第10話 遺言

文字数 2,713文字

 病室で真っ先に長崎行きのお礼を伝えると、渡部さんは後ろに立っていた羽山さんを覗き込んで相好を崩した。
「後ろのお嬢さんは?」
「はじめまして。宙君の同級生の羽山成実です」とぼくが紹介するより先に自己紹介されてしまった。
 ぼくが「写真部の副部長」と付け加えると、渡部さんはすぐに理解してくれた。
「それじゃ、あの暗室作業の解説書を作った?」
「はい」と応えた羽山さんの笑顔は何時になく優しい。
「あれは素晴らしい。ネットで公開したら銀塩写真ファンが増えると思うよ」

 羽山さんは、窓際の小さな花瓶が倒れないよう、持参した花を工夫しながら活けてくれた。その後ろ姿を眺めながら渡部さんは目を細めている。母の言うとおり羽山さんを連れてきて良かったと、ぼくは胸を撫で下ろした。

 渡部さんは電動ベッドを起こして、ぼくが持参した写真アルバムのページを丁寧に捲り始めた。
「宙君……すごいな。こんな写真は長崎でも誰も撮れなかったんじゃないか?」
 ぼくは、バッグの中から四つ切りサイズに引き伸ばして簡単に額装したパネルを取り出した。そこには大浦天主堂の背後に浮かぶUFOの姿が映っている。
「このパネル、渡部さんが退院したら部屋に飾ってくれますか?」
「ありがとう。でも、もうアパートには……」と言いかけたあと、渡部さんは手に取ったパネルを大切そうに撫でながら言った。「そこに、窓際の花の隣に、倒れないように立てかけておいてくれないか?」
(そんな……)と心の中で呟きながら、ぼくは言葉に出来なかった。渡部さんはもう退院できないほど悪くなっているのだろうか?
「長崎のことをもう少し……」と言ったあと、しばらく苦しそうに息をしていた渡部さんは絞り出すように続けた。「もう少し詳しく離してくれないか?」
「もちろんです」
 ぼくは羽山さんや母と姉に説明したように、UFOを目撃した日の出来事を渡部さんに語った。

「ミウって女の子、私は宇宙人だと思うよ」と渡部さんは微笑んだ。「宙君にはまだ話してなかったが、私はちょうど君が訪ねてきたくらいの中学生の時分に宇宙人と出会ったことがあるんだよ。記憶が消されてしまったのか、はっきりとは思い出せないが」

 渡部さんは中学二年の夏休みに親戚の家があった丹沢でUFOを目撃し、カメラを持って追いかけて行くうちに森の中に迷い込んでしまった。陽は落ち、辺りは真っ暗になって不安に怯えていると、突然目の前に眩い光が出現した。ところが、記憶はそこで途切れているという。気づいたら病院のベッドの上で三日も経っていたそうだ。
 意識を失っている間にUFOで月の裏側へ連れて行かれた……と渡部さんは信じている。それは、当時ソヴィエト連邦と呼ばれていたロシアが人類初の人工衛星スプートニクを打ち上げた翌年のことで、アポロが月へ行くよりも十一年も前のこと。
「残念ながら記憶が途切れ途切れだが、月の裏側で大きな基地というか都市を見た覚えがある。でもそれはなぜか解体されていたんだ。宇宙人が人類に失望して地球から離れていく……そんな風に感じたよ。考えてみればあれから六十年もUFOを追いかけていることになるな」と言うと、渡部さんは悲しそうに笑った。「そんな私を家族も親戚も変人扱いして、とうとう誰も寄りつかなくなってしまった」

 渡部さんの話を聞いているうちに、僕の記憶の中に

が蘇った。
「さっき話したプロジェクトのことですけど、だれが計画したのかミウに聞いたら『オーヴァーロード』って言ったんです。渡部さんはその意味わかりますか?」
 渡部さんは首を傾げていたが、羽山さんが言葉を挟んだ。
「それ、はじめて聞いた」
「ごめん。ずっと忘れてて……今突然思い出したんだ」
「アーサー・C・クラークって知ってる?」と言うと、羽山さんは渡部さんに向き直った。「渡部さんはご存知ですか?」
「海外のSF作家だね? 確か『2001年宇宙の旅』の原作者じゃなかったかな」
「そうなんです。イギリスの作家で、アメリカのアシモフやハインラインと並ぶSFの巨匠の一人。そのクラークの代表作に『幼年期の終わり』って作品があるんですけど、その中にオーヴァーロードが出てくるんです。地球外からやって来た知的生命体なんですけど、人間の想像を超える知性を持った彼らを人類はオーヴァーロードって呼ぶんです。翻訳では『上主』とか『上帝』と訳されてました」
「小説はまだ読んでないけど、テレビで解説を見たことがある。オーヴァーロードって言葉はその時に聞いたのかも」とぼくは納得した。
「なるほど。その『オーバーロード』は人類の歴史よりも長い間、我々をずっと空から見守っている訳だ」と渡部さんは言う。「ミウっていう女の子はその使いじゃないのか」

 話はまだまだ続きそうだったが、静かだった病室の廊下が賑やかになり始めていた。
「真鍋君、たいへん」羽山さんが時計を見ながら言う。「面会時間を過ぎてる」
「そろそろ夕食が運ばれてくるはずだ。私はまだほとんど流動食だけど、宇宙食と思って食べるよ」と渡部さんは笑った。苦しそうにしていたときは心配したけれど、渡部さんの笑顔を見てぼくは少しホッとした。
「ところで宙君、帰る前に君に頼みたいことがあるんだ」
「はい。なんでも言ってください」
「もし私がこのままアパートに帰れないときは、親戚に処分される前にUFO関係の写真や記録を君に託したいんだ。それと、ツボミとハナも引き取ってくれないかな? 二人とも君に懐いていたから」
 ぼくは涙が流れそうになるのを堪えながら「わかりました」と応えた。

 翌日、渡部さんから直接電話を貰った。
「君たちが来てくれたおかげでとても元気になったよ」
 その言葉を羽山さんに伝えると、彼女も安心したようだった。
 ところが翌週には再び面会謝絶になり、十日後に渡部さんは帰らぬ人となった。

 具合が悪いことを知りながら、面会時間を忘れるほど夢中になって話をしてしまったことで、ぼくは自分を責めた。
「あの日の別れ際に見せた笑顔、すごく嬉しそうだったじゃない? きっと渡部さんは宙君に感謝してると思うよ」
 羽山さんに励まされ、母と三人でぼくはお通夜と告別式に二日続けて参列した。初めて会った親戚の人たちと渡部さんの遺骨を拾ったその夕方、ぼくたちはアパートで大量の写真や資料を段ボールに収め、とりあえず宅配便で自宅に送った。

 渡部さんの遺族とも言えるツボミとハナをぼくは快く引き受けたものの、猫アレルギーの姉が拒絶したために結局我が家には連れて帰ることが出来なかった。預かり親の女子大生はそのまま飼ってもいいと言ってくれたが、最終的に羽山さんが引き取ることになった。
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