第24話 バック・トゥー・ザ・パスト

文字数 2,748文字

  翌朝、ぼくたちが朝食を終えた頃にはユカリ・プランニングの三人がホテルに顔を出し、ミウと母以外のメンバーがロビーに揃った。すると間もなく、ぼくたちより先に食事を終えていた母がミウを連れてロビーに現れた。
「オハヨウゴザイマス」
 先に集まっていた全員に向かって、さらりとしたショートボブの髪を揺らせながら会釈するミウの姿にぼくの目は釘付けになった。オレンジ色のTシャツから伸びる細い腕。肩に掛けたトートバッグ。ウォッシュアウトしたジーンズのミニスカートから覗くすらっとした白い脚。そしてブルーのスニーカー。それは、あの日あの時と全く変わらない。
 咄嗟に駆け寄ってぼくはミウの手を握った。
(今日? もう行ってしまうの?)
 ミウは深く頷いた。
(もし判ってたら、昨日はずっと一緒にいたかった)
(ゴメンネ デモ コレガ ワタシノ ミッション)
(そうだったね)
(マザーシップ オオウラテンボウコウエンニ ムカエニクル ソラ ミオクッテクレルヨネ?)
「もちろん」と握った手を強くシェイクしながらぼくは応えたが、笑顔を見せた途端に涙がこぼれ落ちそうになり、左手で慌てて目尻を押さえた。

 ぼくたち二人を除く全員は祈念式典への参列と石の贈呈式のために平和公園に向かう。ぼくはミウと二人きりになって嬉しい反面、ミウとリングをぼく一人に任せて、ユカリさんたちは心配じゃないのか?
「ほんとにボディガードなしでいいんですか?」
「彼女はリングと防犯アラームを持って過去のあなたのところに現れたんでしょ?」とユカリさんはミウのトートバッグを指差した。「それなら何も心配することはないわ。これはバック・トゥー・ザ・フューチャーじゃなくバック・トゥー・ザ・パストだから」
「過去に証明された事実は絶対に変わらない。そういうことですね?」
「そういうことになるのかな? その過去のことはあなたが一番よく知ってるはずでしょ?」ユカリさんは一歩近づくと耳元で呟くように教えてくれた。「それとね、成美が二人にしてあげてって言ってたの」
 振り返ると、成美は照れくさそうにサムズアップした。

 タクシーがホテルに到着し、ミウを先に乗せると、ぼくはあの日と逆方向の行き先をドライバーに告げた。チームユカリとユカリ・プランニングのスタッフ全員がぼくたちを見送ってくれた。

 ぼくはタクシーの後席でミウの手を握り、これから向かう先の過去でのミッションを一つ一つ順を追って説明した。ドライバーはバックミラーでチラチラとこちらを見ていた。きっとベタベタといちゃつくカップルとでも思っていたのだろう。

 大浦天主堂の近くでタクシーを降り、ぼくたちは手を繋いだまま祈念坂を登った。お互い積極的なコミュニケーションはとらなかったが、握った手からミウの感謝の念や信頼の思いが伝わってきて、ぼくの心はなんだかとても幸せな気分に満たされていた。

 大浦展望公園に到着すると辺りが急に暗くなり、空を見上げるとそこにミウのマザーシップが音もなく浮かんでいた。そして目の前に赤い光の円柱が降りてきた。
 ぼくは咄嗟にミウを抱き寄せた。女の子とハグしたことなんてなかったから、らしくない大胆な行動に自分でもちょっと驚いたが、(行かせたくない)と心の中で呟いたぼくの気持ちが身体を通じてミウに伝わったのだろう。
「イカナクチャ」とミウは耳元で囁いた。「ソラ イママデ アリガトウ」
 強く抱きしめていた腕の力を弛めて、ぼくはミウを解放した。
「ゲンキデネ」とミウは微笑む。
「ミウも元気で」と言ってぼくは最後にもう一度手を握った。
(向こうに行ったら、ぼくによろしく伝えて)
(ワカッタ ヨロシク ツタエルネ)
 別れ際にミウはぼくに軽く口づけをした。言葉を失って立ち尽くすぼくに笑顔を向けながら、ミウは手を解いて数歩後ろに下がった。光の柱に包まれたミウの姿は次第に薄れ、やがて赤い光はぼくの視界から完全に消え去った。頭上を見上げるとマザーシップは静かに上昇を開始し、あっという間に空の彼方に消えていった。
 ぼくはしばらくその場に立ち尽くしていた。

「こんにちは」という挨拶の声で我に返った。祈念坂を上ってきた男女のカップルだった。
「こんにちは」とぼくも挨拶を返す。
「さっきこの上にUFOがいませんでしたか?」と男性がぼくに訊ねた。
「大浦天主堂から見えたんです」と女性は言う。「この辺りじゃないかと思ってたんですけど」
「UFOですか?」とぼくは間の抜けな声で応えた。
「銀色の……なんかチタニウムかジュラルミンみたいな金属光沢の円盤でした」と彼は説明した。
「スマホで撮ったんですけど全然映ってなくて」と彼女は画面をぼくに見せてくれたが、もちろんそこにはノイズしか写っていない。
「UFOは銀塩写真じゃないと撮影できないんです」とぼくは説明した。
「ギンエン?」と女性は不思議そうな顔をする。
「銀塩って、要するにアナログカメラのことだよ」と男性は説明して、ぼくに同意を求めた。「そうですね?」
「そうです。カラーじゃなく白黒のフィルムが最適です」
「へぇ? お祖父ちゃんの古いカメラがあるからそれなら撮れるのかな?」と言う彼女に、ぼくは「電子シャッターとかじゃない機械式のカメラなら大丈夫ですよ」と応えた。
「ところで、ここでUFOを見ましたよね?」とあらためて彼はぼくに尋ねた。
「見たというか、大切な友だちがそれに乗って遠くに行ってしまったので、ここで見送ってました」とぼくは涙を拭いながら正直に答えた。
 二人はぼくの顔をじっと見つめたあと顔を見合わせて何歩か後ずさりし、「失礼しました」「さようなら」とだけ言い残して足早に去って行った。

 その日の夜、ユカリさんはホテルのレストランでチーム・ユカリのメンバーを労う夕食会を催してくれた。ほんとうはこちらが労う立場だったのに、ぼくにはそんな余裕などなく、ただ呆然とみんなの姿を眺めているだけ。誰もがぼくを元気づけようとしてくれているのはわかったが、励ましの言葉もぼくの心には虚しく響いた。

 チーム・ユカリの解散後も、ぼくは一人長崎に残ってどこかにいるはずのミウを探すことにした。三年も経っていれば見た目も変わっているだろうし、戸籍もパスポートも持たない

を探すのが不可能に近いほど難しいことはわかっていたが、それでもきっとまた会えるとぼくは信じていた。いや、そう信じたかった。平和公園の周辺だけでなく、ミウを見送った大浦展望公園や大浦天主堂、ミウと初めて出会った妙行寺にも何度も足を運んだ。その他にも猫の集まりそうな場所を探しては歩き回り、街の人には猫と集会する女性を見たことがないか聞いて回った。

 やがて夏も終わり、なんの手がかりも得られないままぼくは帰宅した。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み