第15話 ムーンチャイルド

文字数 2,871文字

 ミウが来て八日目の金曜日。その日は母の診療日だったし、姉も朝から出かけていたから、家にはミウとぼくの二人だけだった。

 ミウがテレビで自習を始めたので、ぼくは暗室に籠もって丹沢で撮ったUFOの写真を大きく引き伸ばしてみた。でも、露光時間が長すぎたせいかはっきりしない。今どきのデジタル一眼なら長時間シャッターを切っても手振れ防止機能でクッキリした画像が得られるが、銀塩写真のカメラは三脚でも使わない限り手振れはなかなか防げない。ぼくは三脚なしで息を止めてブレのない写真を撮る技にある程度の自信を持っていたけれど、どんなにカメラを固定しても被写体自体が動いていたらブレてしまう。
 UFOはずっと振動しながら宙に浮いているのではないか? とぼくは想像してみた。もしかすると目にもとまらないほどの速さで回転しているのではないか? そんなふうに想像しながら、ミウに聞けばすぐ判ることに気づいた。

 長崎と丹沢のUFOの写真を持って、ぼくがミウのいるリビングに入ろうとしたとき、ちょうど羽山さんが訪ねてきた。姉に遠慮してハナは家に置いてきたようだったが、手に持っている箱から美味しそうな香りが漂っている。
「はい、これ差し入れ。いつものヤツだけど」
「ありがとう」と、ぼくは写真を小脇に挟んで手作りのアップルパイの箱を受け取った。
「ミウは?」
「今、リビングで学習中」とぼくが言うと、羽山さんはぼくが持っている写真に気づいた。
「それ、UFOの写真? いよいよ核心に迫る質問をするわけね?」
「いや、そこまでの理由じゃないんだけど……」とぼくは言い淀んだ。

 母と姉の分は冷蔵庫に入れて、三人で紅茶とアップルパイを頂いた。
 最初は柔らかい物しか食べられなかったミウも、この世界に少しずつ慣れてきたようで、サクッとパイ生地を噛み砕いて「オイシイ」と微笑んだ。

 他愛のない談笑の後、UFOの写真をテーブルの上から床のカーペットに移し、ぼくたちはミウを真ん中にして写真の前に座った。
 母も姉も不在の日に、こんなことを進めてしまって良かったのだろうか? と少し不安になりながら、ぼくたちはミウと手を繋いだ。羽山さんは空いている手をぼくの方に伸ばし、ちょうど写真を中心に円を描くように三人で輪を作る。まるで何かの宗教儀式みたいだ。
 羽山さん——これからは彼女が望むように名前で呼ぼう——成美はミウに問いかけた。
「ミウ、あなたはこれに乗ってきたの?」
「ノッテキタ? ……トイウヨリ スンデイタ」
 ミウは意識の中で、家のようなものをぼくたちに伝達した。
「マザーシップ ハ イエデモアリ フネデモアル デモ ワタシニトッテ オカアサンデモアルノ」
 マザーシップは通常の意味の『母船』ではなく、内部に大きな人工子宮を備えた文字通り

を意味していた。
 ミウの世界では、新たな命を授かると、受精後三か月になる頃に一人に一台のマザーシップが提供される。母胎から移された胎児は人工子宮の中で成長し、適度な運動やある程度の教育も受けながら、平均して二百五十月めに子宮の外に出るという。
「そうか! あのときミウを包んでいたゼリー状の物体は羊水だったんだね?」
 ミウは頷いた。
「じゃ、まだミウは生まれたばかりの赤ちゃんっていうこと?」と尋ねるとミウは頭を振った。
「アカチャンジャナイ オトナ」
 人工子宮から生まれ出ることが成人を意味するらしい。その後、母船は食と住を与える家となり、移動手段も兼ねて一生を共にする。その様子をミウは握った手からイメージで伝えてくれた。
「妊娠から……」と言ってから成美は言い直した「受精から二百五十ヶ月ってことは、私たちにすると十八か十九ってことね? 月が時間の単位なの?」
「ツキガ チキュウヲ マワル シュウキガ ヒョウジュンジカンノ タンイ」
「月が重要なのね」と言うと、成美は核心に触れた。「ミウ、あなたはどこから来たの?」
「キョリデ ハカレナイホド トオイトコロ」
「でも、月の公転周期を時間の単位にしていたのは何か理由があるんでしょ?」
「ワタシタチノ センゾハ ツキノタミ」
「月の民?」
「820ゲツマエ マデハ ツキニイタ ムーンワールドニ」
「月に住んでいたってこと?」
 ミウから送られたイメージは高度な文明を持った都市国家だった。それは見たこともないほど洗練されていたが、そんなものが月にあったなんて……。でもこの話、どこかで聞いたことがある。
「前に渡部さんが……」と言いかけたぼくの言葉は、計算で頭がいっぱいの成美には届かないらしい。
「八百二十ヶ月前ってことは六十八年前……違う。月が中心なら、公転周期は二十七日と七時間だから六十一年前。二十世紀半ばくらいのことね。人類はどうして見つけられなかったのかな?」と成美は不思議がる。
「月の裏側?」とぼくはヒントを出した。もしそうなら渡部さんが話してくれた少年時代の体験と一致する。確かスプートニク打ち上げの翌年って渡部さんは言っていた。
「ソウ チキュウカラミルト ツキノウラガワ」
「やっぱりあの話は本当だったんだ」とぼくは呟いた。
「その月の国はいつ頃からあったの?」と成美は質問を続ける。
「ズットムカシ ムーンピープルガ チキュカラ イジュウシタコロ チキュウノタンイ デ カゾエルト 1マンネンマエ?」
「一万年も前から月の裏側に移住した別の人類が住んでたということか。なかなか信じ難いけど……」と言うと成美は目を閉じた。「渡部さんの話、私も思い出した」
「日本では縄文時代だけど」ぼくは限られた知識を絞り出しながら言った。「キプロス島の人々がリビヤ山猫と暮らし始めたのと同じくらい昔のことだね」
「リビヤヤマネコ?」と言ったミウは、ぼくが手から伝えたイメージで理解したようだ。「ネコノセンゾネ チキュウニイル ネコタチハ ムーンワールドデ ウマレテ 6センネンマエ ココニ オクラレタ」
「イエネコは月から来たってこと? セーラームーンみたいに」
「セーラームーンならルナとアルテミスね」と成美は笑った。「それはそれで興味深い話だけど、一万年も栄えた月の国が、どうして二十世紀になくなってしまったの?」
「チキュウノ ヒトビトガ キョウイニ ナッタカラ」
「人間が原因か……」とぼくは漏らした。
「人間が月の裏側も旅できるようになったからね。とすると、今のムーンピープルは月以外の場所にいるわけね?」
「ソトノ セカイニ ウツリスンダ」
「外の世界?」
 ミウから送られたイメージは銀河系宇宙さえ超えた別次元の世界だった。
「今までの物理学の常識を超えた新しい宇宙の概念が必要みたいね」と成美は独り言のように言う。
「教育してもらうのはぼくたちの方か」とぼくはため息をついた。「月の民のミウは、当にセーラームーンかかぐや姫だね」
「ムーンワールドヲ ステテカラ ウマレタ コドモハ ツキノコドモ ムーンチルドレン ムーンチャイルド」
「それじゃミウは、ムーンチルドレンの一人なの?」とぼくは尋ねた。
「ハイ! ムーンチャイルド デス」
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