第8話 賢者のリング

文字数 2,452文字

 夜遅く自宅に戻ると、母が玄関で出迎えてくれた。
「長崎の落雷のこと、今朝のテレビで報道されてたわよ」
 母は着替えが入ったスーツケースを運んでくれた。
「ご飯は食べてきたんでしょ? すぐお風呂にする?」
「いや、すぐに現像したいんだ。風呂はその後でいいよ」
「私も早く見てみたいわ」と母は目を輝かせている。UFOのことは信じてくれたみたいだ。
「それじゃ、プリントする前にネガからリビングのテレビに映そうか?」
「パパがよく使ってるフィルムスキャナーね? 現像ってどのくらいかかるの?」
「二十分くらいだけど……乾燥が必要だから、明日の朝のほうが良いかな?」
「明日までお預けね。海も一緒に見るかしら?」
「姉さん、ペルーから帰ったの?」
「お昼過ぎに帰ってきたんだけど、よっぽど疲れたのね。ずっと爆睡してる」
「そうなんだ。姉さんにはいろいろツッコまれそうだな」
「あら、そう? 海も楽しみにしてるのよ。宙の写真」
「へぇ? そうなの?」 

 翌朝、母と二人でスキャナーをテレビに繋いだ。
「海も起こしてくる?」
「無理に起こさなくても良いよ。今日のうちにプリントも焼くし」
「そうね。宙もお腹空いたでしょ?」
「うん。でも先ずはこれを見てみたい」
 ぼくは大浦天主堂の背後に浮かぶUFOの姿を65インチの画面に映し出した。大画面で見ると、その瞬間の張り詰めた空気感まで再現されたような気迫が感じられる。
「すごいじゃない」と一言漏らしたあと、母も口を半開きにしてしばらく画面を見つめていた。

 母と二人、朝食のテーブルを囲んで話し始めた。万が一、警察から事情聴取を受けたときのために情報共有しておかないといけないから。
「あの日のこと……どこから話したら良いのかな」
「平和公園に行ったのは、UFOに出遭った後なんでしょ?」
「実は不思議な女の子に会ったんだ」
「公園で警報を鳴らしたっていう行方不明の子?」
 ぼくは頷いた。
「ミウって名前。初めて会ったとき、お寺の境内で猫と集会してた」
「猫と集会?」と母は笑った。「ミウなんて子猫の鳴き声みたいね」
「着てた服が何年も前の海みたいだったから、最初姉さんかと思ったんだよ」
 母が身を乗り出した。
「へぇ? それで、その子は可愛いかった?」
「海よりずっとずっと可愛い。比べものにならないくらい」
 そのとき、いきなり誰かがぼくの両耳を後ろから強く抓った。
「痛ててて……」
 こんなことをするのは姉しかいない。
「私よりずっと可愛いって?」
「なんだ、起きてたのか」振り返って見上げた姉は真っ黒に日焼けしていた。「山姥みたいだな」
 姉は今度はぼくの頬を抓った。
「日焼けのこと、海は気にしてるから言わないであげて」と母は優しい。
「でも、こんなことする前にふつうは挨拶くらいするもんだろう?」
「ただいま。いや、お帰り。どっちかな」
「宙もちゃんと挨拶」と母に促された。
「おはよう。おかえり。ただいま」
「まぁ、海も座って。朝ご飯食べるでしょ?」

 朝食を終え、姉にUFOの写真を見せた後、ぼくは長崎で経験したことを全て二人に伝えた。実のところ母は半信半疑だったが、意外にも姉は信じてくれたみたいだ。
「ちょっと待ってて。今、面白い物を持ってくる」
 階段を下りてきた海は、肩に帆布製のトートバッグを下げていた。
「ミウが持ってたの、そのバッグだよ!」と思わずぼくは叫んだ。
「これ、先月私が京都で買ったものよ? ちょっとオシャレな女の子なら持っててもおかしくないけど……」
 姉はトートバッグの中から丸い輪の形をした石のような物体を取り出した。それはちょうどあの金属製のリングの周りを石でコーティングしたようなドーナツ形をしている。
「それ、さっき話したリングとちょうど同じくらいの大きさだ」
「すごく軽いのよ。成分は軽石の一種なんだけど、表面が結晶化しててすごく硬いの」
 姉が叩くと鈍い金属のような音がした。
「姉さん、これをどこで?」
「ペルーから持って帰った。アンデスの高地で賢者って呼ばれていたインディオから『持って行きなさい』って言われたの」
「これは……いったいなんなの?」
「直訳すると『知恵の輪』かな。でも違う意味になっちゃうから、ファンタジーっぽく言うなら……賢者のリング?」

 姉はぼくに持たせてくれた。表面はどう見ても石だし、大きさは一回り大きいが、目を閉じて両手で握るとあの感覚が蘇ってくる。
「やっぱりこれだ。間違いない」
「なんか、さっき話を聞いてそうかなって思った」
「間違いなくこの中にある」
 ぼくは表面を叩いてみたが簡単には壊れそうもない。
「姉さん、この周りの石、壊せない?」
「何言ってるの? 貴重な研究資料なのよ」
「でも、この中に金属のリングがあるはずなんだ……」
 そのとき母が疑問を挟んだ。
「もし、それが宙の言う消えたリングだとしたら、雷に打たれて長崎からアンデスまで飛んでいったの? まるで、弘法大師が唐から三鈷杵って仏具を投げたら高野山まで飛んで行ったって話みたいね」
「お母さんやめてよ、そんな神話みたいな話……」と姉は頭を振った。「リングの表面を年代測定したら三千年も前の物だったのよ」
「それじゃ、別の物か……」姉の説明でぼくは諦めた。「同じようなものが他にもどこかにあるのかな?」
「こんな不思議な物、今までの記録にはないと思うけど」
「ところで姉さんは、その賢者になんて言われたの?」
「それ、大事ね」と姉は真顔になった。「賢者は、私の顔をじーっと見つめながら『あなたのことをずっと待っていた』って。『それほど遠くない未来、あなたの家を使者が訪ねてくる。その使者に託すまでこれはあなたが預かっていなさい』ってはっきりそう言われた。だから、主任教授も正式な研究資料のリストから外してくれたんだ」
「あなたの家って、ここのことだよね? それほど遠くない未来って、どのくらいの未来なんだろう? それが今日ってことはないのかな?」
「宙が使者だって言うの?」と言うと姉は笑った。「宙は訪ねてきたんじゃなくて帰ってきたんじゃない」

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