第53話 そこに愛があったからこそ

文字数 4,704文字

 リリエ・アレクサンダーは浮かれまくっていた。
 彼女はずっと山奥に匿われていたため、こういった舞踏会は実に数十年ぶりなのだそうだ。
 今、彼女は辺境伯御用達の仕立て屋の衣裳部屋で、ドレスを引っ張り出しては年頃の娘のようにはしゃいでいる。
 そして、主にヒルダがそれに巻き込まれていた。
「ああ、ミステルさんにも着ていただきたいドレスがありましたのに……」
『ドレスも何も、私は実体のない存在ですので……』
「見た目だけでもドレスを着てくだされば、きっとアローさんも、ミステルさんの美しいお姿に感激してくれたはずですよ」
『……くっ、い、いいんです。お兄様の魔術回路が修復されたら、どんな衣装でも着放題ですから! ええ、悔しくなんかないですっ』
「……私はできればミステルに代わってほしいわ」
 ここに来てから延々とリリエの着せ替え人形にされているヒルダは、遠い目になりながらげっそりと呟く。
 ちなみにアローはというと、今は仕切り布で仕切られた向こう側の長椅子で疲れ切って伸びているところだ。布のすぐそばにミステルの瓶を置いてくれているので、ヒルダたちと会話ができている。
 着せ替え人形の刑に処されたのはアローも同じで、病み上がりで体力がなくなっていたところにあれを着てこれを着てと何度も着替える羽目になり、すっかりまいってしまったのだった。
 そもそもアローは満場一致で大不評だった死霊術師の正装(顔も見えない怪しい黒ローブ)に何の疑問も抱かなかった男である。キラキラな衣装を着せられてどちらがいいかと尋ねられたところで、似合うかどうか判断できるはずもない。
 ちなみにテオは実に危機察知能力が良く、竜との戦いでなくなった矢を買い付けると言い残して脱兎のごとく走り去っていった。ギルベルトが不在だったのは、彼にとっては幸運だったといえよう。
「ヒルダさん、何でも似合いますね……これとかもどうですか?」
「うう、もう騎士の正装でいいじゃない……」
「ダメです。ヒルダさんはお客様ですから、美しく着飾っていただきませんと!」
 リリエがはりきって新しいドレスを引っ張り出す。リューゲも巻き込まれる気配を察してか、姪の邪魔をしたくないのか、単に興味がないのか、全く姿を見せない。
 彼女を止めてくれる人はここにはいなかった。



 結局、リリエによるドレス選びは日が沈む手前までかかってしまった。
 その頃にはアローも何とか元気を取り戻し、三人は仕立て屋から彫刻城に向かう馬車に乗る。小さな窓からは、オステンワルドの変わらぬ街並みが見えた。
 この街に住んでいる人々は知らない。ほんの数日前に人知れずこの地が古代竜に脅かされていたことも、この地であれほど恐れられているスヴァルトの協力によって、無事に平和が守られたことも。
「……ひとつ疑問がある」
 寝起き眼をこすりつつ、アローはリリエへと尋ねた。
「何でしょうか?」
「僕は今、魔力が使えないからはっきりとは見えないが……それでもさっきから、この竜鋼がわずかだが発光している。君に対してだ。君がスヴァルトの血を引いているからかと思ったが、そうじゃない。それなら正真正銘のスヴァルトであるリューゲにはもっと強い反応をするはずだからだ」
 リリエは少しだけ考えた後、ふふっ、とどこか困ったような顔で微笑む。
「私が呪われているからかもしれませんね」
「えっ、呪い?」
 ヒルダが慌てるのを、アローは手で制した。それが敵対する何かや常闇竜の死によってもたらされたなら、彼女は今日一日こんなにはしゃいだりはしなかっただろう。
「私を呪ったのは、お父様です」
「ステルベンが?」
 これはアローにとっても意外な答えで、思わずヒルダと一緒に顔を見合わせる。
