第14話 猫アレルギー

文字数 1,824文字

 姉の言うとおりミウのことをメールで知らせると、羽山さんは翌日ハナを連れてやってきた。
「きっと一種に来ると思ったけど、ツボミは?」とぼくは訊ねた。
「このところちょっと体調が悪くて、家を出られないの」
 初めて来たわけでもないのにキャリーから出たハナはなんだか落ち着きがない。鼻をピクピクさせて、辺りの匂いを嗅ぎ回るハナを羽山さんは抱き上げた。
「それで、すぐに会えるの? そのミウちゃんには」と言うが早いか、母が玄関にミウを連れて来た。その途端、ハナは羽山さんの腕の中から勢いよく飛び出してミウに駆け寄った。ミウはしゃがみ込むとハナとコミュニケーションを取り始め、その様子を眺めながら羽山さんは感心していた。
「なるほど宙君が夢中になるのも分かる。確かに美少女ね。でも見たところ普通の女の子みたい。ハナがあんなに懐くのは普通じゃないけど」
 ミウは十代の頃の姉とサイズが殆ど同じだったから、母は姉が着なくなった服をミウのために用意した。それがなかなか似合っていて、「カラーコンタクトを着けた色白の高校生」と言えば誰も疑わないくらいに、ミウはぼくたちの世界に溶け込んでいた。
 あらためてミウを紹介すると、母は診察結果を説明するために羽山さんを二階の書斎に案内した。その間にぼくはミウをリビングに連れて行って、テレビを見ながら日本語の勉強を始めた。

 二人が二階から降りてきて、この世界のことをミウにどうやって学んでもらうか話し合うことにした。ぼくはミウが退屈しないようにテレビを点けてあげたが、話し合いの邪魔にならないように少し音量を絞った。
 しばらくの間、ミウはハナと一緒に画面を食い入るように見つめていた。
「テレビ消そうか? ミウには他の部屋でハナと遊んでてもらってもいいし」
 音が気になったぼくがリモコンを手に取ったとき、突然「ボーットイキテンジャネーヨ!」と叫ぶ声が耳に飛び込んできた。びっくりしてぼくたちが一斉にミウの方を見ると、彼女は「ゴメンナサイ」と言ってすまなそうに頭を下げた。
「ミウが喋った……」とぼくは呟いた。
「これこれ!」と羽山さんは膝を叩く。「ミウにはテレビを見てもらうのが一番早いと思う」
「教育上よくない番組もあると思うけど」と、ミウの教育係を引き受けるつもりだったぼくは疑問を挟んだ。「変な言葉を覚えるかもしれないよ。さっきのだって……」
「昔観た映画にそんなのがあったわ。人魚がテレビで人間の言葉を覚えるの」とぼくの言葉を途中で遮った母は、どうやら羽山さんに賛成のようだった。「教育放送だったら大丈夫でしょ?」

 その日以来、朝から晩までテレビを見ているうちに、ミウは日本語やぼくたちの世界の文化をどんどん吸収していった。

 ミウが我が家にやってきて三日目の夕方、羽山さんと入れ替わるように姉が帰宅した。
 姉は玄関でミウを見るなり「高校時代のあたし並みにカワイイ!」と歓声を上げた
「ぼくの姉さん、海っていうんだ」と口と手の両方を使って伝えると、ミウは笑顔で頷いた。
「ミウ デス ヨロシク」
 少し興奮気味に靴を脱ぎ捨てて上がり込んだ姉に、母は「ちゃんと消毒してね」と釘を刺した。姉は脱いだ上着をハンガーに掛け、「はいはい」と言いながら面倒くさそうに手を消毒してミウに近づいた。ところが二人が握手した瞬間、姉は顔を背けて激しく息をし始めた。とうとう堪えきれなくなって大きなクシャミすると、そのまま治まらなくなった。初めは昼過ぎまでハナと一緒にいたせいだろうと考えていたが、その後シャワーを浴びたミウに近づいても姉はクシャミが止まらない。
「ミウは猫の化身なんじゃない? 私はアレルギーで近づけないよ」
 それ以来、姉は家の中でもマスクを着けてミウとは少し距離を取るようになったが、それでも自分の服を着た少女を目にする度に「カワイイ、カワイイ」と喜んだ。


 ミウはたった一週間で片言の日本語で会話がこなせるようになった。言葉がわかると、手と手のコミュニケーションも理解度がアップする。
 近づけない姉は悔しがったが、ミウはことある毎にぼくたちに質問した。その度に手を握って言葉とイメージの両方で答える。
 ぼくはミウのこと、ミウがどこからなんのために来たのかなど核心を突くような質問をしてみたかったが、母はもう少し機会を待つつもりらしかった。それは、科学者として現実を受け止められなくなることへの不安が、結論を先延ばしにさせているようにぼくには思えた。
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