剣、傷つかなければいいんだけど……」
 全く動じていないギルベルトと、命がけの場にそぐわない心配をしているヒルダと。
 そして、リリエがステルベンの手を取って、進み出た。
「リューゲ、私と一緒に歌って」
「…………本当に仕方のない子」
 呆れたように、だけれど、リューゲは確かに微笑んだ。愛しい娘を見るように。
「私の後について歌いなさい。スヴァルトの言葉は前に教えたわね」
「はい」
 リューゲが竜へと手を伸ばす。リリエがステルの手を握ったまま、頷く。
 それは、人の耳には届かぬ魔力の歌。スヴァルトの女性にのみ使うことのできる、竜の魂をかき乱し、従属を促すための古き言葉の詩。
(そうか、音か……女性の声が必要なんだ)
 半妖精とはいえ、生身をもったリリエによる竜使いの歌は、岩盤を崩してもがいていた竜の動きを止める。
 その瞬間を見計らい、アローは結界に割いていた魔力を全て手元に戻し、冥府の門へと注ぎ込む。
『死を記憶せよ!』
 冥府から湧きだした大量の死霊たちは、冥府の炎をまとって常闇竜の身体を焼く。
 ただの死霊であれば、本当なら竜の鱗ひとつにすら傷をつけることは叶わないだろう。しかし、今この冥府の門はスヴァルトたちの故郷へと繋がっている。スヴァルトの魔力を間接的にだが、借りることができる。
(お兄様、ご武運を)
「ああ、ミス、テル……」
 返事はなかった。きっと、アローにミステルを維持する力がもう残っていないからだ。あとはどこまで冥府の門を維持できるか、時間との勝負だ。
「ヒルダ……ギルベルト…………テオ、頼んだぞ」



「お兄様、ご武運を」
 そう囁いた瞬間、ミステルの姿が闇に溶けて消えた。
 それがどういう意味なのか、わからないほどテオも愚かではなかった。アローの魔力が尽きかけているからだ。
 独りになってしまった。周りに誰もいない。
 ただ灯りがわりに使ったキノコ護符の光が、洞窟内を仄明るく照らしているだけ。
 ここで大急ぎで地上に出て、ひとりで逃げたらどうなるだろう。自分だけは助かるだろうか。
 テオがそう考えても、誰も責められないだろう。彼は単なる十二歳の少年で、心だってそう強い方ではない。歳相応に世界を楽観していて、悲観しているだけの、ただ少し弓が得意なだけの子供だ。
 だけど、足が動かなかった。
 それでも、足は震えていなかった。
 結界の石が全て砕け、かわりに燃えるような紅い光が下からほとばしる。
 黒い影が首をもたげる。
 ぎろりとこちらを睨んだのは、紅い紅い竜の瞳。
 それでも、テオの足は動かなかった。震えていなかった。弓をもつ手も、矢を番える手も、震えてはいなかった。
 不思議なことに、逃げたくて、投げだしたくてたまらないのに、振り向いてほしいミステルだってもう見てくれてはいないのに、テオは恐怖を感じていなかった。
 その矢の先についているのは、青みを帯びた黒いやじり。薄闇の中で、ほのかに銀色の光を散らす。
 リリエがテオに預けて行った、竜鋼で造られた矢。
「……笑っちゃいますよね、この矢、一本で俺の年収ぐらいするんです」
 口に出すと、ますますおかしく思えた。
「俺の年収、受け止めてください」
 弦を引き絞る、その指先に、視線に、迷いはない。
 テオは英雄になりたかった。どんな英雄なのかまでは考えていなかったけれど。
 誰かに褒められる人間になってみたかった。何をすればいいかまでは考えなかったけれど。
(竜だって目までは固くない、でしたよね、ヒルダさん)
 紅いその大きな目に、狙いを定める。
「矢で射れるものなんて、何も、怖くない。的としては大きすぎるくらいだ」
 竜鋼の矢は鋭く風を切り裂いて、常闇竜の瞳を撃ち抜いた。
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