第1話 UFO

文字数 2,126文字

 ぼくが初めてそれを見たのは中二の夏休みのことだった。

 その日、ぼくたち一家はブラックホールで有名な物理学者ホーキング博士の病として知られるようになったALS——筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)という病名も難しい難病——の症状が進行して自由に動けなくなった父方の祖父を見舞うため、東京都下の病院に向かっていた。その夏も父は海外に出張中だったから、運転手は小児科医の母。助手席には五つ違いの姉の(うみ)。そして後ろの席にぼくが乗っていた。

 途中、祖母を乗せるために自由が丘に立ち寄った。
 母と姉は祖母を迎えるためにクルマを降りた。スライドドアを開けたまま車内で待っていたぼくが、何気なく空を見上げると、青空の中を漂うように

はゆっくりと移動していた。翼を持たないシルエットから以前にテレビで見た飛行船かと思ってじっと眺めていたら、それははっきりと形が判るほど高度を下げてきた。継ぎ目も窓もない金属質の表面が光を反射して鈍い銀色に輝いている。

「UFOだ!」
 ぼくはそう叫びながらバッグの中からデジカメを取りだし、近くに寄れない広角気味のレンズに文句を言いながら何枚も連写した。
「UFOがどうしたって?」
 祖母を連れて戻って来た姉が振り返って空を見上げたとき、その姿はすでにかなり小さくなっていた。
「飛行船じゃない?」と姉は言う。
「違う。この目ではっきり見た」
 大学生になったばかりの姉は信じない。
(そら)が空を見上げて、飛行船のことをUFOだって言ってる」
 祖母と母に向かって姉は冗談めかして言う。
「え? どこどこ」と二人が振り返ったそのとき、まるで瞬間移動でもするようにスピードを上げてそれは姿を消した。
「見た?」とぼくは三人に尋ねた。
 母と祖母は小首を傾げていた。気づいたのは姉だけだった。
「消えたね……。確かにあの動きは飛行船じゃない」

 祖母を乗せて走り出したミニバンの車中で、ぼくは撮ったばかりのデジカメの再生ボタンを押して撮影済み画像を表示させた。しかしカメラには何も写っていなかった。そこには青空さえもなく電気的なノイズのように青い画面が何枚も続いていた。
「なんだよこれ……このカメラ壊れてるんじゃない?」
 ぼくのデジカメは最新機種を買った姉からのお下がりだった。壊れてると文句を言う弟を落ち着かせようと、姉は助手席から手を伸ばしてぼくの手からカメラを取り上げた。
「宙の使い方が問題なんじゃない?」そう言いながら、姉は隣で運転する母の姿を捉えた。
「海、今はやめてよ」と母は顔を背けるが、お構いなしに姉はシャッターを切り、続けて何枚か外の景色を撮った。
「ほら」と言いながら姉は撮影したばかりの画像を後ろの席のぼくに見せ、満足そうに前に向き直った。ところが、カメラのメモリーカードに記録された画像を遡って開き始めた途端、姉の手は一瞬止まった。
「なにこれ」と言いながら次々と画像を表示させるその顔は少し蒼白く見えた。「宙が撮った写真だけノイズしか映ってない……」
「だから言った通りでしょ?」とぼくは姉に言う。
 姉はしばらく考え込んでいた。

「そう言えば、前に火山学者の人から聞いた話だけど、電磁波の強い場所ではデジカメは上手く撮れないことがあるんだって」
「お祖母ちゃんの家の前だけ電磁波が強かったってこと?」
「それは……」と姉は眉間に皺を寄せる。「あまり合理的じゃない仮説ね」
「やっぱりUFOの仕業じゃない?」
 姉がぼくの言葉に同意しないのはいつものことだ。
「一種のEMP攻撃なのかな?」
「なにそれ」
「電磁パルス攻撃。UFOがどこかの国の秘密兵器なら有り得るかも」
「UFOは宇宙人の乗り物じゃないの?」
「あれが宇宙船なのか、無人のステルスなのか、タイムマシンなのか……外から見ただけじゃ判らないでしょ?」
 ぼくたち姉弟の会話に祖母が割って入った。
「宙の言うようにUFOって宇宙人が乗ってるんでしょ?」
「お祖母ちゃんまで……そんなことを言う」
「だって……テレビで前にやってたわよ。アメリカのエリアなんとかに隠されてるって」
「エリア51」とぼくは答えた。
「そうそう。それそれ。宇宙人を解剖したって」
「生物学者の母親がそんなこと言うのはかなりの問題ね。UFOなんて、雪男やネッシーみたいなものなんだから」
 そうやって姉は自分が非科学的と思う話はいつだって一刀両断に切り捨てる。
「でもやっぱりあれは飛行船でも飛行機でもないよ」とぼくはそんな姉にツッコミを入れた。姉も自分が目にした物だけは信じるらしい。
「あれが何かはわからないけど、実際に飛行してたのは確かだから、今夜のニュースか明日の新聞記事で確かめようか」

 祖母は、ぼくがUFOを見たことを病室で祖父に話した。症状が進んで喋ることも出来なくなってしまった祖父は、ボード上の文字をゆっくり指で示しながら会話をする。
「み・た・よ」
 祖父の顔を見つめながら、ぼくは思わず問い詰めてしまった。
「お祖父ちゃん、それはいつ?」
 祖父はぼくの腕時計を指さした。目の前に文字盤を差し出すと震える指で二時頃を示し、ゆっくり窓の外に視線を移したあと、たっぷり時間をかけてボードの文字を指さした。
「す・ご・い・は・や・さ・で・と・ん・で・い・つ・た」

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み