「誤解なさらないでください。これはお父様にとっても苦渋の決断だったのだと思います。だから私は、お父様に報いるために、これからの人生を精いっぱい『人間』として生きます」
「えっ? どういうこと?」
 困惑するヒルダに、リリエは目を閉じ、祈るように手を握った。
「私が人と同じように老いて若くして死ぬように。私に子孫ができても、未来永劫、お父様が冥府の故郷に導かれるまで、一族ずっと呪われます。お父様にこれ以上そんなことをさせるわけにはいきませんから、私は子孫を望むことはありませんけれど」
 つまり、それはステルベンがリリエが人間と同じ時を歩めるように、わざとそういう呪いを娘にかけたということだ。それが娘との別離を意味することを知りながら。それでも、子孫が生まれてもずっと見守り続けると。
 娘の命を削ることが彼女を幸福にし、守ることだった。
「私はもう、孤独に暮らす必要はない。お父様がそうしてくれたから。人と共に老いて死ねば、私がスヴァルトの血を引くことを探る人もいなくなるでしょう」
「そうか……」
 アールヴの末裔が治めるこの王国で、スヴァルトの血を引くリリエを隠していたことは、辺境伯にとって危険なことだったはずだ。
 しかし、彼女はひとまず見た目は普通の少女であるし、独りだけで何かをする力はない。普通に年老いていけば、誰も疑いはしないだろう。出自などはいくらでもごまかせる。
(ハインツが彼女のことをどこまで把握していたかはわからないけど、彼ならきっとリリエを殺すようなことはしないだろう)
 明らかな危険がない以上、ハインツは『できる限り手持ちの駒を増やす』という戦法をとるだろう。教会にも王宮にも、彼は忠誠を誓ってなどいないからだ。
 だからリリエのことも『何かに使えるかもしれない』として、せいぜい動向を監視する程度にするのではないだろうか。
「アローさんは……何かおわかりになられましたか?」
「ん?」
「私の考える愛を証明することに、意味があったのでしょう?」
「あー、……それ、か」
 その場のイキオイ半分で言ったことだ。まさかリリエが覚えているとは思わなかった。
 もちろん、何も意味がなかったわけではない。アローにとっては、少なくともそれなりに重要な事柄ではある。
「君ほどではないけれど、僕も多少生まれが複雑なんだ。僕には親の愛というものがわからない。母は僕を生んで死んだ。父は知らない。僕は師匠に拾われるまで一人だった」
 さすがに墓場で育ったとはいわなかった。言っても混乱させるだけだ。
「……正直に言えば、僕にはステルベンと君の母の間にどんな感情があったのか、君どうしてがあんな態度をとられてもステルベンを信じつづけたのか、想像はできても共感はできなかった。僕にはそういう肉親の愛は縁がない。ミステルに対する家族の愛情が正しいのかも、よくわかってない」
『お兄様は、いつだってちゃんと私を想ってくださっていますよ』
 瓶から小さく声が聞こえてきたので、アローはそっと撫でてやった。
 ミステルがアローに慕ってくれるのは、アローが結果的に孤独だった彼女を救ったからだ。だけどアローはただ寂しくて彼女の手を取った。
 初めてできた王都での友達を失って(後にそれはヒルダだったとわかったわけだが)、初めて知った師匠以外から受け取った好意を忘れられなくて、手を伸ばした先にいたのがミステルだった。
「僕はやっぱり、あまりいい兄じゃなかったと思う」
『そんなことは――』
 ペチン。
 軽く頭をはたかれて、顔を上げる。ヒルダが呆れた顔で、アローの頭をペチペチと叩きまくっていた。
「な、何をするんだ。やめろ、はげる」
「はげないわよ、こんなことで。もう、妹の姿が見えなくなっただけで泣きじゃくっていたのはどこの誰だったかしら?」
「い、今は忘れてくれ!?
『あの、聞き捨てならないんですけど、ヒルダ、どういうことですかそれは!?
