第41話 妖精の故郷へ行く方法

文字数 5,893文字

 アローは一人、黙々とアールヴとスヴァルトに関する伝承の書物を読み進めていた。
 アールヴはアルフヘイム、スヴァルトはスヴァルタールヘイムがそれぞれの持つ国であるという。スヴァルトの故郷の名前があからさますぎる気がするが、恐らくこれはアールヴの味方であったゼーヴァルト人側の視点で書かれた伝承であるからだろう。
 スヴァルトの故郷が本当はどんな呼び名なのかは、本人たちに聞くしかない。教えてくれるかどうかは別として。
 神々が地上に降り立った時、光の妖精であるアールヴもまた彼らに従って地に降りた。この大陸に来た人間たちに祝福と叡智を与えた。
 同時にスヴァルトたちも冥府の隣国スヴァルタールヘイムから、常闇竜と共に地上へと姿を現した。元々、スヴァルタールヘイムは冥府よりも人間の世界に近い場所にあったのだという。それが天上世界アルフヘイムからの粛清を受けて、冥府へと繋がる地底世界へと逃げていった。
 スヴァルト側の視点で見ると、天界のアールヴとの戦争に負けて追いやられた、というところだろう。つまり、スヴァルトにとってはアールヴとの戦いはかつての故郷の奪還を意味する戦いだったのだ。
 天上から降りる時に肉体の殻を纏うアールヴに対して、スヴァルトは元々持っていた肉体を手放して冥府に――死霊に近い存在に進化した妖精族のようだ。
 祖先はアールヴと同じだが、光を求めて天に上がった者と闇を身にまとい地に立ったもので、袂を分けた。
 アールブもスヴァルトも、不良長命だが肉体が滅ぶと魂は『国』に帰る。肉体の死は、妖精族にとっては人間と同じ意味は持たない。彼ら妖精族は元々魂のみ、精神体で存在できるからだ。
 人間の魂は年月によって拡散し曖昧になり、「個」としての記憶は薄くなっていく。そして薄まった頃に転生もする。しかし彼らは魂を「個」として維持することができる。それ故に「転生」ができない。自分以外の者になれはしない。
 つまりスヴァルタールヘイムには、古代にこの地での戦いで肉体を失ったスヴァルトも、当時の記憶と人格を保持したまま魂として存在している。
 アローが目指すのは、彼らの魂を一時的に顕現させ、常闇竜をどうにかすることだ。
 理想は常闇竜を使役してこの地から穏便に去ってもらうこと。次点が常闇竜を斃すこと。最低限でも数十年封印を引き延ばせるなら、まだ対処のしようもある。
 竜鋼が採れなくなったのは、竜の寿命が近い身体と考えられる。生物である以上、古代竜でも現在の魔物や動物に近い生態が存在するはず。鱗が生えかわらなくなったということは、代謝が失われているからではないか。
 それならば、封印を引き延ばすだけで自然死するかもしれないし、そうでなくとも無力化はできる可能性が高くなる。
「スヴァルタールヘイムの場所は何となくわかったけれど、問題はそこへ繋げる経路だな」 
 アローが自分の意思で繋ぐことができるのは、冥府の門。一番人間界の階層に近い煉獄だ。
 神話的には、「煉獄」は正しい名称ではない。この国の民の大半が信仰するフライア教が、教典を編纂する際に用いた表現が元になっている。
 冥府の入り口付近には、まだ現世に強い未練を持った死霊が絶えず怨讐の声をあげており、冥府の炎によってその怨念を焼かれている。その場所を「煉獄」と表現している。アローが自分の意思で死霊を確実に引っ張り出せるのは、実はほんの入り口近くなのである。
 スヴァルタールヘイムに煉獄部分から行くことが可能だとしても、少なくとももう一層は奥に進む必要がある。妖精族のスヴァルトを人間であるアローが制御することは無謀すぎるから、この点については別件として考える。
 ひとまず経路を確保することだけに集中したとしても、煉獄の炎と一緒に吹き出す死霊を押さえ、スヴァルトと接触しなければならない。そして、ことが終わるまで魔力を絶やさずに制御しきらなければならない。
 カタリナとの戦闘の時はあまり制御ができなかった上に、最終的には暴走してしまった。あれは事前に戦闘である程度魔力を消耗と、レヴァナントを操作していた影響だ。
 あの時のようにハインツの聖霊魔法を頼ることこそはできないものの、万全の状態で綿密に準備することができる。工夫すれば今のアローの実力でも、スヴァルタールヘイムまでたどり着くことはできるはずだ。
