第17話 インパクト

文字数 3,240文字

「オーヴァーロードのこと、もっと詳しく教えてくれる?」と成美がミウにリクエストした。
「ぼくも詳しく知りたい。ミッションのこと」

 ミウが送ってくれたビジョンで、ぼくたちは月の民の歴史やミッションの概要を理解した。

 オーヴァーロード、英語の"Overlord"には大領主や君主という意味があるが、もっとスケールの大きい意味らしい。
 宇宙にはそれぞれの進化や秩序を司る意志のような存在があるという。それを人間的に分かり易く『(しゅ)』を意味する『ロード』と呼ぶと、われわれ銀河系宇宙のロードは、まるでゲームの名前みたいだけれど、『ロード・オブ・ザ・ギャラクシー』ということになる。無数とも言えるほど数多く存在する宇宙にはそれぞれのロードが存在するが、その上位にあって大宇宙全体の秩序を守る『ロード・オブ・ザ・ユニバース』とも言える存在がオーヴァーロードという訳だ。
 ミウの説明によると、ロードに慈悲はないが、オーヴァーロードは深い慈悲を持つらしい。ロードが神ならオーヴァーロードは仏ということになるのだろうか? でも、どうやらぼくたちのボキャブラリーでは表現できないほど大きな存在であることは間違いなさそうだ。

 オーヴァーロードが実体を持って宇宙の片隅に姿を現すことは滅多にないと言うが、およそ一万年ほど前に地球の生物の一種であった人類に普遍的な『真理』に到達する『智慧』の片鱗を見出したオーヴァーロードは、空に浮かぶ巨大な船として出現し、やがて地上に舞い降りた。
 世界各地から五百人ほどの若い男女が集められ、五十匹ほどのリビヤ山猫や、小鳥や昆虫のような小さな動物、様々な種類の植物の種子や球根と共にその船に乗せられた。その場に居合わせた人々が、自分たちが目にした光景を後の世に伝えたことが、どうやら『ノアの箱舟』の原型になったようだ。

 選ばれた若者たちにはいくつかの共通点があった。
——苦難や困難にも挫けない強い意志
——怒りや悲しみや憎しみなどの感情に支配されない聡明さや冷静さ
——他の命を尊び他の幸せを願うことのできる優しさ
——そしてそのためには自らを犠牲にすることの出来る潔さ
 そうした優れた特性を持った若者たちが最初の月の民として選ばれた。

 まるで選民思想みたいだが、月の民自身の意志ではないのだから、神も超えるようなオーヴァーロードに選ばれた彼らを批判するのはお門違いだ。

 彼らが月の裏側に到着したとき、そこにはすでにシェルターが築かれていた。船を降りた人々は、地上の大気と同じように空気を吸い、火や水を使うことができたという。更に彼らは地球と同じ重力の下で暮らすことが出来た。誰が作ったのかはわからないが、どうやら宇宙には様々な科学技術を独自に発展させた生物が存在するらしい。きっとオーヴァーロードの下請けとして建設に携わったゼネコンのような宇宙人がいたのだろう。
 そうやって月の裏側に地球と同じ環境を作り出してまで、選ばれた人々を月に移住させたのは、オーヴァーロードの深い慈悲によるものだという。いつの日か人類が宇宙に脅威を与えるほど危険な存在になったとき、地球に舞い降りてその行動を制止させる使命が彼らには与えられていた。

 月の民となった人々は、太陽光から得たエネルギーで自らの文明を推し進め、人口が増えるに従って少しずつ生活空間を拡げていった。疫病や隕石の衝突や地殻変動——正確には月殻変動とも言うべきだが——といった数々の困難を乗り越えながら、月の民は自らの進化に比例して平和な世界を作り上げていった。
 そんな月の裏側とは対照的に、地上では文明が進化を遂げるにつれて力による支配や暴力が加速していった。権力者の欲望は際限なく膨れ上がり、侵略され支配された人々は怒りや恨みや憎しみから、その周辺の人々は自らが支配されることへの恐れから、戦争を始めた。そうやって地上の人々は、肌の色や話す言葉といった僅かな違いや、時には自らが作りだした文化や宗教を理由に、残虐な殺戮を絶え間なく繰り返した。

