第18話 イベントプランナー

文字数 2,400文字

 一万年にも及ぶ月の民の歴史。宇宙を司るロードの存在。それを遥かに超えるオーヴァーロードの慈悲。
 子供の頃から学んできた歴史や科学や思想と比べたら、あまりのスケールの違いに唖然とするばかりで、自分たちの存在が虚しく思えてくる。それでもオーヴァーロードは、そんな人類に普遍的な『真理』に到達する『智慧』の片鱗を見出したというのだから、ここはそのお慈悲に縋るしかない。

 何か言わなくちゃと思ったぼくは判りきったことを口にした。
「八万四千人の善念を集めたら、このリングをトートバッグに入れて、ミウは三年前の長崎を目指すわけだよね?」
 よほど疲れたのかミウはソファで首を項垂れている。ぼくはため息をつくように続けた。
「ミウはもうここには戻って来れないんだね」
 誰も返事をしない。感傷的になっているのはどうやらぼくだけのようだった。

 二度目に沈黙を破ったのは成美だ。
「そのミッションが人類に託されたことは理解したけど、八万四千人ってそんなに大勢の善人をいったいどうやって集めるの?」と難しい顔をする。「そもそも、善人を見分ける方法もわからないし、そんなに沢山の善人がその辺にいるとも思えない」
「でもそれは可能な筈なんだ。だってぼくが……」
「三年前にリングを手にしたときは、もう集められてたって訳ね?」とぼくの言葉を遮って成美はミウに視線を移す。「でもそのためのプロセスは? 私たちがどうやって善念を集めるのか、具体的な指示はない訳でしょ?」
 ミウは何も答えない。ミウにも答えようがないのだろう。
「自分たちで考えろってことか」と姉は苦笑いしながら天井を見上げた。「オーヴァーロードさんもずいぶん無茶振りするなぁ」
 ミウはそんなぼくたちの様子を見て少し困惑していた。

 しばらく沈黙が続いた後、徐ろに母が話し始めた。
「善念を集めるために、善人を集める必要はないんじゃない? 人ってみんな善い心と悪い心を併せ持ってるでしょ。その善い心だけを集めたら良いんじゃないかしら」
「お母さん大正解!」と海は膝を叩いた。「きっとこのミッション、人類って言うより私たちに託されてるのよ。私もアンデスの高地から大きく関わってるわけだし」
「なるほど」と成美も笑顔を見せた。「私たちが人類の代表として選ばれたと考えたら、いろいろ智慧も絞り出せそう」
「三人寄れば文殊の知恵だしね」と漏らすと、姉はぼくの顔を見て自慢げに言った。
「私たち三人のIQを足したら、文殊菩薩どころか仏陀を超えると思うけどね」
「そんな偉そうなこと言って」と母が窘める。「四人で知恵を出し合いましょう」

 しばらくの間、ぼくたちは集中してそれぞれがアイディアを考えることにした。ぼくには何も浮かばなかったが、母だけが何か思いついたようだ。
「宙、リングを手に持ってみて」
 ぼくは立ち上がって恐る恐るリングを手に取る。
「成美さんと海も立ってくれる?」
 二人も立ち上がってぼくと並んだ。
「リングを水平にして。三人で握ってみて」
 ぼくたちは三方からリングを囲んだ。
「もう一人、そこに入れる?」と母は言う。
 少し横にずれてスペースを空けようとしたら、ぼくと成美の肩と肩がぶつかった。
「やっぱり三人がベストね」と母は頷きながら続ける。「三人とも目を瞑って、ゆっくり深呼吸しながら世界や人類、地球や宇宙の平和を祈ってみて」
 目を閉じると様々なことが脳裏を過った。
「ハイ、集中して」と言うと母はパンッと手を叩いた。
 息を整え、ぼくは世界や宇宙の平和をひたすら祈った。きっと姉と成美も同じだったはずだ。
 もう一度手を叩く音で、ぼくたちは集中を解いた。
「リラックスして良いわ」と言われ、目を開けると母は時計を見ていた。「今ので五秒」
 もっと長い時間が経過したように感じたので、たった五秒と聞いて少し驚いた。

「ミウちゃん……月の世界の使者をちゃん付けで呼んじゃ失礼ね」
 母は一人ソファに座って様子を眺めていたミウに呼びかけた。
「ミウさん、あなたがこのリングに触れたら、そこに集められた善念はわかるものなの?」
 深く頷くと、ミウは立ち上がってテーブルに置いたリングに触れた。
「3ニン」
「今の様子を見ていたから、ミウは三人って判るけど……」とぼくは異論を挟んだ。すると母はリングに触れて、しばらく目を閉じて真剣に祈っていた。
「ミウさん、これで何人?」と、リングから手を離して母が問いかけた。
 ミウはリングに触れながら「3ニン」と答えた。
「え?」とぼくが漏らすと、母は満足げに説明した。
「私は祈ってたんじゃなくて、心の中で愚痴をこぼしてたの」
「宙、母に一本取られたね」と姉は笑った。「じゃ、お母さんの善念を加えたら、あと八万三千九百九十六人でコンプリートね」
「まだまだ途方もない人数だけど……」とぼくは漏らしたが、みんな真剣に計算し始めていた。
 母が口を開いた。
「三人を一グループにして、次のグループとの交代に十秒かかるとすると一分で十二人。一時間で七百二十人。百十七時間あれば八万四千人になるわ」
「なるほど」と成美は頷いた。「現実的に、もし一日八時間なら十五日かかるけど、一日十二時間なら十日でコンプリートできますね」
「さすがイベントプランナーの娘だね」と感心していると、姉はぼくの背中を叩いた。
「イベントプランナー!? 暢気に感心している時間はないわ。長崎に原爆投下された日まであと何日?」
「十六日、いや十五日かな」とぼくは答えた。
「成美ちゃんのお母さん、今どこにいるんだっけ?」と姉は早口で尋ねる。
「福岡のイベントが終わって今夜帰る予定」
「頼める? この一大イベントの企画」と姉は言う。
「忙しい人だから無理だよ」とぼくが代わりに答えたら、成美は予想外の答えを用意していた。
「こんな一世一代の大仕事、断るイベントプランナーはいないでしょ? さっきショートメール送ったから、もうすぐ連絡があるはず」
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