「き、聞くなミステル!」
 効果はあるかはわからないが、瓶を袋の中に押し込んだ。かすかに「おにいさまー」と聞こえるが今は悪いが無視させてもらう。
 ヒルダはペチペチ叩いてた手を止め、そのかわりにくしゃくしゃと髪を撫でまわした。
「アローは割とまっすぐに育ってると思うわ。まぁ、ちょーっと斜め上だけど。いきなりよくわからないところで、愛とかモテとか言いだすし」
「僕の中では筋が通っていたんだ……」
「どんな? 会話の流れ無視してたようにしか思えなかったけど」
 まさかそこまで突っ込まれるとは思わず、アローは理路整然と説明できるいいわけを考えようとした。考えようとしたが、急に思いつくはずもなく。
 だから、正直に告白をする。
「その…………母親を、知りたかったんだ」
「んん? また前後繋がってないけど?」
「僕は死霊が見える。子供のころから、人間よりも死霊の方が近いくらいだった。だけど……僕は母親の霊もみたことがなければ、声も聴いたことがない」
 そこまで言うと、ヒルダはさすがにわかったようだ。アローが墓場で生まれて育ったことを知らないリリエはまだきょとんとしているが。
「アロー、お母さんに会ってみたいの?」
「そ、そうではなくて……その、僕はこういう『体質』だから、その……」
 ただ、母が何を思って自分を産もうとしたのか、何故身重の体を引きずってまで旅をしていたのか。それが愛と呼べるものだったのか、知りたかった。
 もっと素直に、要点だけを言えば、愛されていたのか知りたかった。
「アローさ、死霊に『命令』したら従えられるのよね」
 ヒルダが急に話を変えたので、アローは少々面食らいながら、それでもうなずいた。
「うん? まぁ、そうだが」
「自力で『命令』したわけじゃないのに、アローが赤ちゃんの時に、それと気絶した時に死霊を無意識に従えるのって、本当にアローのやっていることなの」
「え…………?」
 死霊が周りにいるのはあまりにも当たり前のことで、アローはその可能性を考えたことはなかった。師匠は「お前は無意識でも死霊を操る」と言ったので、それは当然のように自分自身で行っているものだと考えていたからだ。
 だけど、制御の仕方もわからなかった赤子の頃。墓場で死霊に育てられていた間、暴走もせずに粛々と死霊たちがアローの世話をしていたのは何故か。
「あくまで私の推測だけどね。アローのお母さん、死霊にアローを託したんじゃないかな、って」
 そこにいるだけで、死霊を見て、冥府への入り口を開き、眠れる死者を揺り動かす。
 師匠が言うところの『造られた天災』であるアローは、いつ人間に危険視されて殺されてもおかしくなかった。村人に拾われていたら、その能力ゆえに忌み子として殺されたかもしれない。
 だから、アローの母は自分にできる最善として魂を賭して、アローを死霊に託した。
 もちろん、本当かどうかはわからない。ヒルダが思いつきで言っているだけだ。アローがそれを都合よく解釈しただけだ。わからない。わからないけれど。
「そう……だったらいいな」
 何だか目頭が熱くなってきて、馬車の窓へと目をそらす。暮れなずむ中、人々がゆっくりと家に戻っていく。聖霊灯に光霊を宿らせる「灯り屋」が、長い棒の先で街路を照らす仕掛けを動かす。
 守られた日常が、巡っていく。
 その様子を見て、リリエはフフッ、と軽く笑みを漏らした。
「愛は絶対のものではありません。貴族だって家のために望まぬ結婚をしますし、庶民にだってきっと思い通りに人を愛して愛されるのかなんてわからない。でも……愛した人がいて、愛された人がいるから人は生きていけるんです」
 何も存在しないのなら、誰も求めたりはしないから。
 空っぽのままの心では、誰も生きていくことはできないから。
 種族の壁を越えて生まれてきた娘は微笑む。
「そこに愛は、あるんです。そうでしょう? アローさん」
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