第4話 幸運の猫

文字数 2,092文字

 長崎では、かぎしっぽの猫はしっぽで幸せを引っかけてくる『幸運の猫』と呼ばれる。

 高二の夏休み。長崎はUFOの目撃情報で溢れていた。
 未だ日中のUFOは一枚も撮影出来ていなかったけれど、猫たちの表情をじっと観察していれば、チャレンジ三年目のその夏こそ必ず日中のUFOを撮影することが出来ると、ぼくはなぜか確信していた。

 長崎に来て三日目の朝。尾曲がり猫神社にお詣りした功徳(おかげ)か、前の日にはあまり見かけなかった猫にあちこちで遭遇した。住宅街の坂道、長い階段の途中、お寺や神社の軒先。そしてその中にはかなりの確立で『幸運の猫』もいた。
カメラに驚いて全速力で逃げる猫もたまにいるけれど、レンズを向けるとこちらに近づいてすり寄ってくる猫もいる。大きく口を開けてあくびしたり、背筋を真っ直ぐ伸ばしてノビをしたり、目を細めて毛繕いをする……そんな猫の日常の姿をぼくはレンズで捕らえてはフィルムに記録した。でも、UFOを捉えるチャンスはまだ訪れない。


 長崎に来る直前。一年と何か月かで撮り溜めた夜のUFOの写真を見てもらいたくて、ぼくは渡部さんにメールした。ちょうどその頃、SNSでは長崎のUFO目撃情報が話題になっていた。ぼくも長崎に行くべきなのか、そのことも渡部さんに相談したかった。

 返事がなかなか来なくて心配になりはじめた頃、やっと届いた返信には『今入院中です』という一言と共に病院の名前が書かれていた。ぼくは駅前の花屋で憧れの店員さんに選んでもらった小さなアレンジメントフラワーを抱えて、入院先の病院に向かった。渡部さんは亡くなった祖父よりずいぶん若い筈なのに、すっかり頬がこけて一気に十歳くらい老けたように見えた。ぼくは病室の窓際に花を飾った。
「花もいいもんだな」と渡部さんは照れくさそうに笑った。「こんな状態でも気持ちが華やぐよ」
「何か欲しいものとか、必要な物はありませんか?」
「そうだなぁ。一番欲しいのは煙草かな」
 ぼくは言葉も出なかった。
「冗談だよ」と渡部さんは笑う。「吸いたいのは確かだけど……もう吸えないんだ」
 渡部さんの笑顔はなんだか泣いているようにも見えた。
「実は肺がんなんだ」
 もっと煙草の量を減らすよう言えばよかった……と、今さら後悔しても始まらない。でも、もし家族だったら言えただろうか。ぼくは、身寄りのない渡部さんが「家族」と呼んでいた二匹を思い出した。
「ツボミとハナは……今どうしてるんですか?」
「今は先隣の女子大生が世話してくれてる。退院するまでは何も出来ないからね。その子は前からうちの猫を可愛がってくれてたんだけど、あんまり煙草を止めるようしつこく言うから私は煙たがってたんだ。あー、煙たがってたのは向こうか……」と渡部さんはまた笑った。「でも今は感謝してるよ」

 ベッドサイドに小さなノートパソコンがあるのを見つけて、ぼくはバッグからスマホを取り出した。
「今日、これから渡部さんのアパートに行ってツボミとハナの姿を撮ってきます。動画のリンクを送ったらそのパソコンで見られますよね?」
「ありがとう。でも君には他に行ってもらいたいところがあるんだ」
 渡部さんが鍵のかかる引き出しの中から取り出したのは、長崎までの往復乗車券と指定席特急券だった。
「長崎……」ぼくはごくりと唾を飲み込んだ。「そのことを相談したかったんです」
 手渡されたチケットをよく見ると、日付は一週間前になっている。
「私の代わりに行ってくれないかな?」と渡部さんは熱い眼差しをぼくに向けた。「実は長崎に行く前の日に倒れちゃったんだ。指定はキャンセルになったけど自由席なら問題ないし、往復券だから有効期間はまだ一週間ちょっとある。知り合いが駅前でホテルを経営してるから事前に連絡しておけば部屋はすぐに押さえられるし、現地の目撃者とも連絡を取っておくから、そこに書いてある候補地に行ってきて欲しいんだ」
 渡部さんは、撮影候補と時間帯、現地の人の連絡先、ホテルの詳細などが記されたプリントをぼくに手渡した。
「ベストなタイミングじゃないかもしれないけど、ここ一月くらい頻繁に目撃されてるからまだ今なら間に合うと思う。どうだろう? 行ってくれるかな?」
 渡りに船とは当にこのこと。ぼくは二つ返事で引き受けた。

 旅費は自分の預金口座を切り崩すつもりだったが、母に相談したら軍資金を渡してくれた。
「これ、海には内緒ね。我が家には『自分の楽しみは自分で賄え』ってルールがあるでしょ? でも、私も宙が撮るUFOを楽しみにしてるの。だからこれは私の楽しみの分」


 写真部の撮影会は出発の三日後だった。企画したのはぼくだったけれど、それまで待っている余裕はなかったから、撮影会は副部長の羽山さんに任せ、大急ぎで長崎行きの準備をしてぼくは翌朝の新幹線に飛び乗った。羽山さん一人に押しつけてしまうのは申し訳なかったけれど、夏休み前に二人で下見に行ってコースもスケジュールも決めていたから、当日はそれをなぞるだけ。
 ぼくがこうして長崎で猫やUFOを追いかけている間に、部員達は和気藹々と横浜で撮影会をしているはずだ。



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