 月の民はオーヴァーロードから授けられた智慧を磨き、地上の人類に先がけて独自の科学技術を発展させた。高度な医療と精緻なアルゴリズムによって出生率もコントロールするようになった彼らが自らの力で宇宙を飛び回るようになった頃、地上はまだ九世紀を迎えたばかり。ヨーロッパでは航海術を駆使したヴァイキングが勢力を拡げ、日本では遣唐使船が命懸けで大陸を目指す——そんな時代だった。
 ところが、人類は初の有人動力飛行を成功させると瞬く間に空を制し、僅か半世紀ほどで大気圏外の宇宙にまで進出した。そして同時期に月の民の運命は大きく変わっていく。核の力を得た人類は大量破壊兵器として広島と長崎にそれを投下し、さらに各国が競って核を保有するようになる。
 優れた月の民をもってしても、自身を何度も滅亡させるほどの凶暴な力を手にしてしまった人類の暴走を止めることはもはや不可能になってしまったことを嘆いたオーヴァーロードは、月の民を安全な世界——地球の影響を全く受けない別の宇宙——に移住させることを決断した。
 人類が月旅行計画を具体化し始める頃には、月の裏側の巨大都市は跡形もなく取り壊され、オーヴァーロードから与えられた技術的インスピレーションによって、月の民は次元を越えてその先にある別の宇宙へと移り住んだ。
 それでも人類を見捨てることができないオーヴァーロードは、大勢の猫たちを人類の監視役として地球上に残し、月の民や月の子供たちは定期的に猫たちからの情報を集め続けていた。

 そしてミウのビジョンは、遂にぼくたちの『ミッション』の目的をあきらかにした。
 人類が核の力を持ち始めたことを危惧した銀河系宇宙のロードは、宇宙を滅ぼしかねない危険な存在として地上の人々を殲滅させる審判を下した。それは、あらゆる核兵器を凌駕する巨大なエネルギーを地上に打ち込むことによって大きな地殻変動を起こす『インパクト』を地球に打ち込むこと。そして、その投下ポイントとしてロードが選んだのは、皮肉なことに人類が二度目に核兵器による大量殺戮を行った被爆地に立つ平和祈念像だった。

 しかし、地上の民が自らの手で滅びてしまうのではなく、ロードの審判によって終焉を迎えることをオーヴァーロードは良しとしなかった。人類の愚かさを憂いながらも、親鸞聖人の『悪人正機説』——善人が往生できるのなら、御仏が哀れみ給う悪人が往生出来ないはずはないというような、そんな意味だったと思う——のように、愚かさ故に人々を深く憐れんだオーヴァーロードは人類の未来に慈悲を手向けた。
 慈悲から生み出されたミッションは、月の民の数と同じ八万四千人の善念を一箇所に集めること。インパクトを無力化できるのは人々がひたすら平和を願う無欲な祈り以外にはない。そのためのツール『賢者のリング』は数千年も前から地上に準備されていたが、地上の民が自らの意志で行わなければ意味がない。そのために月の民の使者として選ばれたのがミウだった。

 オーヴァーロードの慈悲を察知したロードは審判の時を早め、ミウが産み落とされる三年前にインパクトを投下した。オーヴァーロードをもってしても、宇宙空間に存在する時間という次元軸の不可逆な事象を覆すことは出来ない。
 ところが、人類を滅亡へと導くはずのインパクトはミウと宙の働きによって無力化され、人類はその後も何ごともなかったように暮らし続け、猫たちは地上の人々の姿を月の民や月の子供たちに送り続けていた。
 過去に既成事実として刻まれた結果を導き出すためには時を遡ってのミッションの実行が不可欠となった。そうして綿密なアルゴリズムがミウのマザーシップに与えられ、ミウは成人するその時を選び、共にミッションを成し遂げる地上の民、つまり宙に最も近い場所に産み落とされた——というわけだ。

 ビジョンを共有したぼくたちは、しばらく言葉が出なかった。
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