 煉獄の炎の制御はミステルに、死霊については聖水と魔法剣でギルベルトとヒルダに対処を任せる。ヒルダには気の毒なことをするが、恐らくこの仕事を受けた時点で、彼女も多少のことは覚悟しているだろう。
 テオは比較的安全な後方から死霊退治を支援してもらうとして――アローはどこまで冥府を潜れるだろうか。
「練習をするわけにはいかないからなぁ。正確な経路を知りたいが……さすがに冥府に行って戻ってきて、地図を描いた人間なんて存在しないか」
 積まれた文献を眺め、ため息をつく。決定的なことなど何もない。命がけの作業になるというのに、ぶっつけ本番で確実に成功させる必要があるとは。
「……ロー、アロー」
 声が聞こえてきて、顔をあげる。すると、リリエがヒルダ、ミステルを伴って階段を下りてきたところだった。いつまでも書庫から出てこないアローを心配したのかもしれない。
「買い物は終わったのか?」
「うん。テオの弓はちゃんとしたのを買えたから心配しないで」
「それは良かった」
 よく見ると、彼女の手には自分の買ったものらしい細長い包みもある。
「君も剣を買ったのか?」
「ええ、魔除けの剣。教会から借りてる女神の加護を受けた剣の他にも、自分用の魔剣が欲しくって。魔剣と言ってもそこまで高価なのは買えないから、聖霊加護の剣だけども」
 教会で儀式を行って女神の加護を得る聖剣は、とても高価だ。ヒルダが今回の任務のために貸与されている魔剣もそうだった。要するに魔剣としてはかなり高品質なものなのだ。下賜されたわけではなく貸与という扱いなのも、それほど多くの剣を作ることができない上に費用がかさむためだろう。
 立場的にはまだ下位なのに、ヒルダが貸与を許されたのは、実力も信頼もあるからこそと言える。
「いつでも魔剣を貸してもらえる訳じゃないし、何となくアローと付き合っていたらいずれ必要になると思ったから……」
「う、うーん、それについては否定しづらい」
 呼吸するように死霊を呼べるアローと度々仕事をするのでは、ヒルダがそう考えるのも無理はない話だった。
「聖剣はさすがに無理だったけど、下位の魔剣ならギルベルトさんに貸してもらって何とか足りたわ。定期的に魔力を補充しないとだけど、今の私にはこれで十分」
「そうか、聖霊剣か」
「正直、聖剣は高価すぎてちょっと荷が重いのよね」
 女神の加護を受ける聖剣とは違い、聖霊剣は下位の聖霊に力を貸してもらうことで効能を発揮する。聖霊魔法を宿した剣、といったところだ。聖霊が好む銀と魔法文字を刻んであるのが特徴だ。
 効果が永続する聖剣とは違い、聖霊剣は魔法の効力が切れたらただの剣になる。だが、再び聖霊魔法をかけることで効果は復活する。それなりに高価ではあるが聖剣ほどではない。
「ギルベルトがよく金を貸してくれたな。傭兵は金にはうるさいだろうに」
「ああ、貸してくれたお金が、リントヴルムの牙を売ったお金で。だから私の取り分もあるって。まぁ、それでもちょーっと足りなかったので、結局貸してもらったんだけど、グリューネに戻ったらすぐに返すわ。テオに貸してなければ足りてたわね。でも、それでテオにいい弓を諦めろっていうのも、先輩騎士としてどうかと思うし」
「なるほど、じゃあ、テオも相当高価な弓を買ったんだな」
「節約させた方がよかった?」
「いや、変に遠慮されてすぐ壊れる弓を買われたら、そちらの方が困る」
「だよね」
 比較的安全な場所を任せるとはいえ、テオの弓の技術をある程度アテにしている以上、粗悪な弓で失敗されては困る。そのために大金を投資したのだ。
 少なくとも、目の良さに関しては彼は本物であったし、あの年齢でしかも剣や槍を重視される騎士団の試験を弓で通過できたのだから、ある程度の技術は見込める。後は彼が本番に強いことを祈るばかりだ。
「お兄様、スヴァルトについて何をお調べだったんです。必要であれば私もお手伝いいたします」
 妖精族を扱った神話の学術書ばかりが積み重なっているのを確認しながら、ミステルが尋ねてきた。魔剣の話にはさほど興味がなかったのだろう。
「ああ、それは、スヴァルトの魂を召喚するための経路を知りたくてな」
「なるほど……スヴァルトの魂を……、ってダメです!!
