第21話 チーム・ユカリ

文字数 3,189文字

 八万四千人の「善念」を集めるイベントを、ユカリさんは『平和への祈りーPrayer of Peace』と名付けた。
 東京で三日間、続いて京都で三日間。更にイベントは広島へ、そして長崎へとその舞台を移す。東京での初日まではたったの三日間。カウントダウンはすでに始まっていた。

 宗教団体のボランティアを除いて参加者は全て一般公募になるが、感染症対策や熱中症に配慮してエントリーは完全予約制にした。一日十二時間を十五分ずつに区切り、インターネットで予約するためのプログラムは、既製のソフトを使って成美がたった一晩で書き上げた。
 外が明るくなり始めた頃に全員のスマホでテストを開始すると、ちょうどそこにミウが降りてきた。疲労を心配した母は彼女だけを二階で休ませていたが、ぼくのスマホを覗き込むなりミウはすぐにバグを見つけ、それを受けて成美はプログラムを修正した。

 シリアルで素早く朝食を済ませたぼくたちは、朝九時になると一斉に動き出した。成美は一睡もしていなかったし、ミウ以外誰も横になってはいなかったが、みんな欠伸ひとつしない。ぼくはミウと自分を含むこの六人を、心の中で勝手にチーム・ユカリと名付けた。

 ユカリさんはすでに関係者に根回ししていたらしく、増上寺の開催はすぐに決定した。母は東寺の関係者に連絡を取り、具体的な交渉のためにまっすぐ京都に向かった。広島と長崎は、両市の市長と面識のあるユカリさんがアポを取り、成美と海が代理としてそれぞれ現地に向かった。海は羽田から空路で九州を目指したが、広島市長との面談が夕方になった成美は陸路で移動を開始した。彼女は「新幹線で仮眠が取れる」と少し嬉しそうだった。
 
 ぼくとミウはユカリさんと一緒に彼女の事務所に向かった。途中、ユカリさんはハイヤーの車内から、『宗教時報』——そういう専門の新聞があることをぼくは初めて知った——の広報部に電話して、宗教界全体にこのイベントを知らせるように依頼していた。そんなに早くアナウンスしてしまって大丈夫なのか? とぼくは不安に思ったが、「情報は先手を打つのが何より大切」とユカリさんは言う。
 ユカリさんの話によると、九つのうち二つの宗教団体はボランティアを辞退したらしいが、時間的に間に合わないという至極真っ当な理由で、イベントの主旨には賛同してくれたそうだ。むしろこんな短い期間で準備が整うと回答してきた七つの団体のほうがぼくには驚きだったが、ユカリさんの話だと、それら七つの宗教団体は、例えば大きな震災などの被害があった直後、ボランティアを集めて現地にスタッフを派遣するまでに三日もかからないらしい。
 
 途中コンビニで弁当やサンドイッチを買って事務所に着いたのは正午を二十分も過ぎた頃。午後一時から七つの宗教団体の代表者達との会議が予定されていたため、『ユカリ・プランニング』の二人の社員はレンタル会議室に直行していて、事務所には誰もいなかった。
 ユカリさんはサンドイッチを摘まみながら手際よく電話やファックスなどの設備をぼくたちに説明し、鍵を預けて事務所を出て行った。会議室は歩いて五分くらいの場所だと言うが、時計を見ると会議の僅か八分前。口癖のように「私の働きは一分一万円」と言っていたユカリさんは本当に分単位で動いている。

 伝言がセットされた電話には急ぎでない限り出なくて良い、とぼくたちは言われていた。事務所の留守番をしながらしばらくぶりに静かな時を過ごした。ミウと一緒にコンビニ弁当を平らげ、ソファに腰掛けていたら一気に眠気が襲ってきて、二人で肩を寄せ合って微睡みはじめた。すると、手を繋いでいるわけでもないのに、肩越しにミウの思考が流れ込んできたのだろうか? ぼくは不思議な夢を見た。
 ぼくはミウと手を繋いで公園のような場所を散歩していた。頭上には青空が広がっていたが、それは全て人工物で一部では解体作業が進められていた。
「ここが月の裏側?」とぼくが質問すると、夢の中のミウは成美と同じようなしっかりした口調で「私も初めて来たの。でも、ここにはもう誰もいられなくなってしまう」と答えた。その哀しそうな横顔を見つめていたら、ミウの潤んだ瞳から涙が零れ落ちて頬を濡らした。

