第9話 真夏の少女

文字数 2,534文字

 帰宅した翌日、ぼくは横浜の撮影会のお礼を伝えるために羽山さんに電話した。けれども携帯は留守電になっていて、送ったメールにもメッセージにも返信はなかった。

 長崎で撮影した写真を五十枚ほどキャビネサイズにプリントしてアルバムにしたぼくは、渡部さんにも一刻も早く報告を兼ねたお見舞いに行きたかったが、容態が悪化して面会できない状態が続いていた。

 帰宅して一週間経っても、警察からも検察からもマスコミからも何の連絡もなかった。不安な気持ちが落ち着きはじめた頃、「塾の集中講座が終わって少し時間が出来たから」と羽山さんからメッセージを受け取った。「撮影会の報告を伝えたいので都合の良い日時を知らせて欲しい」ということだったので、「いつでもOK」と返すと、早速その日の夕方に会うことになった。ぼくは長崎の写真を収めたアルバムをリュックに入れて、彼女の自宅近くのカフェに向かった。

 入り口で店内を見渡すと、奥の席で花柄のワンピースを着た女の子が手を挙げている。まるで映画やドラマに出てくる『真夏の少女』のようなイメージだったから、ぼくはそれが羽山さんだとすぐに気づかなかった。周りの目を気にしながらぼくは恐る恐る彼女のいる席に向かった。
「こんにちは」とぼくから声を掛けた。「いつもと全然違うから、羽山さんだってすぐにわからなかった」
「やっぱりちょっと変?」と羽山さんは恥ずかしそうに下を向いた。「なんか脚がスースーするし」
 思わずぼくがテーブルの下を覗き込むと、彼女は咄嗟に両手で脚を隠した。
「恥ずかしいから見ないで」
「ごめん」と言いながら、ほんとうはこっちの方が恥ずかしくなってドギマギしてしまう。ぼくはリュックをそこに置いて飲み物をオーダーするために席を立った。アイスコーヒーを待つ間にゆっくり深呼吸して息を整え、ぼくが席に戻ると彼女は撮影会の写真をテーブルに並べていた。スマホで撮ったスナップはすでに何枚か見ていたが、モノクロの印画紙に焼き付けられた風景や写真部の仲間達の姿は、なんだか自分の知らない遠い世界、遠い時代の人々のようにも見える。きっとぼくが撮影した猫たちも、人はそんな風に感じながら見てくれているのだろう。
「どうもありがとう。羽山さんに押しつけちゃってごめんね」
「ううん」と彼女は首を横に振ったあと、目を見開いてまっすぐぼくを見つめる。「撮影会は楽しかったからいいの。でも宙君がいたら、きっともっと楽しかったと思う」
 彼女に名前で呼ばれたのは生まれて初めてのことだったから、ぼくは何も言葉を返せないまま、ごくりと唾を飲み込んだ。そんな状況を察してか羽山さんは話題を変えた。
「長崎はどうだったの?」
 慌ただしくリュックの中からアルバムを取り出すと、彼女の前に大浦天主堂の向こうに浮かぶUFOの写真を開いて見せた。しばらく絶句していた羽山さんは、「すごい……」と溜息を漏らすように呟いた。

 何枚かUFOの写真を見せた後、ぼくは一足飛びにページを遡って猫の写真を彼女に見せた。勘の良い羽山さんはぼくの不自然な行動に疑問を抱いたらしい。突然ぼくの手からアルバムを取り上げた。
「あっ」と声を漏らしたぼくにお構いなしに、羽山さんはもう一度UFOの写真に戻って、その先のページをどんどん開いていった。そこには、お寺の境内の猫たち。猫たちが集う姿。そして……。
「この子は?」と羽山さんは写真に写るミウの姿を指さした。「長崎の子?」
「いや、ちがうみたい」ぼくはそれしか応えられなかったけれど、彼女は真正面から撮ったミウのバストショットにじっと見入っていた。
「すっごい美少女ね」と言うと、羽山さんは溜息を漏らした。「宙君を長崎に行かせなきゃ良かった」

 ぼくはそれから長い時間を費やして、ミウと出遭ってからの不思議な体験を羽山さんに説明した。
「なんだか信じ難い話だけど……、頭で考えた言い訳にしてはあまりにも荒唐無稽だし、平和祈念像の落雷の話はずっと気になってたの」
 ぼくの説明を聞いた羽山さんは、姉が持ち帰った石のリングをどうしてもその目で確かめたくなったらしい。彼女に促されるまま家に電話すると、母も姉も羽山成実さんの名前を覚えていて、二人は「大歓迎」だという。
 羽山さんは母一人娘一人の一人っ子だったが、お母さんはその業界ではかなり名の通ったイベント・プランナーでその日はちょうど札幌に出張中だった。そんな彼女を家に連れて行くと、学内でも飛び抜けた偏差値の優等生が、予想もしなかったほどの顔面偏差値の持ち主だったことに母と姉は大喜び。一人で夕飯を作る予定だったという羽山さんに、夕飯を食べていって貰うことになった。

 テレビの画面に長崎の平和公園や祈念像の画像を映しながら、アンデスの石のリングを囲んでUFOの話に花が咲く。例によって、姉は「UFOは未確認だからUFOなの。ミウがそれに乗って来たというのは宙が思い描いた単なる妄想に過ぎない」と言い切る。そこからなぜかぼくの妄想癖の話題に飛び火していった。三人で楽しく盛り上がるのは結構だけど、子供の頃の失敗談などネタにされたらこっちは堪ったもんじゃない。
 結局主役の筈のぼくはまったく話に乗れないまま、かしましい晩餐会は十時過ぎまで続き、母が車で羽山さんを自宅に送り届けることになった。

 二十分ほどで目的地に到着し、助手席から降りてハンドルを握る母に向かって丁寧に頭を下げる羽山さんを眺めながら、なぜかぼくはずっとミウのことを考えていた。

 翌朝、渡部さんからメールが届き、渡部さんが無事だったことにぼくは胸を撫で下ろした。メールには、できるだけ早く病院に来て欲しいと書かれていた。
 出かける準備を整えてぼくが階段を下りると、ちょうど母が羽山さんと電話で話していた。
「成実さんからお礼の電話貰ったの。宙も出るでしょ?」
 母に言われるままぼくは電話を代わった。彼女に渡部さんのことを話すと、ぼくと一緒に病院に行きたいという。初対面の女の子がいきなり面会に来たら渡部さんは迷惑じゃないか心配だったが、相談した母はとても医者とは思えないほど脳天気に肯定した。
「成実さんみたいに可愛い子が来たら、きっと渡部さんも元気になるんじゃない?」
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