 ミステルの声が途中で悲鳴に近いものへと変わる。
「危険すぎます!」
「だけどやるしかないだろう。依頼を受けた以上は、最善を尽くす。オステンワルドが壊滅したら、この国だけじゃなくアイゼンリーゼにも影響があるぞ。それくらいのことは世間知らずな僕でもわかる。もちろん、舞踏会どころじゃない。舞踏会を強行したその日に竜が暴れ出すなんて事態になったら最悪だな」
「それはお兄様が命をかけてまですることではないです! 竜が暴れる前に逃げてしまえばよいだけのことです」
 仮にも依頼主のリリエがすぐそこにいるのに、ミステルはためらうことなくそう言い放った。とはいえ、彼女の主張はさほど理不尽なものではない。
 教会から、ここに来るまでの諸経費は支払われているが、報酬は前金ではなかった。更に聴いていた依頼内容と実情には大きな差異があったので、アローが自分の手に負えないからと断る権利だってあるだろう。
 もしかすると、あえて曖昧な依頼だけで送りだしたのは、ハインツなりにアローが手におえないと判断した場合の逃げ道を用意したつもりなのかもしれない。
 教会の覚えは悪くなるだろうが、本来個人の死霊術師が受けられる範疇をこえているのだから、投げだす権利はあるのだ。
 ――だが、それはアローの本意ではない。
「ミステル、僕は自分が何をできるのかが知りたい」
「今はその時ではないのでは?」
「いや、その時だ。大体、僕が思いつく限り、この件に対処するのは教会でも難しい。ハインツくらいの加護をもっていても、竜の制御なんてできない。僕が考えた方法以外で、それも短期間で制御を可能にするなんて芸当ができるのは、それこそ師匠くらいのものだ」
「では師匠を探しましょう」
「見つかると思うか? あの師匠だぞ? 見つかったところでヘラヘラ笑いながら『それじゃあお前がやってみろ』と言うのが師匠だ」
 これにはさすがのミステルも押し黙った。クロイツァはそういう人だ。直弟子ではなくても、一緒に過ごしていたミステルも理解しているはずだった。
「……リリエ、君にはもう一仕事頼みたいことがある。というか、これが成功しないと、全ての計画が水泡に帰すことになる」
「は、はい……」
 兄妹のやりとりを気まずそうな顔で見ていたリリエが、顔を上げた。
「君はリューゲとステルベンを説得してほしい」
「え、私が、ですか? でも……リューゲはまだ話だけは聞いてくれるかもしれませんけど、ステルベンは……」
「だが、説得できるとしたら君くらいだ。君がそれを約束してくれるのなら、僕は全力を尽くしてスヴァルトの魂をこの地上に引きずり出して見せる」
 アローの身体は冥界と繋がる媒介となる。しかし、そのままスヴァルトの魂を資料と同じ要領で呼びだすと、一瞬で制御不能に陥ってしまうだろう。最悪、即死だ。
 そうならないためには、結界と正しい経路で繋いだ専用の『出口』がいる。そして何よりも必要なのが『スヴァルト側からの協力』だ。
 ただでさえ、妖精族は社会性を持った生物であるがゆえに、聖霊以上に気難しい。ましてやアールヴと共に敵対していた人間による命令を、スヴァルトが耳を貸すはずはないのだ。
「僕はスヴァルトの制御まではできない。だからリューゲとステルベンには、僕が呼びだしたスヴァルトの魂に、竜の制御を手伝うよう要請してもらう。同じスヴァルトの頼みだったら、少なくとも僕がやるよりは確実だ」
 妖精族は肉体を失っても、精神体として存続する。
 要するに人間の死霊よりも、はるかに「話が通じる」はずなのだ。少なくとも、同族の間でならば。
「無茶を言うのは承知だが、半分しか血を引いていない君の命ひとつで封印を存続させるよりもよほど現実的だと思う」
「私と……ステルベンは……」
「そこに『愛があった』と君は信じるのだろう?」
 リリエの瞳が大きく見開かれ、そして静かにうなずく。
「……わかりました。やってみます」
「では、僕もこの命を賭けて成し遂げよう」
 ミステルはアローとリリエのやりとりを、睨むように見つめている。
 本当はまだ、彼女はアローに「逃げて欲しい」と思っているのだろう。ミステルはいつもアローを基準に物事を考えているフシがある。それゆえに彼女はカタリナの事件の時に罪を犯した。
(ミステルにも……もっと 僕以外のものを見せてあげないといけない)
 アローと運命共同体である使い魔になってしまってから、彼女にそれを求めるのは酷なのかもしれないが。
 いずれ時の流れが容赦なく、彼女に襲い掛かるだろう。自分がすでに死んでいる存在だということに、そうしようもなく打ちのめされる時がくるかもしれない。
 死は誰にでもやってくる。アローにだって、今日命を賭けなくとも、いつかは訪れる。使い魔となった彼女を手放す日がやってくる。
 今だったら、彼女は迷うことなくアローと共に消える道を選ぶだろう。だけどアローは、できれば彼女が自分の意思で次に仕える主を選ぶなりできるようになればと思っている。
(そのためには、やっぱり身体は作ってやった方がいいな)
 ふと、笑みが漏れた。
「どうして笑うんですか、お兄様」
 いぶかしげな顔をする義妹に、アローは片目をつぶってみせる。ここは兄の威厳の見せ所だ。
「安心しろ、ミステル。僕は絶対に失敗しない。何せ稀代の大魔術師の弟子で、稀代の死霊術師だからな。生き延びてモテて、ミステルの身体もばっちり用意してやるから心配するな」
「……いや、普通に心配ですけど」
 ミステルはつれなくそう答えて。
「まだモテる気あったんだ……!」
 ヒルダが素で驚いた様子でまじまじとアローを見つめる。
 モテたい死霊術師は、義妹と女騎士とスヴァルトの血を引く娘の微妙な視線にさらされ、釈然としない気持ちをかみしめていた。
 ――森から出てきて早数か月。ちなみに未だナンパに成功したためしはない。
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