 突然、堰を切ったように電話が鳴り始めた。宗教新聞のホームページにニュースが掲載されたタイミングだったらしく、各地の神社、教会、寺院や、様々な宗派に所属する団体や関係者が協力を申し出てきた。
 会議から戻ったユカリさんは、伝言メッセージやぼくが書いたメモを手際よく確認すると、一斉にメールを送信した。ユカリさんのメール宛には政治団体や銀行や企業からの申し出もあったようだが、一件一件丁重にお断りしていた。

 成美が一夜漬けで作ったエントリー用プログラムは、依頼したシステム会社の担当エンジニアから「申し分ない」というお墨付きを頂き、予定を二時間前倒しして午後三時から一般公開された。その情報がSNSやネットニュースで拡散されると、その日のうちに東京での三日間の枠は全て埋まり、それ以降の予約も翌日には一杯になった。

 母は診察を他の医師に任せ、開催の準備が整うまで京都に滞在していた。そんなわけで、帰ってきた成美と海も加わったチーム・ユカリ・マイナス・ワンの五人は開催前日の増上寺を訪れた。
 宗教団体の関係者だろうか? 現場ではスーツ姿の男女が忙しそうに動き回っている。普通のビジネスマンやビジネスウーマンにしか見えない彼らの姿に、白装束や奇妙な色の衣装を纏った怪しい人々を想像していたぼくは正直少しガッカリした。
 電源車や中継車が遠巻きに取り囲む境内の中央には大きなテントが設えられていたが、テント下のステージから緩やかなスロープが四方に向かって伸びていて、設営スタッフらしい作業着姿の人たちが電動工具片手に手すりを取り付けている。
「皆さん、おつかれさまです。暑いから熱中症にならないよう、休憩をまめにとって水分補給してくださいね」と声を掛けるユカリさんに、代表らしい一人が「ありがとうございます!」と返答すると、全員が一斉に頭を下げた。なんだか女組長みたいだ。
「ここで働いている設営の人たちも皆さん無料奉仕なのよ」とユカリさんはぼくたちに説明した。
「ステージに向かう通路は四つともけっこう広いんですね」とぼくは一つ目の疑問を投げかけた。
「中央に手すりがあるでしょ? その右側を上っていって、終わったら反対側を降りてくる。そうすると出口で渋滞することもなくなるでしょ?」
「なるほど」と頷きながら、もう一つ気になっていたことを尋ねてみた。「ところで、中央の通路だけがすごく長いのは何故ですか?」
「車椅子の人が負担無く上れるように傾斜を緩やかにすると、このくらいの長さになるの」というユカリさんの説明に、宗教団体のお偉いさん専用の通路を想像したぼくの先入観は脆くも崩れ去った。

 テント下のステージ中央には人々の善念を集めるリングを備え付けるための台座が置かれていた。黒く光るそれは、ずっと以前からそこに常設されているような重みを感じさせる。
「カーボン地のシートを貼って貰ったから、とてもコンパネには見えないでしょ?」
「それにしても……」とぼくの口から溜息が漏れた。「たった二日でよくこんなものが作れましたね」
「映画の美術スタッフに頼んだのよ」とユカリさんは笑う。「これと同じものを他に三つ、今それぞれの会場に輸送中」
 台座の上には透明なケースが載っていて、その周囲からステーが四方に伸びている。ステーの先端の取付部分にはフェルトのような柔らかい布が貼られ、そこに冠のようにリングを載せて固定する構造になっている。リングの中央真下に位置するアクリル製ケースを眺めながら、「ここにアンデスの石を収める訳ね」と海は満足そうに笑った。
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