第2話 銀塩写真

文字数 2,496文字

 UFOを目撃したその晩、ぼくは姉と一緒にテレビのニュース番組を片っ端から録画し、翌日の朝刊はスポーツ紙を含めて全て買って帰った。しかし、ニュース番組にも新聞にもUFOの情報はどこにも見つからず、姉はその時点で諦めた。
 諦めきれなかったぼくは、ネットニュースやブログを片っ端から検索してみたが、それでもやっぱりみつからなかった。

 そんなぼくも殆ど諦めかけた五日後、母がインターネット上にUFOの写真を載せている個人ブログを偶然見つけた。ぼくたちが目撃したのと全く同じ時間帯で、撮影場所は砧公園になっている。ぼくは早速コメント欄に書き込んで返信を待った。

 ブログの主は渡部晋(わたべしん)さんという七十歳のアマチュア・カメラマンだった。何度かメールでやりとりした後、ぼくは荻窪で一人暮らしするその老人を訪ねた。
 ツボミとハナという二匹の猫と暮らしていることが、ぼくが渡部さんを信用した理由。古いアパートの金属製のドアを開けると二匹の猫がぼくを歓迎してくれた。
「ハナがこんなに懐くのは初めてだよ。この子は警戒心が強くて、初めて会う人には絶対近づかないから」と言いながら、渡部さんは目尻を下げた。きっとそれで渡部さんもぼくを信用してくれたんだと思う。

 渡部さんは、何冊もの写真アルバムをテーブルに拡げた。
「錯覚や蜃気楼みたいなものも混じってるかもしれないが、間違いなくUFOだと確信した物には赤い付箋が貼ってある」
 その殆どは白黒で、自宅の押し入れに設えた暗室で現像したと言う。
「カラーで撮ったものは事故が多いんだ。なぜか他の写真と比べて圧倒的に」と言いながら、暗室の設備を見せてくれた。「ここならミスをしても自分の責任だし、注意深く作業しているから滅多にミスもない」

 渡部さんはポットで沸かしたお湯でインスタントコーヒーを入れてくれた。
「酒のつまみはあるけどお菓子は何もなくてね」と苦笑しながら柿の種を大きな皿の上に並べてくれた。ぼくが、ちょっと苦手なコーヒーをすすりながらアルバムのページをめくると、付箋の付いた写真の中にブログにアップされたUFOとよく似た形のものを見つけた。
「この形……」
「君が見たのもこれだね? ぼくは勝手にギャラクシー型って呼んでるけど、これが一番スタンダードなUFOだと思う。はっきり形が判るのはこのタイプが圧倒的に多いんだ」
「同じ日の同じ時間に、ぼくも何枚か撮ったんですけど……」と言ながら持って行ったデジカメの画像を渡部さんに見せた。「でもこの通り、何も写ってなかったんです」
「デジタルじゃダメだよ」と渡部さんは言う。
「やっぱりダメですか……」とぼくはため息をついた。

「煙草、吸ってもいいかな?」
 正直なところぼくは苦手だったが、そこは渡部さんの家だから断るのも失礼かと思って黙って頷いた。渡部さんは火を着けた煙草を一息大きく吸い込むと、イルカが水の中でやるように、ポッ、ポッ、ポッと白い煙のリングを作った。ハナはじっと興味深そうに見つめていたが、その隣でツボミは素知らぬ顔で毛繕いをしている。
「私も何度か試してみたけど、あれはアナログじゃないと捉えられないんだ」
「EMPですか?」
「EMP? 電磁波のことかな?」
「はい。たぶん」
「詳しいことはわからないけど……」渡部さんは膝に上がってきたハナを撫でながら言った。「とにかくちゃんと撮りたかったらアナログのカメラと『ぎんえん』のフイルムを使ったほうが良い。それでカメラが機械式シャッターなら理想的だ」
「ぎんえん?」とぼくは聞き慣れない言葉を繰り返した。『機械式シャッター』はネットで調べれば判りそうだけれど、『ぎんえん』はどんな字を書くのだろう?
「銀に塩と書いて銀塩。写真のフイルムやプリントの印画紙には、光を受けて化学反応で像を造り出す感光剤にハロゲン化銀が使われていて、それを銀塩と言うんだよ」
「へぇ。ずいぶん詳しいんですね」とぼくが感心すると、老人は照れ笑いを隠すようにハナの頭を掻いた。
「写真学校なら初歩で習うことだし、写真をやってる人なら誰でも知ってるよ」
 自分の無知がちょっと恥ずかしくなったぼくはハナを呼んだ。彼女は飼い主の膝を降り、ぼくに跳び乗ると膝の上ですぐに背中を丸めた。
「驚いたな。こんな光景は初めて見た」
 すっかりぼくに懐いたハナの姿に目を細めながら、渡部さんは立ち上がって戸棚の中からアルミ製のカメラバッグを取り出した。
「もし君がアナログのカメラを持っていなかったら、このカメラをしばらく使っててくれてもいいんだよ」
「ありがとうございます」と返事をしながら、ぼくは納戸にしまってある父のカメラを思い出していた。「家にも同じようなカメラがあります。確かニコン……だったかな」


 ぼくは家に帰ると、納戸にしまってあった父親のカメラと交換レンズ一式を引っ張り出した。ニコンF4という角張ったデザインの一眼レフは手に持つとズシリと重い。五本の交換レンズの中から広角と望遠それにズームの三本を選んだが、それだけでもジュラルミン製のカメラケースは肩に食い込むほどの重さだった。父はよくこんな重いものを持ち歩いていたものだ。

 自宅に帰って、途中のカメラ店で買ったクリーニングキットでカメラとレンズの手入れを始めたら、姉は恨めしそうに言った。
「そのカメラ、私が借りようかと思ってたのに……」
「去年の大掃除のとき、パパからこのカメラ使うか聞かれたとき、海はいらないって言ってたじゃない?」
 母に横からツッコミを入れられ、形勢不利になった姉は急に話題を変えた。
「UFOを見たのはお祖父ちゃんと、そのブログの老人? それに宙だけよね」
「そういうことになるのかな」
「UFOって十代の子供と老人にしか見えないんじゃない?」
「じゃ、海はどうなんだよ」
「また呼び捨てした」
「五月にハワイ行った時は『海って呼べ』って言ってたじゃないか」
「ハワイはハワイ。ここは日本」
「わかったよ。姉さんは? 姉さんだって見ただろう?」
「私はもう大人だからきっと見えないよ」と姉は得意そうに笑った。「あの時はまだ十代だったからほんの少しだけ見えたけどね」

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